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車窓には雨粒が揺れながら流れていく。
毎日、残業残業で、今日も帰りは終電。
くたくたになるまで働いて、家に帰れば食べて寝るだけ。
人生なんのために生きてるんだろ。
都会じゃないから、終電とはいっても車内はガラガラ。
それなのに、わざわざ私の向かいに座って、タイトスカートから覗く太ももを、粘っこい視線で見てくる中年のサラリーマン。
ああ、余計にストレスが溜まる。
オヤジの視線から逃げるように、自宅の最寄り駅よりふたつも前で降りる。
初めて降りた駅。
改札を抜けると、閑散としていた。
いつもより余計に歩かないといけないけれど、あの気持ち悪い視線よりはまし。
ひとつため息をつくと、バッグから赤いレインコートを出して着る。
手がふさがる傘は嫌い。
「あ、あの・・・・・・」
歩き出そうとしたところで、背後から声をかけられた。
振り向くと、私と同じ歳くらいの女性が立っている。
「あの、方角が同じでしたら、ご一緒してもよろしいですか?」
「え、あ、はい、いいですよ」
私は答えて、ふたりで駅を出て歩き出す。
「最近この地域周辺で、ナイフで刺される連続通り魔殺人が起きてるじゃないですか?」
傘を半分さしかけてくれながら彼女が話す。
「あ、そうでしたね」
今朝のニュースでもやっていた。犯人の目星はまだついていないらしい。
「1ヶ月くらい前にも隣駅のあたりで事件があって・・・・・・だからこんな深夜にひとりで帰るのが怖くて、駅で一緒に歩いてくれそうな女性の方が降りてくるのを待ってたんです」
「そうですか」
「方角が同じでよかったぁ・・・・・・あ、でも、通り魔事件が起きたのは決まって今日みたいに雨の降る日だそうですよ」
彼女はほっとした表情で言ったそばから、不安気な表情に戻る。
あまり彼女を不安がらせないように、世間話をしながら歩く。
小さな公園の横の通りに差し掛かったところで、気づくと前からパーカーのフードをすっぽりと被った大柄の男が、傘もささずに歩いてきた。
「怖い・・・・・・」
男の姿に、彼女は怯えたように私の腕にしがみついてきた。
「大丈夫」
私はそう言いながらも、男から注意を逸らさないように歩く。
男との距離がだんだんと縮まる。
そしてすれ違いざま、男はこちらに顔を向けた!
――が、そのまま歩き去っていく。
男との距離が離れる。
「はぁ~、あの人、通り魔じゃなくてよかったぁ」
彼女は心底安堵した表情で言った。
でも、街灯の明かりで一瞬見えたフードの奥で、男の口元が笑ったような気がした。
「あの、私のウチそこなんです。ほんとに助かりました! ありがとうございました!」
駅から10分ほど歩いたところで、彼女はぺこりとお辞儀をして、言った。
「くれぐれもおウチまでの道のり気をつけてくださいね」
彼女と別れて、強く降り続く雨音の中、ひとりで歩き出す。
角を曲がって細い道に入ると、フードを被った男がいた。
間違いない。さっきの男だ。
私がひとりになるのを見計らっていたのだろうか?
男は両肩を揺らしながら歩いてくる。
私はとっさに動けるように準備して、気を張りつめて進んだ。
目深に被ったフードのせいで、男の表情は見えない。
徐々に男と私の距離が縮まっていく。
残り10m。5m、2m、そして1m。
街灯の下、男の粘りつくような視線が、私に向けられている。
すれ違う――。
そのさま、男は弾かれたように急激に身体の向きを変えた。
ヤニくさい息が私の顔にふりかかる。
男の口からはよだれが垂れ、目は大きく見開かれ血走っていた。
その表情が、私の瞳に大写しになる――。
雨の道路に大量の血飛沫が飛び散った。
――でもレインコートのおかげで、いつも私は返り血を浴びずに済む。
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