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今日の朝、役場で働く父に忘れ物を届けに行った時に、世界を破滅から救う為の旅をしているという聖人さんと呼ばれる人と出会った。父に命令されて今日と明日、ボロボロの格好の彼の世話をすることになった私は、聖人さんと共に家へ帰った。
彼と早めの昼食を食べた後、私は部屋を掃除したり、食材を調達するために出かけたりと動き回っていた。聖人さんは、私の後をついてまわっていた。日光に弱い聖人さんはフードとマスクで全身を隠しており、他の村人達に不審者と思われていたようだが、まるで気にしていないようだった。
今は乾いた風が吹く夜である。
「神でもない俺にどうしろって言うんだよ!!」
ガシャンと物が壊れる音と共に怒鳴り声が隣の部屋から聞こえてくる。いつもの事なので、私は諦めて布団にもぐりこんだ。
聖人さんは、夕食の後、今夜の寝室である私の部屋の片隅で荷物の整理をしていた。土間と板敷の部屋2つしかないこの家で、土間と父さんの寝室では聖人さんがまともに寝られるとは思えず、選びようがなかったのだ。父さんは家に帰って来ては、仕事の愚痴をブツブツと呟きながら寝るまでベットの上で酒浸りになる。機嫌が悪い時は無意識に家族に嫌味を言ったり、物を投げつけたりしてくるので危険なのだ。朝にはその事を忘れるのでその癖を治すことができない。家を出て行った母さんも、その事で悩んでいた。幸い、私は聖人さんが同じ部屋でも不快感はなく、聖人さんも床に持参の毛布で寝ることに不満がなかった。流石に年頃の男女が同じベッドに寝ることは避けたが。ただ、時折父さんの叫び声や物を壊す音が壁の向こうから聞こえてくる。聖人さんは平気だろうか?
「聖人さん、嫌じゃないですか?」
ベットの上から私がそう聞くと、聖人さんは振り向いた後、首を傾げた。
「何がだ?」
「隣の部屋、うるさくないですか?」
私がそう聞くと、聖人さんは斜め上を見上げた後、少し経ってから私の顔を見た。
「耐えられないほどでないな。森の静寂の方が怖いものだ。盛り場の宿はここよりうるさい。そう聞くフミさんは平気か?」
「大丈夫ですよ、慣れたし」
そう言うと、聖人さんは私の目をじっと見た。
「という事は、平気ではないのであろうな。難儀であるな」
そう言った後、聖人さんは荷物の整理を再開した。
床に並べられた荷物は、椀やスプーン、ナイフや火打石などの野営に必要な物以外に、短い紐や小さな木の人形などよく分からない物が沢山あった。
「聖人さん、その変な物は何?旅に邪魔じゃないですか?」
そう聞くと、聖人さんはため息をついた。
「邪魔であるな。持ち運べる食料が減る」
「捨てればいいのに」
「そう言う訳にもいかん。これらにはいにしえの呪い(まじない)がかけられているらしい」
「まじない」
「私にはよく分らぬが、奇跡を起こすが人の手に余るものなので、出来るだけ多く滅の口に持って行けと願われた」
「全部ではないのですか?」
「必要なら、手順を踏めば渡しても良いと言われておる」
「へー、例えば?」
興味を持った私が聞くと、聖人さんは荷物の中から青い小さな石を手に取った。
「これは『雨音の石』という名でな。水の沸く場所に置くと、辺りに雨が降る呪いがかけられているらしい」
「父さんが喜びそう」
この村の大人たちの長年の心配事は、この村の水源が徐々に小さくなっている事だ。役場に勤める父さんはその対応に当たる一人らしいのだが、専門家でもないので大したことなど出来ず、いつもイライラしている。
「だが、手順がよろしくない。親のいる子供一人と引き換えに渡せと言われている」
それを聞いた私は、小さな石が急に不気味に見えだした。
「……生贄とかにするのですか?」
「いいや。親が会えぬ場所に連れて行けばよいだけだ」
「他の人では駄目なのですか?」
「成人や孤児では呪いが働かぬらしい。村長にもそう答えたら、石を得ることを諦めたよ」
村長もこの石が役に立つと思ったようだが、村の親子を引き離すほど悪くはなれなかったようだ。でも、私の父さんはどうだろう?
「……ねえ、聖人さん。その石、私にください」
私が起き上がりながらそう言うと、聖人さんはキョトンとした表情になった。
「子供には使えぬが」
「父さんに上げようと思って。あのね……」
ベットから降りた私は、聖人さんの耳元で思いついた事を話し始めた。
次の日の昼近く、私は隣の村へと続く峠にある大きな木の下で聖人さんと共に座っていた。ここは、村が一望できる場所だ。
「聖人さん、もうすぐ正午ですね」
私が太陽の位置を確認しながらそう言うと、聖人さんは私の側の大きめの鞄を見てため息をついた。
「フミさん、これでいいのかい?」
その質問に、私は頷いた。
「いいんです。きっと父さんは、私じゃなくてもいいんです」
私がそう言うと、聖人さんは、少し悲しそうな眼で村の方を見た。
太陽が真上に来た時、大きな風が吹いた。その風が湿っている事に気づいた私の目から、涙が溢れてきた。ポツポツと地面に涙が落ちた時、辺りにリーンリーンという音が響いた。その音は、涙が落ちるたびにリーンリーンと水源のある山から聞こえてくる。その事が、悲しかった。
早朝、父さんが起きてこない時間に私は聖人さんと家を出た。台所の机に、お弁当と手紙を置いて。手紙には、『私が村を離れれば、今日の正午までに水源に雨音の石を置くと辺りに雨が降ること。石を使えば、呪いで私が村に帰ってこれなくなること』を書いた。石を使わなければ、私は家に帰ってこれるのに、父さんは石を使って雨を降らせた。父さんは、私を捨てたのだ。
「……別れすら、言ってないのに」
帰れるかもしれないから、手紙にサヨナラは書かなかったのだ。
「あの音は、フミさんの涙の音なのだろうな」
聖人さんは、私の頭を撫でながら、水源のある山を見ていた。リーンリーンと響く山頂の周りに黒い雲が集まっていく。
「親元を離れる子の涙の音が雨雲を集めて、雨を降らせる。そういう呪いなのだろうな」
聖人さんは、細めた目で睨むように山を見ていた。私は何故か少し安心して、ボタボタと涙を流した。水源の山に、激しい雨が降り始めた。何故か、この峠には雨が降らなかった。
何時間泣いていたのだろう。目がパンパンに腫れた私は、聖人さんと共に隣の村に向かって歩いていた。
「フミさん、これからどうするんだい?」
聖人さんがそう言うと、私は以前から考えていた事を口に出した。
「王都に住む叔母さんを訪ねようと思います」
元々、都会で働いてみたかったし、母さんの事を知る為にも叔母さんを訪ねようと思っていたのだ。
「そうか。私も王都に立ち寄るから共に行こう。短い間だが、よろしく頼む」
聖人さんは、食料を補充して重くなった荷物のせいでヨロヨロしながらペコリと頭を下げた。私は少し可笑しくなって、クスクスと笑いながら頭を下げた。
「私こそよろしくお願いします」
これが、私と聖人さんの旅立ちの話。将来、父さんの身に降りかかった不幸を聞いた私が涙を流さなかった事、それはまた別の話。
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