1話 脚本、お願いしてもいいかな?

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1話 脚本、お願いしてもいいかな?

 満開の桜の花びらがハラハラと舞い散り、藍色のボレロを着た乙女達が、その並木道を潜り抜けて行く。スカートの裾を乱さないというのが乙女の心得だと言う。わたし達が通う聖緑華(りょっか)女学院は設立して、およそ百年が経つ勇所正しいお嬢様学校だ。お嬢様学校というのは戦前の話しとのことで、その後というのは聖緑華女学院に憧れて入学する庶民の乙女も増えたと言われている。初等部から所属しているわたしもまた庶民の一人だ。わたしが生まれるずっと前に会社を興し、少しずつ右肩上がりとなって行ったと言う。そのときに両親が一緒になってわたし川原葵が生まれた。一人娘ということもあって、大切に育てられた。近所に住む同い年ぐらいの子達とも遊ぶこともなく家の庭で大人しくお人形遊びなどで過ごしていた。そのこともあって、わたしは人と関わることが苦手になって独りぼっちでいるが当たり前になっていた。そんなある日に、両親からお受験してみないと声をかけられたことで現在に至るのだ。社長令嬢と言われるかもしれないけれど、ほかの生徒と比べると、至って一般庶民と変わりはしないのだ。  高校二年生となった現在。少なからずではあるが、友達と呼べる人はいる。初等部からの数少ない親友だ。放課後は共に文芸部に所属しており、わたしが書いた小説を書評したりして楽しんだりしている。休日は一緒に買い物に出かけたり、カフェでお茶したりしている。進級して、まだ間もない今日もわたしと親友である松嶋つぐみ氏と共に文芸部の部室で、ひっそりと過ごしている。文芸部の部室は、特別教室がメインのc棟で、二階の片隅にある。そこの窓から見える桜がよく映える。 「今日も懲りずにキレイに咲いているわね」  同じ文芸部部員で親友である松嶋つぐみが、桜を横目にわたしの小説原稿を拝読している。つぐみは初等部からの親友だ。四年生のときまで友達と呼べるような人はいなかった。体育の授業でバスケットボールのパス練習をするペアを組んでほしいということになった。クラスメイト達は徐々にペアが出来ていく中、わたしとつぐみだけが余ることになった。当時の先生は、困ったかのような表情を浮かべつつもわたし達をペアを組ませた。それまで彼女とは話したことはなく、気まずさがあった。いつまでももじもじしているわたしに対し、つぐみは『早く始めよう。あとあと叱られるの面倒だし』と声をかけパス練習を行った。つぐみは他の生徒とは違う雰囲気があった。一匹狼と言うべきなのか人と関わろうとする様子はなく、教室もしくは図書室で一人本を読んでいた。 『川原さんはさ。人と話してるとき、いつも肩に力入ってるよね。孤立しないように必死というか。まぁ、他の人達は頭がお花畑だから気づいてないと思うけど』 『孤立したくないのは当たり前のこと…だと思うよ。わたし、人と話すのが苦手というか…、その…』 『見る限り大切に育てられて来ました感じだしね』 『そんなこと…』  わたしは何も言い返すことは出来なかった。彼女が言ったことは実際そうだから。わたしは両親から大切に育てられた。わたしが傷つかないように同世代の人との関わりを避けていたり、スーパーで売られているスナック菓子を食べたことなんてない。いつもお母さんが作ってくれていたクッキーなどを食べていた。男の子との関わりもなく、ほとんど免疫がなく、正直に言って苦手分野だ。良くも悪くもわたしは温室育ちの箱入り娘なのだ。 『川原さぁ。もっと気楽に生きたら。別にあの人達と関わらなくても死ぬわけではないしさ』  当時のつぐみは、いやあのときから自分にとってもストレスとなるものを減らしていたのかもしれない。わたしはそれからというもの、無理に話しを合わせるようなことはないようにして来た。わからないことはわからない。そう伝えるようにしたのだ。中には同調を求める子もいたけれど、クラスメイトの子達は無理に合わせるようなことはしないようにしてくれていた。それからというものの、わたしの生活に変化したというものがあったとしたら、つぐみと友達になったことだろうか。わたしと彼女には共通の趣味があった。それは読書をすることだ。家から出る機会があまりなかったわたしにとって、読書をすることによって知らない場所へ連れて行ってもらえている気になっていた。