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【第一章】女人国と仏法
那由多は、遠く異境の地で修行にはげむ若い仏僧だった。ある時、地震がおきて那由多の修行する寺院は壊滅する。那由多は建物の下じきとなってしまう。
しかし那由多は死んではいなかった。気がつくとそこは、いずことも知れぬ険しい山中だった。己以外に周囲に人はおらず、一体何がどうなっているのかもわからずに、那由多の生存をかけた戦いがはじまる。
日夜生きるためだけに、狩りをして獣と格闘し、その肉を食らう日々。仏僧として修行していた頃は、肉食は禁じられていたが、もはやそんなことをいっている余裕はなかった。
「己は誰だ? 何故ここにいる? そして何のため生きているのか?」
幾度自らに問いかけてみても、答えはでなかった。そしてたちまちのうちに、十数年の歳月が流れていった。
ある日のことである。狩猟で山野にわけいった那由多は、鹿と間違えて驚くべきものを射てしまう。それはなんと人間の女だった。人間の姿を見るのは何年ぶりであろうか? 女はシルクの衣装を着て、翡翠の首飾りをしていた。一見して高位の女性であることがわかった。
重傷を負った女を、那由多は必死に看病した。やがて女は一命をとりとめる。そして両者は他に人もいない山中で、ついに愛し合いようになるのであった。
しかし己の素性については阿儒と名乗ったその女性は、那由多がいくらたずねても、かたくなに明かそうとはしなかった。
やがて運命の時は訪れる。ある日、山に狩りにでた那由多が阿儒のもとに戻ってみると、信じられないことがおこっていた。
数人の女武者が騎馬で出現し、阿儒を縄で縛りあげ連れ去ろうというところだった。
「一体これはどうしたことだ? お前たちは何者?」
那由多は、思わず真っ青になりながら叫んだ。
「この者は女人国の王女である。女人国での生活に嫌気がさし逃げ出したのだ。汝は王女の命の恩人のようだから命は奪わん。なれど王女はもらっていく」
「己そうはさせん! どうしても阿儒を連れて行くというなら、私にも覚悟がある!」
那由多は女人国の女武者数名を、得意の槍でたちまちのうちに倒してしまう。しかし、やがて王女の供の者が放った矢が命中する。矢には毒がぬってあり、那由多は動けなくなった。
「必ず、必ず迎えにあがる! その時まで辛抱してくれ!」
次第、次第に遠ざかっていく意識の中で、那由多は思わず絶叫した。
強制的に城に戻された阿儒には、那由多を思いながらの籠の鳥としての毎日が待っていた。しかし幾度忘れようとしても、那由多と過ごした日々が忘れられない。
そんなある日一大事がおきる。王宮が火事で炎上してしまったのである。
「誰ぞある! わらわを救ってくれ!」
煙の中必死に助けを求める阿儒。その時背後で声がした。
「女王様、お迎えにあがりました」
炎の中から姿を現したのは、なんと那由多だった。実は火事をおこしたのも那由多だったのである。
両者は炎上する城を抜け出し、そのまま逃亡をはかる。ところが後一歩のところで、女人国の城の周囲の罠にはまってしまい、よってたかって女武者たちに取り囲まれる。縄でぐるぐる巻きにされ、引きずり回された末に、意識を失うこととなった。
数日の後、捕らえられた那由多の磔刑が、阿儒が涙ながらに見守る中実行される。
「王女様もし私が男であるために、女人国に入れぬと申すなら、来世では女に生まれかわってでも、必ず貴方に再会しとうござる」
ほどなく数本の矢が那由多の胸を貫き、その命を奪うこととなる……。
次に那由多がたどりついたのは、まさに御仏の世界だった。いずこからともなく琴の音が聞こえ、沙羅双樹の花が咲いている。虎や獅子が周囲にいても、いずれも従順で、那由多を見ても襲ってくる気配さえない。やがてまばゆい光とともに仏が姿を現した。
「那由多よ、そなたの魂の位は高い。よってこの極楽に永住することを許可しよう」
「それはありがたい仰せ。なれど一つだけお聞きしたいことがござる。私の愛した女阿儒は、今後いかがあいなるのでございますか?」
「あの女か? あの女なら幾度も輪廻転生を繰り返し、永久に苦悩するであろう。現世が王女なら次は貧しい身分の女であるやもしれぬ。いずれにせよ女に生まれた者の悲しみ。永久に、この極楽界に転生することはかなわぬ」
「私は、どうしてもあの女の側にいたいのでございます。例えこの極楽世界におられずとも! 仏よそれは許されぬのでござるか」
「もし、どうしてもそなたがあの女の側にいたいと申すなら、そなた自身が、次は女に生まれかわるより他道はないのだぞ」
「それでもかまいませぬ。阿儒のそばにいられるなら」
必死につめよる那由多に、さしもの仏も困惑の色をうかべた。
「そなたが女人に生まれ変わるということは、そなた自身が永遠に極楽往生の道を閉ざし、永久に輪廻転生の苦しみを味わうということなのだ。その覚悟はあるのか!」
「一切承知のうえであります」
次の瞬間再び光が那由多を包みこんだ。
……玉は六條家のお屋敷で、ようやく夢からさめた。行灯がほのかに部屋をてらす中、側近くで満子が寝息をたてていた。
玉は夢の内容をほとんど忘れていた。しかしその胸中には、強い決意のようなものが宿っていたのである。
翌日玉は満子の見守る前で、有純にはっきりと自分の決意したことを伝える。
「縁談の件はお断りいたします」
「それでは今後、そなたはいかがいたすのじゃ?」
「私はいつまでも、どこまででも満子様についてゆきとうございます」
「しかし満子についてゆくということは、この京を捨て、俗世をも捨てるということなのじゃぞ。こなたにその覚悟はあるのか?」
有純は餅を食いながらも、困惑の色を浮かべた。
「そうじゃ玉、なにもそこまでせずとも……」
と満子もまた動揺する。
「お供がかなわぬと申されるなら、私はすぐにでも自害いたしまする!」
と玉はきっぱりといってのけた。こうして玉は満子と一連托生の道を選択したのだった。
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