記憶の片隅にある雨雲

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知らない駅に着いて電車から降りると、少しほこりっぽい匂いと慣れない土地の騒音に心拍数が上がる。 ひとまずお父さんに電話をかけた。 ワンコール、ツーコール……。 出る雰囲気がない。仕事終わってるはずなのに。 仕事が終わったらこの駅に迎えに来てほしいと連絡を入れようとしたところで電源が落ちてしまった。 辺りがやたら暗い。 駅から出てみれば建物なんてほとんどなくて、目の前にあるコンビニだけが頼りだった。縋るようにそこに入った。 店内は閑散としていた。店員のやる気が見えない「いらっしゃいませ」、ほとんど作ってないのか空っぽのホットスナックのケース。 何もかも、田舎であることが漂っている。 ここはどこなんだろう。 スマホがないから現在地も確認できないし、充電器を買うほどのお金はもう残っていなかった。 行き先が分からない今日を考えたくなくて、立ち読みに逃げた。立ち読みできないように縛ってあるような所じゃなくてよかった。 ファッション雑誌で適当に時間を過ごしてたときだった。 客が来た。その客の香りが記憶をくすぐった。真隣に気配を感じ、ふとそちらに目を向けた。 「っ……!」 私はそれを認識した途端、吐き気を催す一歩手前になってトイレに駆け込んだ。 なんで。なんで。 なんでここにいるのだろうか。 幸いにも吐かずに済んだので、一息ついてからまた店内に戻った。 先程の雑誌コーナーにはまだ先程の客がいた。 目が、合った。 「あなたは」 か細い声。いかにも震えて消えそうな、消失感のある声。酷く、目が腫れて泣いたあとのようだ。 「家に帰らないの?」 促してる感はなくて、ただふと思い浮かんだことを口にしたような感じだった。だからあえて答えずに手元の雑誌に目線を逃げた。 「娘を守れなかった」 それでも構わずに話し続けている。 「今も……前も」 パラパラページをめくる事に送られてくる情報は全然入ってこなくて、行動だけ先走ってる。 「昨日で十一歳になった娘がいたんだけどね、電車に………撥ねられたみたいで」 顔の知らない義妹が私より先に旅立った。それも数分前に乗車していた電車に。 「ごめんね、急に知らない人からこんなこと言われて戸惑うよね」 掛ける言葉なんてない。義妹って言ったところで実際に対面したことない見知らぬ人だから。それに。 「………いえ」 _______『 急に知らない人からこんなこと言われて戸惑うよね』― 十二年もあれば風貌は変わるのだろうけれど。少し期待してたことも、ない。 「そう。……あなたのこと見てたらもう一人の娘を思い出しちゃうわ……」 いっそのこと他人のフリをしよう、心ごと。 私にはお母さんなんていない。 この“目の前の女性”は数年前に家を出て行った人とは違う。そう、全く違う。 「……私、何年前かに家を出たの。四歳の娘を置いて」 「そうですか」 「もう何年経つのかな……」 そう眉をまげながら微笑む姿は何も変わらなかった。目に小じわがあるけど、面影はなんにも変わらなかった。 「………十二年」 「それくらいかしら。多分、あの子は私のことなんか忘れてるかもしれない―」 「忘れるわけないです」 「私はあなたのお母さんのようにいい人じゃないのよ、忘れ「忘れるわけないじゃん!!!」 店内で大きい声、出したくなかったのに止められなかった。 お母さんが目を大きく見開いた。 「分かってないのは……お母さんでしょ」 よく小さい頃このセリフを言ったもんだ。お母さんが買ってきたぬいぐるみが私の好みと違うくて。私の好みなんにも分かってないって受け取らなかったぬいぐるみ。今はベッドの傍に置いてある。 「……? 貴方は……」 酷く、疼いた。 「私はずっと、ずっっと覚えてた。 会ったときから分かってた!!」 ひんやりとした視界。 胃の中が空っぽで良かった。 また、胃酸がトロトロ蠢いてトイレに駆け込みたくなった。そんなこと言ったって何も変わらないのに。捨てられたことを忘れようとしていただけだ。何も思わないようにしてただけだ。 大声を出したことが急に反響されて目を逸らした。 あー、何やってるんだろう。何年も会ってない人にムキになって。 情けないな。 ただ、そこにはなんとも言えない空気が漂っていた。
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