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首がもげそうになるほど、天を直視する男がいる。空は灰を撒いたように暗く、今にも荒れそうであるが、男はそのことを待ち焦がれているようであった。
男には願い事があった。そしてそれを叶える方法も知っていた。
そのためにあらゆる準備を行った。すべての時間を費やすために仕事も辞めたが、生活には困らなかった。始まりの場所を予測し訪れ、それをかまえて時が来るのを待つ。そこが干ばつの地なら、住民に情報を伝える。当たれば心付けが貰える。上手くいかなければまた別の場所を探し、時を待つ。その繰り返しだった。けれど食べるための金銭と果たすべき使命があったので、男にとってその生活は苦ではなかった。
桜の花びらが鼻の上に落ちたら、だとか、流れ星が消える前に唱えたら、とか、願いを叶える迷信は多くあるが、男の前では意味をなさなかった。別に信じていないわけではない。むしろすべて試してみたのだ。そして願いは叶わなかった。それだけのことだ。
普通なら心が折れてしまうだろう。けれど男は冷静だった。そんな簡単なことで叶うものでは無いのだろう。願いと行為のバランスが不釣合いなのだから。叶えることが難しい願いには、実現することが難しい行為こそがふさわしい。
そして男はたどり着いた。己が願いを叶えるに相応しい迷信を見つけたのだ。
だから雨を待った。ひたすら男は待っていた。右手に小瓶を握り締め、左に漏斗をかまえ、最初の一粒目を待っていた。
そしてついにその時が来た。
湿ったにおいがあたりに立ち込み、一陣の風がふいた瞬間、左にかまえた漏斗にぽたりと音が落ち、一粒の水滴が円錐の中をつたう。驚きと興奮で小さく息を吸った男は、逃すまいと小瓶の口を漏斗の先に添える。渇いた瓶の中に初めて生まれた潤いはそれはそれはわずかなものであったが、蓋をした硝子を見つめる男の目はそのわずかな一粒に釘付けであった。
『降る雨の一粒目をつかまえることが出来たなら、願い事が叶う』
そんな迷信を信じ、人生をかけて達した男。だが、瓶に閉じ込められたそれが最初の一粒だとどうやって証明出来よう。あるいは願いが叶うという保証がどこにあるのだろう。
けれど男は満たされていた。ただ一粒を手に入れるためにすべてを注ぎ、のめり込んだ。本来の願いも忘れるほどに。いつしか男の願いは、最初の一粒をつかまえることになっていた。そして男は手にしたのだ。
降り始めた雨は勢いを増し、激しく男の体を打ち付ける。手から滑り落ちた小瓶が地面にぶつかり、最初の一粒は水たまりへと消えた。しかし男は動じず雨に打たれていた。ひどく幸福を含んだ表情で。男にとってはそれさえ、もうどうでもよいことなのだ。
完
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