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第1章 遺産相続
「狭間の家には行きたくない」
「葬儀はお寺だって。えっと、何て言ったっけ・・・」
「忌国寺。あのお寺も好きじゃないわ、薄気味が悪い」
節子は葬儀への参列を拒んだ。
「だったら、断っちゃえばいいじゃないか。ろくに顔も覚えてない俺が行ったって」
昭輔が投げやりに言う。すると節子は昭輔に面と向かうと、
「どうしても来て欲しいって、そう言うのよ。それに今の当主の京介さんはいい子だし。お願いだから、昭輔行って来てちょうだいな」
と、懇願した。
狭間家は母節子の実家だ。そして父健輔の実家でもある。健輔は婿養子で、それが結婚を許す唯一の条件だったらしい。
だが、実家との折り合いの悪かった節子は昭輔が学校へ上がる前に健輔共々家を出てしまった。以来、昭輔は一度も狭間本家に行ったことはない。
「でも、享一郎さんだっけ。悪いけど従兄弟の顔、覚えてないよ」
「仕方ないわよ。昭輔はまだ5歳か6歳だったから」
「なら、行ったって・・・」
「お願いよ。挨拶なんてしなくていいから、普通にお香典持って行って来て」
節子は手を合わせて昭輔に哀願した。
10年前父健輔が死んだ時、節子は狭間家の墓へは入れず都内の霊園に葬った。自分もいずれそこへ入ると言う。
だけど今、狭間家の葬儀に昭輔の代理出席を望んでいる。
縁遠くなった親族たちと今更顔を合わせたくないという気持ちは昭輔にも理解出来た。が、一方で逃れがたい血というものがあるのかも知れない。
昭輔は仕方なく葬儀の行われる狭間家菩提寺の忌国寺へと出掛けた。
忌国寺は東京とは川ひとつ隔てた私鉄沿線にあった。歴史を感じさせる古い建物だ。節子の言うように薄気味悪くはなかった。
葬儀は滞りなく終わった。
ところが葬儀から半月ほどして今度は昭輔自身に四十九日法要へ来て欲しいと連絡が来た。法要の後親族会議を開くと言う。
「まあ、そう言わず来てくれないか」
名前も知らない親族の男がそう言った。
「申し訳ないですが、仕事もあって・・・」
断ろうとする昭輔に電話の男が畳み掛ける。
「頼むよ。相続の話しもするんで、決して損な話しじゃないから」
「相続とか、僕は別に・・・」
昭輔は口を濁した。
「節子さんもそうだが、お父上健輔さんにとっても享一郎君は甥っ子だったんだからさ、ここは頼むよ」
昭輔にとって従兄弟狭間享一郎は何も縁のない人だった。だが、父や母にとっては甥っ子として縁があったのかも知れない。
とにかくしつこく請われて昭輔は渋々承諾した。
それで再び忌国寺へ行くことになった。
法要と納骨を終え、親族会議の主題は相続問題だ。ところが財産分与の内容はかなりおかしなものだった。
従兄弟の享一郎が住んでいた家は今風に言えば8LDKという純和風の広大なものだった。庭も広くこの界隈では邸宅級と言っていい家だ。
享一郎の父つまり昭輔の叔父亨介が亡くなってから享一郎はここに一人で住んでいて、かれこれ20年くらいになる。彼は生涯独身だった。
「つまり、従兄弟の土地は全て私にくれるって、ことですか・・・」
昭輔は財産分与の親族会議でもう一度聞き直してしまった。
「うん。税金は払って貰わなくちゃならんが、健輔さんの遺産もあるし何とかなるだろう。家の取り壊し費用の方は我々で工面してやる。ここにマイホームを建てるといい」
親族を代表して遠縁の男が言った。後で母に聞くとこの男の家は何代か前に狭間家から別れたという。まさに遠縁だ。
その鴻上という遠縁の男がこっちが知らない父が相続した土地のことまで承知しているのは全くの謎だった。
