ぼくらが知っていることについて

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ぼくらが知っていることについて

 このシェルターの人間はぼくたちのことをnewと呼ぶ。新世代、新人類という意味で、”new”と呼ぶようになった。”new”や”newboy”と呼べばぼくのことだし、”newboys”と呼べばぼくら4人のことだ。(ちなみにお年寄りは、“にゆう”や“にゅう”とひらがなで発音する)  シェルターに人間が入ったのは、20年以上前のことらしいけど、このシェルターで初めて生まれたのがぼくだった。そのあと一人では寂しいだろうから、と2人生まれた。そのまた少しあとに1人。それ以来、子どもは誕生していない。 だからここではぼくが最初の新人類で、初めての“newboy”なのは間違いない。  各国に何百個とあるらしい他のシェルターにも、もしかしたら“new”がいるのかもしれないけれど、大人たちはたまに顔を突き合わせて通信から入る音声を深刻そうに聞いている。  もう連絡がとれないシェルターがあるとか、家族と連絡がとれないとか。私たちはどうなるの、と小さな悲鳴なような声が聞こえてくる。  ぼくらはそんなことは知らないふりをして、シェルターの中を走り回る。大人たちはそれを笑顔で、時に涙を浮かべてみんなが眺めている。だからぼくらは何も知らない無垢な子どものようにふるまうのが『仕事』だ。 「ママが勉強をしなさいってうるさいんだ」  ノゾミはそう言って不思議そうにつぶやいた。  彼女の名前は、漢字で書くと希望だ。大きすぎる願いがこもった名前をつけられた彼女はそれでもその名前を気に入っているらしい。  “勉強”することにどんな意味があるのかぼくたちはあまり理解していない。  シェルターには“学校”という集まりがあって、有志の人たちがいろんなことを教えてくれる。毎日、シェルターの中の一室に4人で集まるのだ。  ぼくたちがいるらしい、ニッポンという国の歴史やシェルターで暮らす理由、時には料理の仕方や、食材の育て方を教えてくれるのが“学校”だ。 「将来のことをちゃんと考えろって俺の親も言うぜ」  未来と書いてそのままミライと読む名前を持った彼は、ぼくの親友であり、大人に言わせると悪友(ふたりでいたずらをすれば僕らは無敵だ)である彼は将来の発音が確実にカタカナだった。  学校では日本語と英語と中国語を教えてくれる。いつかあなたたちが外の人と通信をしなければいけなくなったときに、困らないように、と。  “将来”というのもぼくらにはまだよくわからない。だってぼくらはシェルターにいるしかないのだ。大人のように体が大きくなったって、なにかが変わるとは思えない。 「でもそれだけじゃないってわたしのパパとママは言うの。愛情を持つことが一番大事って」  ぼくが生まれるとき、大きな大きな反対があったそうだ。大人たちはこのシェルターで意図的に子どもを作らなかったらしい。  人類はもう滅ぶべきだという人と、生存を目指すべきだという人はたびたび衝突する。  ぼくはその中で生まれた。そしてノゾミとミライは、最初から“ぼくの友達”として生まれてきたのだ。  アイと名付けられた彼女はそのあとに『愛しあっている』二人の間で生まれたらしい。漢字は言わなくともわかる。愛という字が名字の下にきれいに並ぶ。  だからアイの両親は、特にアイをいつくしんでいるように思う。ノゾミとミライの両親も彼らのことを愛していないわけではないけれど、アイの両親とは少し違うような気がする。  アイはその両親の元に育ち、ぼくらの中で彼女は一番の夢見がちで一番年下の女の子だ。  子どもがこうやって大人に聞かれたくない話をする場所は、地上に一番近い場所。シェルターの隅っこにある階段の一番上と決まっている。  階段の一番上にある少し広めのスペース。今はふさがれてしまっているが、この先には地上への出入り口があったらしい。  大人たちはみんな、ここを通って中に入った。  ぼくはここで、まずはあったはずの扉を想像する。そしてその向こうにあるはずの、もしくはあったはずの大人たちの口からしか聞いたことのない外を想像する。  目を閉じて外の景色を考えるその時間が一番好きだ。彼らはぼくの友達だからこの時間の邪魔をしたりはしない。  こうやって子どもだけで集まっているときのぼくらは“普通の子ども”だ。大人の前ではしゃいだりいたずらをしたりするのは、大人が望んでいることを演じているように思う。  ぼくらはぼくらだけで集まる場所が、一番ぼくららしくいられることを知っている。そしてぼくは地上に一番近い場所で地上を想像しているときが一番自分らしくいられることを知っている。 