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それは、いつもならすっかりと寝静まっているはずの私の目を覚まさせる程度にはうるさかった。厳密にはただ私がそう感じた。
私がそう感じたその音は窓ガラスをついついと斜めに濡らして、その存在感を示した。
カーテンを少し開けて外を覗いた私に、そのついついと斜めに濡らされたそれは目と鼻の先にあるやたらと明るすぎる街灯に照らされてぎらぎらと存在感をわざわざと示しているのだ。
実のところこれは、たいそう今の私に対する嫌がらせとしては有用で、確かに私の砂糖細工のようなメンタルはゆるゆると溶かされてそのかたちを維持することが難しくなっている。
いつもなら平気なのだこの程度。しかしながら今の私に限ってはたいそう有用なのだ。
ついついと窓ガラスを濡らすそれは、まだ部屋の内側から安全に外を眺める私を口汚く罵るかのように、次第に強く、強く窓ガラスを叩いた。
正直なところ私はすっかりと怯えていて、逃げ出すことさえできずにそれと対峙していたのだ。そう、ただ私は、すっかりとからだがすくんでしまった。蛇に睨まれた蛙だ。じりじりと脂汗でも出てきそうな気がする。
そしたらきっと、よしきたとその脂を使って私ごと炙り焼いてしまいたいと言い出されてしまうのが関の山だ。
だから言っただろう、嘘つきになってでも、私たちは何も気づくことなく眠り続けなければならないと、彼にそう言われるのは明白であった。
嘘つきになってでも。一度は覚悟したはずだった。そうすることが、私の平穏を保つために必要なのだと、割り切れたはずだった。
しかし、と言ってしまえるほど容易くはないが、やはり私には難しいことであったのだ、それは。
どれほど関わりにならないほうがいいだとか、頭ではそう考えても、私の根幹をなす何かがそうしてはくれないのだ。
窓ガラスをついついと斜めに濡らし、私を起こしたその音の主に、私は窓ガラスを開けて直に対峙する。
さてさて面倒なことになったと、わかっていても私は誰にも止められないし、止められる言われもない。
私が選択したのだ。
ついついと窓ガラスを濡らし叩いていたそれを、私はそっと右手でぬぐった。苦しさと、絶望が入り雑じった嗚咽が耳に届く。
窓ガラスを叩き、濡らしていたそれは、今度は柔らかくはらはらとバルコニーのコンクリートに飲み込まれていく。じりじりと暑さが残るコンクリートを気持ち冷やしていくかのように、すうっと飲み込まれていくのだ。
必死に音の主を縛り吊るす縄をほどいた。
音の主の抵抗の跡が、やや血のついた縄と、血の滲んだ細い手首から理解された。
私はその音の主をがっしりと抱えたまま、夜の街を裸足で駆け抜けた。じりじりとした暑さが残るアスファルトの暴力にも耐えながら、私は必死に前に進む。地図で見た、あのバツ印を目指して。バツ印だなんてまるで宝の地図だと、少しだけ笑った。
あのバツ印がいちばんここから近いと、それは鮮明に記憶している。唯一の、こんなところから逃げ出すための糸口だと、思い込んで今日にいたっている。
バツ印の場所にたどり着いた。そこから私たちの姿を確認した大人が血相を変えて飛び出してきた。
救急車にも乗ることができた。貴重な体験だ。
私たちは保護された。音の主もすっかりと静かになった。
保護された先で、窓ガラスをパラパラと叩く音が聞こえた。私たちは今、少なくともこの音に怯える必要はない。
私は改めて眠りについた。
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