【第一章】女狐

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【第一章】女狐

 このお玉という、数奇な運命をたどった女性について、生い立ちについては不鮮明な部分が多い。  母親は京都西陣出身の「おくる」なる女性だったという。このおくるなる女性の生い立ちについても詳しいことはわからない。さらにわからないのが父親である。  おくるは、十二の時に貧乏公卿の家に奉公に出されたという。そしていかなる成り行きか、公卿の家に出入りしていた青物売りの家に引き取られてしまう。青物売りの名は仁右衛門といった。およそ実直なだけの男だった。  やがて、おくるは年頃になる。そしておくるの方から父親代わりで、事実親子ほど年齢がはなれた仁右衛門を誘惑するようになる。仁右衛門が寝ている布団の上にのしかかり、 「うちかてもう子供やない。よう見てやこの胸のふくらみを……」  そういうことが幾度が続くうち、とうとう二人は越えてはいけない一線をこえてしまう。  もっとも、おくるは心の底から仁右衛門を慕っていたわけではない。京都の西陣で育ったおくるは、とくに美しく着飾りたいという願望がひじょうに強かった。正直で真面目なことしか取り柄のない仁右衛門は、罪悪感からいっそう自分に尽くすであろうという打算が、すでにおくるにはあった。事実、仁右衛門はそうした。いわば仁右衛門は、娘ほどの年齢のおくるに、巧みにコントロールされていたわけである。やがて玉の姉で「こん」が生まれる。    おくるの狡猾さは、それだけではなかった。幼いこんを母親に預けると、家計を助けるという名目で、今度は茶屋に奉公にあがった。客あしらいがうまく、たちまち店の人気者となる。  やがて茶屋に出入りしている公卿二条光平の家人で本庄太郎兵衛と親しい仲になる。太郎兵衛は五十に届く年齢で、すでに妻子がいた。最初は妻の目をはばかっていたが、やがて妻は精神を病んでしまう。子供たちはとっくの昔に成人して、他家に奉公なりにでている。  そのため両者は誰に遠慮するわけでもなく、広大な二条邸の敷地内で関係に及んだ。なぜ十八のおくるが、五十男と関係をもったのかというと、高々家人とはいえ、おくるには公卿の世界に対するあこがれがあったからである。  こうしておくるは、年が親子ほども離れた男といわば二股をかける。さらにその一方で、年が二つほど下の末端公卿の末吉とも関わりをもった。五十男との関係にあきはじめていたおくるにとって、このいわば年下との情事は、また違った意味で生きる楽しみであった。 「どないしなはったん? こないに顔を赤くして、それにしても貧弱な体やなあ」  ようするにおくるは三股をかけていたわけである。そうした最中におくるは、二女として玉を出産した。玉が成長して実の父のことをたずねても、おくる自身にも答えようがなかった。  後に玉が江戸城大奥で見せる異常なしたたかさ、ずる賢さは、この女狐といっていい母親譲りであった。  
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