「そろそろ戻ろうか」  ミライがそう言って目を閉じているぼくを小突く。そっと目をあけて突きささった明りに目を細めた。 「お前は本当にここにいるのが好きだよな」  戻るのが嫌で目を細めたわけではないけど、ミライはそう受け取ったらしい。この4人の中で一番リーダーらしいのはミライなのに、彼はぼくに嫌われないようにふるまう癖がある。  内緒話にこの場所を選んだのもきっとぼくのためだ。そしてみんなのもとへ戻る時間を彼が正確に見定めるのもぼくのためである。 「そうかな」  そう簡単に答えて起き上がる。ミライが思っていることをぼくは否定も肯定もしない。喧嘩をするのはひどくめんどうだからだ。  いつだったかぼくとミライで大きな喧嘩をしたことがある。大人を巻き込んだ大騒動に発展して、それに辟易としたぼくらはいつの間にかいつも通りに話していた。それ以来、ぼくらは一度も喧嘩をしていない。 「そういえば、お前はなんか将来やりたいことあんの?」  先ほどの“将来”の話の続きだろうか。ぼくは途中からよく聞いていなかったけれど、彼らにとって大事な話をしていたのかもしれない。ぼくは周りからよくぼんやりしているといわれるだけあって、大事なことを聞き逃してしまう癖がある。 「雨の音が聞きたい」  ぼくのぼんやりとした呟き(でも思ったことをそのまま言っただけだ)に、階段を降りかけていた3人が慌てたようにぼくの元に戻ってきて、ミライがぼくの口を塞いで声を潜めた。 「お前それ、地上に行きたいってことかよ」  慌てるのもわかる。シェルターでは地上に行きたい、という気持ちはあまり口に出すものではないと思われている。  それでもぼくは、ミライの問いに、口を塞がれたまま首肯した。手を外してほしくて、ミライの腕を2度たたけば、彼はわざとらしく大きなため息をつきながら腕を外してくれた。言われてないけれど、勘弁してくれよ、という声が聞こえてきた気がした。 「言うなよ、そんなこと。またお前の母ちゃんに泣かれるぞ」 「わかってるよ」  悪かったという意味を込めて、今度はミライの肩を2度たたいた。それは正しく伝わったようで、安心したように笑って彼はまた階段に足を向けた。ノゾミとアイもそれに合わせて階段を下りていく。  3人を追うようにぼくも階段に足をかけながら、それでも、と思う。  ぼくはいつか本物の雨の音が聞きたかった。  母は、僕が“生を受けた日”のことを何度も話す。ぼくは聞き飽きてしまって、いつもただうなずいているだけだけど、それでも心のどこかでその話を聞くのを喜んでいる。  シェルターに入って9年が経とうとしているころだったらしい。母はその日、聞こえるはずのない雨の音を聞いたという。  世界各国にあるシェルターは地下に作られていて、完全に密閉され、外からの光が入ってくることはない。そして外の音も聞こえない。聞こえるのは酸素を作りだすための機械の音だけだ。学校の先生が言うには、完全に遮断された完璧なる社会、というものらしい。  そこで母は聞こえるはずのない雨の音を聞いた。青々しく茂った緑を打つ、恵みの音が私の耳に確かに聞こえたの、という母は次の日にぼくがお腹の中にいることを知ったそうだ。  ”newboys”であるぼくらは空から、有害物質ではない水滴が降ってくるのは想像もできない(そもそも天井以外の空というものを知らない)し、人の声や楽器以外の音なんて人工的なものしか知らないけれど、母の言う雨の音をぼくは確かに知っている気がするのだ。  青々と茂った緑を打つ、恵みの音をぼくは生まれる前から知っている。  小さいころに大人にせがんで見せてもらった雨の映像は、衝撃的だったし、天井とは違う青い空の写真にも驚いたけれど、ぼくが知っている雨の音とはどれも違った。  ぼくが知っている雨の音は、そこがぼくの帰る場所だと教えてくれるのだ。ぼくが地上に一番近いあの階段の踊り場で想像する外の景色はいつも雨でぬれている。 △ 「おれの父ちゃんってどこに行ってるのかな」  ミライの誕生日が近づいた日のことだった。いつもの階段の踊り場でミライは不安そうにつぶやいた。 ミライのお父さんはここ数日、姿が見えなかった。数日前に聞いたときはたしか、どこかにでかけている、と言っていたはずだ。 「どこかにでかけるって言ってなかった?」  数日前に同じことを聞いたノゾミが口を出す。ミライは困ったように眉を下げて、ノゾミを見た。 「母ちゃんがそう言ったんだよ。でもシェルターの中はいくら広くたって、端から端まで3日もあれば往復できるだろ」  ミライのお父さんはもう1週間も帰ってきてなかった。  ぼくらが暮らしているのは、シェルターのちょうど中心部にある場所だ。ぼくらがいる階段は、長方形でいうと、長い辺の真ん中あたりに位置するところだ。