そしてつぐみと話すようになって、わたしの世界は広がった気がする。 「つぐみが桜を褒めるなんて珍しいね」 「そう。別に普通のことじゃない。でもどんなにキレイに咲いても。いずれ時が来れば散ってしまう。それは少女の時間を過ごしているあたし達も老いて朽ちて行くものよ」 「つぐみも小説書いたらいいのに。もったいないと思うけどな」 「自分が書いたら、楽しくなくなっちゃうじゃない。人のを読んでダメ出ししているほうが、あたし的に有意義なものなのよ」 「その説はお世話になりました」  わたしは今、小説を書いている。中等部時のとき、つぐみから小説を書いたらと勧められたのがきっかけだ。人と話すときよりも、文章にしたほうが、言葉がつらつらと出て来る。それからと言うままに書いてはダメ出しを受け、なんとか形にすることが出来たと思う。高等部に進学してからは文芸部に所属して、隔月に一回部誌を発行している。部誌は基本的に図書室に置かれている。手に取ってくれているのはごくわずかだ。読んでいる人なんて、きっとわたしのように教室でぽつりと存在しているような子達だろう。だけれど文芸部に所属して、数ヶ月したころからちらちらと見られるようになった。その理由がわからず、わたしは体を縮こませて逃げるように部室へと向かっていた。つぐみの話しによれば、わたしの小説が回し読みをされているとのことであった。読まれることは嬉しいことだけれど、その反面、恥ずかしさがあって、穴があったら入りたい気分だった。 「先輩達も葵さまさまだったよね」 「やめてよぉ。恥ずかしい」 「何言っているのよ。聖緑華女学院の樋口一葉と呼ばれている人が」 「何それ初めて聞くんだけれど」 「そりゃ、本人には言いづらいんじゃない。小柄でお人形のように愛らしい容姿、そして触れただけでも壊れてしまいそうな繊細な雰囲気が出ているんだもの。そりゃ声をかけづらいと思うわよ」 「お人形のように愛らしいって、わたしなんて至って平凡な容姿だと思うけれど」 「あのね。無自覚が一番の罪だと思うけれど。葵がほかになんて呼ばれているか知っている? 月をも恥じさせる華、葵姫だってさ。それで演劇部のヒロインがあんたの存在を気にしているとかしていないとか」 「それつぐみの創作噺とかじゃないよね」 「さぁね。葵に対しての呼び名は確かに呼ばれているけれど、演劇部事情のほうは真実かデマか」  真実は自分で確かめろと言いたいのだろう。  聖緑華女学院の演劇部は全国大会の常連だ。ひっそりと活動しているような文芸部とは雲泥の差だ。華のある演劇部のもとに、わたしが足を運ぶだなんておこがましいにも程がある。一呼吸をし、窓の外に咲く桜を眺めた。本当にキレイに咲いている。正直、わたしは桜の花が苦手だ。はらりはらりと散って行く様が、儚くて寂しく思えてしまう。なんだか置いて行かれてしまっているように感じてしまうのだ。わたしが目を閉じたその刹那、部室の扉がガラリと開いた。 「文芸部の部室ってここで合ってる?」  とても澄んでいて通る声、それは本校なら知らない人なんていないだろう。演劇部に所属していて、そして生徒の多くから『王子』と呼ばれている及川夏美さんだ。背が高くて性格も明るくてさっぱりとしている。そのためファンも多くいて、いつもたくさんの人に囲まれている。まるでみんなを照らすお日様のような人だ。いつも日陰に隠れているようなわたしとは程遠い存在の人だ。その人が、いったい何の用件があるのだろうか。目を向けると、及川さんと高岡美優さんが立っていた。演劇部のヒロインと言われるだけあって、小柄でふんわりとしていてとても可愛らしい。まるで西洋人形のようだ。 「いかにもここが文芸部の部室ですが、華の演劇部様が何のご用件でしょうか」  つぐみが、普段通りの冷めた声音で、及川さんと高岡さんに声をかけた。 「そんなに懸念しなくてもいいよ。文芸部に頼みたいことがあってね」 「頼みたいことって」 「そこに座っている川原葵さんに、脚本を書いてもらいたくて。とても素敵な物語の紡ぎ手だって聞いたもので。なんだっけ聖緑華女学院の樋熊紅葉だっけ」  及川さんの確認に、その場にいたメンバーが一斉に噴き出してしまった。確かに響きは似ているかもしれない。 「えっと、及川さんが言いたいのはもしかして樋口一葉ですか?」 「そう! それ! 