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「ああっ、おかえりなさい。ひどい雨だったね」
帰宅して、出迎えてくれたのは撫子さんだった。傘を差しても(大翔は差していたとは言えないけど)びしょぬれになってしまった二人の為に、バタバタとタオルをとりにいってくれた。
撫子さんは、お父さんの弟子で、仕事で家にいないことが多いお母さんの代わりに、こうして家にやってきて碧たちの世話を焼いてくれる。
「こんにちは、撫子さん。あっ、なんだかいい匂い!」
大翔は撫子さんにタオルで拭かれながら、早速鼻を動かしていた。
「よく分かったね。新作のケーキよ。試作品を持ってきたの」
碧たちの父親は、パティシエだ。どうやら有名らしい。それで、篠山家にはよくケーキの試作品が持ち込まれる。
「やった」
試作品でも何でもやっぱりケーキは嬉しい。
大翔はざっと拭かれたところで、もうキッチンに向かって走っていった。
「ちょっと、まだちゃんと、拭けてないよ」
撫子さんはそう大声で言いながらも、苦笑して、あきらめた。
次に碧を拭いてくれる。
碧はじっとしている。
この人は優しい人で、大翔なんかは懐いているが、姉のこころちゃんが嫌っていることを碧は知っているので、ただじっとしていた。
撫子さんも何をしゃべるわけでもなく拭き終わると、「はい、いいよ」と言って、碧から離れた。
碧は「ありがとう」のつもりで、頭をぺこりと下げ、自分の部屋へ、ランドセルを置きに行った。
その後、キッチンに下りて行くと、大翔が物足りなさそうな顔で、ダイニングテーブルの椅子に座っていた。目の前にはカラの皿。もう食べてしまったらしい。
大翔が見つめる中、碧は冷蔵庫を開け、皿にのっているケーキを取り出した。
タルト生地にベリーの鮮やかな赤色が見えた。
お父さんが作ったんじゃないな。
そう思いながら、席につき、一口食べてみる。
ああ、やっぱり。
お父さんのケーキじゃない。
横で「待て」中の犬のように、待機している大翔の方に皿を押しやると、大翔は「いいの?」と言うが早いか、ペロリと食べてしまった。
もっと味わって食べろ、と思う。
撫子さんのケーキもおいしい。ただ、お父さんには及ばないし、碧の好みとはちょっとずれているだけだ。
そもそも、この家で自分のケーキの試食をさせようとするのが、間違っているような気がする。
あと二つ冷蔵庫に入っていた。兄の凪くんは物も言わずに食べるだろうし、こころちゃんの機嫌は悪くなるだろう。
二つの皿がカラになったところで、撫子さんがキッチンに入ってきた。
「どうだった?」
訊かれて大翔は「おいしかった!」と即答し、碧はこくんと頷いた。
「そう、よかった」と言う撫子さんを見て、この人は一体何がしたいんだろうと、碧は不思議に思った。
わたしたちみたいな子どもに美味しいと言われて、撫子さんは満足なのかな?
撫子さんは少しして、店に戻っていった。
夕ご飯を用意してくれたから、碧たちは助かるが、こころちゃんの憂いは晴れそうにない。
夜になっても雨脚は弱まる気配がない。いくら雨好きの碧も、さすがに不安になる。
この辺りは土砂崩れも川が溢れる心配もないが、こころちゃんが帰ってこれなくなったらどうしよう。
大翔は、大丈夫かな。
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