他の出席者も葬儀の折見掛けた程度でほとんどが名も知らない人たちばかりである。
母の父、昭輔の祖父は無頼の人で様々な逸話が残っている。母もその少なからずを聞いたことがあるという。
若い頃は家に寄り着かず、日本全国のみならず満州や上海にも居たことがあるそうだ。
「しかし、なんでまた。だってそうでしょう。享一郎さんの土地家屋、うちの母に権利は何分の一かあると思いますけど。私には・・・」
昭輔がなおも懸念を表明すると鴻上は言った。
「法律がどうとかの話しじゃあないんだ。法的な権利者がそれを主張すると結局土地は売却して金で分けるしかなくなる。あの土地は確認できる限りで5代は遡れる狭間家の宝だよ。売却してしまうわけにはいかない」
すると今度は猪狩みさ緒と名乗る母の姉の娘が口を出した。
「元はお祖父さまの土地なんだから正統な権利者が引き継ぐのが筋だと思いますよ。母清美もそう言っておりました」
そして鴻上が続けた。
「実を言えば、享一郎君は突然だったんだが、亨介さんは遺言があってね。自分に何かあれば土地屋敷は享一郎に譲るが、その後は健輔君に引き継いで貰いたいと言ってたんだ。これは享一郎君も同意していた」
何とも不可解な親族会議だったが、従兄弟享一郎の土地は昭輔のものとなった。
約束通り鴻上ら親族たちは金を出し合い享一郎の家を取り壊してくれた。
「広いわねえ!」
「更地になると広く感じるから。とは言え200坪近くあるからな・・・」
「そんなに・・・」
「まあ、田舎だし」
手続きもあり、昭輔は加代を連れて更地になった相続不動産を見に寄った。
「確かに駅から遠いし、町は寂れてるし・・・でも車で駅まで出れば、都内まで1時間だから通勤も出来るしねえ。」
妻の加代が勝手なことをしゃべっている。
通勤するのは自分なんだ。会社まで1時間半掛かる。が、昭輔はそれを言う代わりに妻に夢を語った。
「ああ。これだけの土地なら大きな家が建つ。母の部屋も用意できるし、手狭になっている子供たちの部屋も。広いリビングでの家族の団らんも・・・」
「吹き抜けのリビングなんか、いいわね」
加代も夢見心地のようだ。
それにしても・・・、
「手回しが良過ぎないか・・・?」
と昭輔。
「どうしたの?」
「決まった途端に更地になってる。四十九日からまだ2週間だぞ」
「あんな古い家だから、取り壊すのもあっという間なんじゃない?」
と加代は楽天的だった。
「だけど、加代。じゃあ、すぐここに新居を建てようって訳にはいかないだろう」
加代は急に現実に引き戻されて不機嫌な顔だ。だが、加代も現状はよく承知していた。
「子供たちのこともあるし、さすがに戸建てはね・・・」
だから諦めたような言い方をする。
だが、目は広い土地を見詰めていた。
数日後、昭輔の家を三吉建設の社長が訪ねてきた。狭間の親族から頼まれたということだ。新しい家の建築の相談に乗るという。
その男は家族構成や家族の年齢などを聞き出した上で近々に提案書を用意すると言った。
「でも、まだ金の算段も出来ていないんで・・・」
「いや、お金のことは銀行やお勤めの会社の福利厚生など当たってみてはいかがでしょうか。どのみち設計を固めるのに3ヶ月くらいは掛かりますから、同時進行して行けばいいんですよ」
その男は笑顔でそう言った。いや、金を出すのはこっちだから、昭輔は心の中で悪態をつく。だが、三吉建設社長三吉浩一が持参した施工実績集は否応なく昭輔の気持ちを煽った。
透明ホルダーに収められた様々な住宅の写真はどれも個性的で洒落ていて、住み心地が良さそうだ。
「既に土地は手に入れられた。もう更地になっているとお聞きしましたよ。後はどんな家を建てるかだけじゃありませんか」