川原さん天才!」  及川さんはわたしの手を握って、とびっきりの笑顔を浮かべた。突然のことでわたしの頭が理解しきれず、顔を赤く染めて彼女から目を背けた。 「い、いえ。そ、そのわたしも、それはさっき聞いたばかりのものなので」 「そうなんだね。にしても本当にちっさくて可愛いねキミ」 「そ、そんなことないです。小さいのは本当ですけど」 「川原さん、なかなか面白いね」 「お、及川さん。は、話し変わってると思うのですが…」 「あっ、そうだ。ごめんごめん」  及川さんは、うっかりしてたと言いたげに頭をさすって笑みを浮かべた。  マイペースというか単純にうっかり屋なのか。良くも悪くも明るい人なのだなと思ってしまう。内気で人付き合いに奥手なわたしとはまったくと言っていいほど、真逆のタイプだ。正直、わたしは及川さんのことが苦手かもしれない。明るくて、誰にでも優しいというのは好感を持てるけれど、わたしには到底手に入らないような輝かしさを持っている。わたしにとって、及川さんはとても眩し過ぎる存在なのだ。及川さんはいつも学年中いや学校中の話題になる人なのだ。時に及川さんが誰々に告白をされたという話しも聞く。高岡さんも多くの生徒から慕われるような人だ。美人の上、頭がよくお淑やかで周りを引っ張るだけのリーダーシップを持っているような人だ。本当に日に当たる場所にいるに値する人達で、影に隠れているようなわたしとなんて関わることなんでない。 「川原さん、お願いできないかしら」 「え、えっと、それはその…」  答えに困る。  脚本なんて書いたことがない。自分に書けるのが、自信がないのだ。わたしは口を噤み、力が抜けるかのように俯いた。彼女達と向き合う力も自信もない。 「あのさ、あなた達、一方的にお願いしているけれど。それ、うちがやって、なんのメリットがあるの?」 「メリットかぁ。そうだね。うまく言えないけど、川原さんの経験や力になると思う。あたし、あまり小説とか読まないけどさ。川原さんの小説からさ。優しさというか誠実さというか。とても暖かいものを感じたんだよね。だからも、もっとたくさんの人に届けたいんだ。川原さんの物語」  つぐみの問いかけに、及川さんはまっすぐな眼差しで真剣な言葉を発した。  わたしの物語を届けたいと思ってくれていたのはつぐみだけではない。そのことを知れただけど、素直に嬉しい。だけれど、わたしは自信を持てないでいた。 「その…、わたし…」 「うん。返事は今日じゃなくていいよ。でも出来るだけ早くほしいかな」  及川さんは優しく笑みを浮かべ、高岡さんに「行こうか」と声をかけて部室から出て行った。  少しの間、沈黙が流れた。まるで嵐が過ぎ去ったかのような感じだろうか。わたしはそっとパソコンを閉じた。わたしの心は微かに霧がかかっている。 「葵はどうしたいと思ってる? あたしは反対だよ。あの人達は利用するだけして、最後はぽいだよ。あんたはそれでいいの?」 「そ、それは…。利用されるだけというのはイヤだけれど。だけれど及川さん、そんな人じゃない気もするけれど」 「まったくこれだから箱入り娘は。いーい。あーいうスターって言われている人はね。使えるものはすべて使うって考えなの。だから葵は道具として見られているってこと」  脚本を書く道具。確かにそう思われているかもしれない。だけれど、そう判断するには及川さんや高岡さんのことをよく知らない。それなのに、二人からの頼みを無碍にすることなんて出来ない気がする。もちろんつぐみの言いたいこともわかる。わたしが傷つかないようにしてくれていることも。 「ねぇつぐみ。演劇部の頼みを受ける受けない関係なしにさ。演劇部との交流してみない。それから脚本のことを考えてみれば」 「あんたってつくづくお人好しよね。あたし、そこまで出来ないわ」 「ごめん。そうだよね」  つぐみの呆れ顔に、わたしは肩をすくませた。  その様子を見てか。つぐみはクスリと笑みを浮かべた。つぐみが気を抜いて笑顔を浮かべる相手なんて、学院内でわたしとそして…。 「葵の提案に乗ってあげようじゃない。そしたら、葵も決められて、あたしにとって納得する材料になるんでしょう」 「そうなることを願っております」  わたしとつぐみ、お互いの顔を見合い、そしてふふふと笑い合った。
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