ふたりの記憶  理想的な家族7ー碧

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「ああっ、おかえりなさい。ひどい雨だったね」  帰宅して、出迎えてくれたのは撫子(なでしこ)さんだった。傘を差しても(大翔は差していたとは言えないけど)びしょぬれになってしまった二人の為に、バタバタとタオルをとりにいってくれた。 撫子さんは、お父さんの弟子で、仕事で家にいないことが多いお母さんの代わりに、こうして家にやってきて碧たちの世話を焼いてくれる。 「こんにちは、撫子さん。あっ、なんだかいい匂い!」  大翔は撫子さんにタオルで拭かれながら、早速鼻を動かしていた。 「よく分かったね。新作のケーキよ。試作品を持ってきたの」  碧たちの父親は、パティシエだ。どうやら有名らしい。それで、篠山家にはよくケーキの試作品が持ち込まれる。 「やった」  試作品でも何でもやっぱりケーキは嬉しい。  大翔はざっと拭かれたところで、もうキッチンに向かって走っていった。 「ちょっと、まだちゃんと、拭けてないよ」  撫子さんはそう大声で言いながらも、苦笑して、あきらめた。  次に碧を拭いてくれる。  碧はじっとしている。  この人は優しい人で、大翔なんかは懐いているが、姉のこころちゃんが嫌っていることを碧は知っているので、ただじっとしていた。  撫子さんも何をしゃべるわけでもなく拭き終わると、「はい、いいよ」と言って、碧から離れた。  碧は「ありがとう」のつもりで、頭をぺこりと下げ、自分の部屋へ、ランドセルを置きに行った。  その後、キッチンに下りて行くと、大翔が物足りなさそうな顔で、ダイニングテーブルの椅子に座っていた。目の前にはカラの皿。もう食べてしまったらしい。  大翔が見つめる中、碧は冷蔵庫を開け、皿にのっているケーキを取り出した。  タルト生地にベリーの鮮やかな赤色が見えた。  お父さんが作ったんじゃないな。  そう思いながら、席につき、一口食べてみる。  ああ、やっぱり。  お父さんのケーキじゃない。  横で「待て」中の犬のように、待機している大翔の方に皿を押しやると、大翔は「いいの?」と言うが早いか、ペロリと食べてしまった。  もっと味わって食べろ、と思う。  撫子さんのケーキもおいしい。ただ、お父さんには及ばないし、碧の好みとはちょっとずれているだけだ。  そもそも、この家で自分のケーキの試食をさせようとするのが、間違っているような気がする。  あと二つ冷蔵庫に入っていた。兄の(なぎ)くんは物も言わずに食べるだろうし、こころちゃんの機嫌は悪くなるだろう。  二つの皿がカラになったところで、撫子さんがキッチンに入ってきた。 「どうだった?」  訊かれて大翔は「おいしかった!」と即答し、碧はこくんと頷いた。 「そう、よかった」と言う撫子さんを見て、この人は一体何がしたいんだろうと、碧は不思議に思った。  わたしたちみたいな子どもに美味しいと言われて、撫子さんは満足なのかな?  撫子さんは少しして、店に戻っていった。 夕ご飯を用意してくれたから、碧たちは助かるが、こころちゃんの憂いは晴れそうにない。  夜になっても雨脚は弱まる気配がない。いくら雨好きの碧も、さすがに不安になる。  この辺りは土砂崩れも川が溢れる心配もないが、こころちゃんが帰ってこれなくなったらどうしよう。  大翔は、大丈夫かな。
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