三吉社長は何を承知しているのか分からなかったが、どこまでも気持ちを煽る。
三吉建設が帰った後、鴻上から電話が掛かってきた。
「三吉建設はどうだった?」
そう電話口で尋ねる鴻上に昭輔は、
「先走らないでくださいよ。先立つものがあるわけで、いきなりは無理ですよ」
と答えた。
「まあ、建設費はさすがにあれだが、でも、昭輔君も来年は45だっけ? ある程度の貯金はあるんだろ? 後はローンを組めば何とかなるんじゃないのか」
昭輔はその言い方に少々腹が立ってきた。それで、
「子供2人の教育費もあるし、そんな貯金をはたくようなことは出来ません。三吉社長さんからざっくりとした価格を伺いましたが、5千万なんて無理ですよ」
そう言い切ってみた。
すると鴻上は急に落とした声で返してきた。
「確かにな。百八十坪あるからな。2階家だとして180㎡くらいかな。だとすれば5千万はいってしまうだろうな」
その後鴻上は、建てるのは昭輔君だからじっくり検討してみるといい、そう言った。そして節子さんにも相談してみなさいと付け加えたのだった。
その夜、昭輔がダイニングで三吉建設施工実績集を眺めていると母の節子が隣に座った。
「母さん、そりゃ新しい家はいいけど、土地も貰っちゃったけど、いきなり5千万とか無理だって」
昭輔が話し掛けると、節子は少し思い詰めたような顔で言った。
「いいんじゃないの? 加代さんだって期待してるんじゃないかな? 私もね、お父さんと静かに話の出来る部屋が欲しいわ」
「仏壇のこと?」
父健輔の位牌を納めた仏壇は置く場所がなくて、マンションのリビングに置いてある。
「母さんには申し訳ないと思ってるよ。一緒に住むのはいいけど部屋も用意できてないし、リビングに布団を敷いて寝て貰ってるのは済まないと思ってる。もっと広いマンションに引越せればよかったんだけど、美咲のこともあったし・・・」
昭輔がいかにも申し訳ないといった顔で母に話した。
「そんなことはいいの。それでね、前住んでいたマンションを処分したお金と、お父さんの、少ないけど退職金が残ってる。それに例の土地代の残りも少しあるわ。全部で2千万くらいあるからそれを使ってちょうだい。」
母節子はそう申し出た。
「だって、それは母さんの老後の蓄えで・・・。俺が貰うわけにはいかないよ」
「いいのよ。一緒に住むんだし」
昭輔は母の顔を見た。そして、
「うん・・・。親父のあの土地は驚いたけどね」
と付け加えた。
「父は先の見える人だったから・・・。出ていった娘婿にも残しといたのね。でも私にも知らせないって何なのよね」
「十四郎さんか・・・」
と昭輔。十四郎は昭輔の祖父である。
「5千万かかるとして、残り3千万でしょ。1千万くらい貯金はあるんじゃないの? 加代さんだって一流企業で仕事してたんだし。残り2千万を住宅ローン組めば何とかならない?」
そう計画を示されて昭輔の心は大きく傾いた。母にとっては故郷の町であり、昭輔にとっても短い間だったが幼少期を過ごした土地なのである。
こうして自宅新築の話しは具体化していった。夫婦で1千万円を用意し、2千万円を会社の福利厚生で低金利の住宅ローンを借りることが出来そうだ。
20年ローンで月々10万円以下である。今払っている家賃よりずっと安い。定年まで働けば楽に完済できる。これなら行ける、昭輔はそう確信した。
そうなると今度はどんな家を建てるか、という話になる。三吉建設の三吉社長は早速提案の計画図を描くと申し出た。
そして、家の規模や間取りのことなど昭輔一家の希望を尋ねてきた。
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