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第六章 縋る神
「ここで言う自立とは存在の自立だ。人間の世界にいる神というのは、人間たちの信仰心を糧にしか存在できない。神という人間を超越した存在でありながら、その生殺与奪を人間に握られているのさ」
ヘケトは説明する。
単純なことなのだろう。
つまりモジャモジャは人間の信仰心が無くなれば消えてしまう神で、ヘケトたちディオスワールドに住まう神は人間の信仰心など必要ない。
それがここで言う”自立”。
でもそれじゃあ……。
「それって楽しいの?」
美優が不思議そうに尋ねる。
ヘケトに尋ねる。
僕は美優が何を知りたいのかが分からなかった。
「どういう意味かな?」
ヘケトは問い返す。
彼女も美優の言葉の真意を理解できていないようだ。
「だってそれって自立というより、無視されているみたい」
美優はしれっと口にする。
実に簡単に、悪びれなく口にする。
「ハハハハハ」
美優の言葉を聞いたヘケトは笑い出す。
怒っているのか、本当におかしいのか分からない。
狂気性を感じさせる笑い声。
ヘケトの声は寺院全体に響き渡る。
普通の音の振動ではない。
人間界では起こりえない現象だ。
声が寺院の至る所から聞こえてくる。
「何を言うかと思えば。いやはや、子供とは恐ろしいものだな」
ヘケトは散々笑った後、冷静になって僕たちをジッと見つめる。
その眼差しに怒りはない。
どこか楽しんでいるような、そんな雰囲気。
「だってそうじゃない? 誰からも必要とされない一生なんて虚しいだけよ」
美優はさらに続ける。
彼女は、今しがた自分がかなり危ない橋を渡ったことを理解していないらしい。
さっきのも今のも、場合によっては不敬と取られかねない。
「それもそうだ。君の言うとおりだよお嬢さん」
ヘケトの眼差しは美優に絞られる。
僕を無視して美優を見つめる。
なんとなく、本当になんとなく危険を感じて、僕はヘケトの視線から美優をかばう。
「おやおやこれはこれは」
ヘケトはまたも愉快そうに笑みを浮かべる。
「良いじゃないか君たち。面白いよ」
ヘケトはニヤニヤしながら僕たちを眺める。
割って入った僕の顔をじっくりと見つめる。
「その子が大切かい?」
「あたりまえだ!」
ヘケトの問いかけに僕は即答する。
そんなの当たり前だ。
考えるまでもない。
後ろでハッと息を吸う音が聞こえたが、今はそんなことはどうでもいい。
「美優に何かするつもりか?」
「しないしない。誓ってしないから安心しな」
ヘケトの言葉に嘘はない。
直感だがそう感じた。
「そこでさっきの話に戻るがね、縋る神は信仰心を失うと消える。つまりそこの神モドキは消えそうなのさ」
ヘケトは言い放った。
うっすら分かっていたことを口にした。
言葉にした。
「だからここまで来たのだろう? 助けを求めに来たのだろう?」
ヘケトは詰るようにモジャモジャに問いかける。
「自分の存在が消えることが恐ろしくなったのだろう?」
試すような物言いだ。
僕はそう思った。
まるでモジャモジャの真意を確かめるみたいに。
「そうであり、そうじゃない。この命は自分だけのものではないからだ!」
モジャモジャは頭を上げて宣言した。
力強く答える。
ここだけは譲れないと、そう言いたげに。
「お前だけの命じゃない……。ああ、あの時の契約か。相手の人間はまだ生きているのか」
ヘケトは驚いた様子で手を叩く。
契約?
相手の人間?
一体何のことだろう?
「それにそこの少年」
「は、はい!」
僕は急に呼ばれて体に力がこもる。
「ちょっとこちらに来い」
ヘケトは妖艶な眼差しで僕を手招きする。
美優は僕の腕を引っ張るが、僕は大丈夫と囁き、美優の手を解いてヘケトの元へ。
なにもされない。
なにも危害は加えられない。
僕はゆっくりと歩を進め、玉座に座るヘケトの眼前にやって来た。
ヘケトは右手で僕の顎を掴むと、自分の方に引き寄せる。
「ああ、やっぱりか。この少年は……そういうことか」
ヘケトは一人でなにやら納得し始める。
「これでお前は死ねなくなったのか。だからこの子たちを連れて来た。悲しませるわけにはいかないからな」
ヘケトはパズルのピースが合致したようで、何度も頷きながら僕たちを順繰り眺めた。
「よろしい。そういう事情なら、紋章の在処を教えよう」
ひとしきり納得した後、ヘケトはさっきまでの厳しい表情から一転し、柔和な顔で話し始めた。
「ここからさらに北に行け。しばらく行けばゴッドツリーの森がある。そこにいる管理人に試練を受けたいと言えばチャレンジできる」
なんか思ってたのと違う。
ヘケトの話を聞いた時点での僕の感想だ。
てっきり壮大な冒険の果てに手に入れるものだと思っていたのだが、想定よりも簡単そうだ。
「試練って何をするの?」
美優が尋ねる。
試練か……。
気にはなるが、どんなに厳しい試練でも、冒険の果てよりは楽に違いない。
そう思えば勇気が湧いてくる。
「生憎と私は試練の中身を知らない。いや、誰も知らないんじゃないのかな?」
ヘケトは奇妙なことを口にする。
誰も知らない試練とは一体なんだろうか?
「基本的に誰も戻ってきていないんだよ」
ヘケトは僕の心の内を見透かしたのか、疑問に答える。
誰も戻ってこない?
「神の紋章は非常に強い力だ。それこそ死にぞこないを復活させることなど簡単だろう。しかしそれだけ強大な力を持つがゆえに、おいそれと与えることはできない」
どうやら紋章は、神の視点から見てもイレギュラーらしい。
「そこでこの世界は試練を用意した。そこに居座る世界の番人しか、試練の内容を把握していないのさ」
世界の番人。
紋章の番人。
神の世界ディオスワールドにおいて、神に対して試練を与える者。
何者だろう?
てっきり神が世界の頂点だと思っていたのだが?
「相手は世界の番人だ。神を見張る者だ。くれぐれもヘマはするなよ?」
ヘケトの本気の忠告だ。
これは僕たちではなくて、モジャモジャに向けられた言葉だった。
「御忠告痛み入ります」
モジャモジャは深々と頭を下げる。
それを見たヘケトは視線を再び僕たちに向ける。
「さらばだ若い者たちよ。こやつを頼む。力を貸してやってくれ」
驚いたことにヘケトは頭を下げる。
それほどの何かがこの先に待っているのだろうか?
「行くよ!」
「ああ!」
美優が伸ばした手を握る。
この世界は神の世界。
人間はお呼びじゃない。
何か起きれば、僕が美優を守らなくちゃいけない!
ヘケトが指し示す北の森に向けて、僕たち二人と一神はゆっくりと歩き始めた。
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