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「ねえ、彰久。雨だね」
少し手狭だけれど、小綺麗なマンションの一室で私と彰久は同棲していた。
窓ガラスを打ち付ける雨音に、私は彼との思い出を浮かべている。
「え? うん、雨がどうかしたの?」
「ほら、私達の出会いのさ」
「ああ! 君が雨の中歌ってたときね。あれは本当にびっくりしたな。だってびしょ濡れで構わず歌ってて」
「なにそれ、なんか私変みたいじゃん」
そうじゃないって、と彰久が笑う。
なんだか納得いかないが、心地よい雨音が私の気分を変えてくれる。
「ね、思い出の歌、覚えてる?」
「えっと」
「……私があの時、歌ってたさ」
「ああ、あれね!」
彰久がそう言って歌い出したのは、思い出の曲ではなかった。
「え?」
しかも、私の他の曲でもない。
全く聞いたことのない歌だ。
「なにそれ! そんな曲じゃないよ! 最低っ」
「待って、何で怒るのさ!」
「だって、彰久、私との思い出の曲……」
泣きそうだった。
いや、涙は私の意思とは関係なく、あふれ出ようとしていた。
私は反射的に、窓を開けてベランダに出た。
強めの雨粒を浴びながら、私は歌った。ほとんど反射的だ。
「ほら! それ、思い出の曲だろ」
「なによ……彰久。歌うの邪魔しないで」
「だって、さっき僕が歌った曲と同じじゃない」
「え……?」
そう言って、彰久がまた歌い出した。
さっき彼が歌った曲と――また別だ。全然違う。
「あのさ、それ私が歌った曲のつもり? さっき自分が歌ったの、もう一回歌っているつもり?」
「うん」
どうやら、彼は極度の音痴らしい。
私は笑って、二人して部屋に戻った。
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