真ん中の居住区の一番端。ぼくらは、長方形の短いほうの辺の場所までは行ったことがない。 「戻ってこなかったらどうしよう」  ミライのつぶやきにぼくたちは思わず黙ってしまった。  シェルターではたまに、人がいなくなる。それは5年に一度あればいいくらいのことだけど、ごくたまにそういったことが起きるのだ。  それはぼくらにとって決して他人事ではない。なぜなら、ぼくが知る限り、最初にいなくなったのがぼくのお父さんだからだ。 「お母さんにもう一度聞いてみたら?」  アイが無邪気に笑顔を見せる。もしかしたら、ミライに誕生日プレゼントを買いに行ったのかもしれないわ、とぼくにそっと耳打ちをした。  たしかにアイの両親だったらそれで済んだだろう。でもミライの両親は、ミライにそういった形の愛情をむけるようには思えなかった。 「なんにせよ、もう一度、聞いてみるしかないんじゃないか」  ここで話していたとしても子どものぼくらにできることはなさそうだった。アイが言うようなサプライズは起きないだろうが、ここで話していてもミライのお父さんが帰ってくるわけではない。 「帰ってこなければ探しに行けばいいよ。わたしたち、もう端まで歩けるでしょ。みんなで行こう」  ノゾミが励ますようにそう言った。それに力なく頷いたミライは、踊り場から見える時計台を見て、帰ろう、と言って立ち上がった。  ノゾミとミライも立ち上がって先に降りていく。時計台の鐘が鳴る前を見極めるのがミライはうまい。それがぼくのためだと、ぼくは知っている。  ミライはぼくのほうを見て、悲しそうな顔をした。ぼくはミライに近づき、背中を2度叩いてやった。励ますためだ。それが一番ミライ正しく伝える方法だからだ。  ノゾミとアイは、きっとミライのお父さんはちょっとでかけていて帰ってくると思っているだろう。6年前に住人がいなくなった日のことを2人は知らないのだ。  でもぼくら2人は違った。アイやぼくが言ったように、大人に聞いてもはぐらかされるだけだし、誰も何も教えてくれない。たぶん、ミライのお父さんは帰ってこない。 「帰ってこなかったら、ノゾミの言う通り、探しに行こう」  ミライからは返事のかわりに肩にグーパンチが飛んできた。それを確認して、ぼくも階段を下りる。 「じゃあ、その代わりにいつかお前と一緒に雨の音を聞きに行ってやるよ」  ぼくが階段を半ばまで降りたところで、ぼくを追い越したミライは手すりを器用に使い、体をこちらにむけてそう言った。  もしかしたら大人に聞かれているかもしれない場所でミライにしては不用意な発言だった。彼はぼくらの中で一番、大人に対して慎重だ。嫌われないように、仲間外れにされないようにふるまう。誰かはそれを社交性があると表現するけれど、どちらというといつも何かを恐れているのだ。  だってぼくらは大人が嘘つきだと知っているし、ぼくのお父さんがいなくなった日のことを忘れていない。 「わかった。一緒に行こう」  いつもぼんやりしているぼくにしては、大きく頷いた。ミライは目に涙をためて、頷いた。頷いた拍子に涙が地面にこぼれた。  階段の下にいる人からは死角になるように、ミライが背を向けていてよかったのかもしれない。また喧嘩だと思われたら大変だ。 「帰ろう」  服で乱暴に涙をぬぐって、ミライはいつものようにそう言って、体を反転させ階段を駆け下りていった。  ぼくは止めていた足をまたゆっくりと動かす。ミライのように運動神経がいいわけではないから、この階段を急に下りたら転がり落ちてしまいそうだからだ。  ぼくら2人は、いつかの誰かのように両親や、“ぼくら”もいなくなるんじゃないかと恐れているのだ。  階段を下りれば、「おう"newboy"元気か」と同じ居住区のおじさんに声をかけられる。ぼくはいつものように「元気だよ」と返事をして片手をあげる。    大人は挨拶は大事だ、と言うし、ぼくはそれをおろそかにしたことはないけれど、あまり得意ではない。  だってまるで、ぼくらは常に見張られているように声をかけられる。  ぼくらがいつもいる階段の踊り場だって、秘密基地ですらないのだ。ここにいる大人はみんな、僕らがあそこにいることをわかっている。ここでは何も秘密になどできないのだ。  本当はミライのお父さんを探しに行くのは、ミライに軽く約束できるほど簡単なことではないのだ。  だってぼくらはいつも大人の目についてしまう。そしていつだってこの“完全なる社会”で見張られているのだ。  そしてぼくは恐れている。あの見張るような大人の目に見つかって、あっという間にぼくらのうちの誰かがいなくなってしまうかもしれないことを。
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