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雨が止むまで少しお話ししていきませんか?と最初に提案してきたのは、彼女からだった。
未だに止まない雨はざぁざぁと、僕らを二人きりの空間に誘うようにB G Mを奏でている。
「雨の日は好きです。こうも突然降られるとちょっと迷惑ですが、トントンと地面を鳴らす雨の音を聞いていると、心が落ち着いていくんです」
彼女は、尚降り続ける雨を眺めながら呟いた。
僕とは真逆の感性を持つ彼女に、いつしか僕は気持ちが惹きつけられていた。
雨は、煩くて、鬱陶しくて、面倒くさいものだとばかり思っていたが、彼女の言う通り、雨音を聴きながら人と喋る時間もたまには悪くないなと、僕はそんなことを柄にもなく思ってしまう。
それから、彼女と僕は色々な話をした。
会話の中で、彼女の名前がシオリさんだということ、シオリさんはここら辺の地域に住んでいること、僕より年上であることが分かった。
情報がそれなりな理由としては、会話中では僕が一方的に自分の話をしてしまい、シオリさんはその話を楽しそうにうんうんと聞いていることが殆どだったからだ。
裏表の無いシオリさんの柔らかく穏やかな表情を見ていると、僕もどこかで一度会ったことがあるような錯覚に陥ってしまい、なんだか不思議な安らぎを感じてしまう。
だからこそ、僕は心を許し、どんどんと自分の事を話してしまうのだろう。
「色々なお話が聞けて楽しいです」
「僕も楽しいです。こんなに喋ったのは久し振りで」
僕は、この雨がずっと降り続いて欲しいと思った。
「あ、雨。止んできましたね」
けれど無常にも、勢いのあった雨足はいつの間にか弱まり、厚い雲の切れ間から細い太陽の光が幾つか差し込んでいた。
うねる光は、雨の日にだけ訪れる女神の帰りを迎え入れるように空中に煌めいていた。
「もうこんな時間。そろそろ帰らないと。また何処かでお会いしたら話しましょうね」
シオリさんは手元のバッグを肩に掛け直し、それではと僕に会釈をする。
シオリさんが一歩、二歩と屋根の外へ歩んでいく。不意に、突然の喪失感に襲われた僕は、「あ、す、すみません。最後に一つだけ良いですか?」と思わず声を掛けていた。
シオリさんは足を止めて振り返り、「はい、なんでしょうか?」と応える。
外の光がより眩しくなっていて、シオリさんの表情が逆光で分かりづらい。
それでも彼女はさっきまで僕に見せていた表情を浮かべているように見えた。
大丈夫、まだ、間に合うと、僕は心の中で呟く。
「もし、良かったら。連絡先、交換しませんか?」
僕は意を決して、シオリさんに提案をした。
彼女の表情は今も見えていないが、うっすら聞こえる雨のリズムに合わせて、彼女の歌声のような音が屋根の下に響く。
「期待させちゃって、ごめんなさい。私、結婚しているの」
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