第三章 *初夏*

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 凪は地平をじっと見つめた。  かすかに涼しくなった風が頬に当たり、髪を撫でていく。 「イベント名はもう覚えてない。ダンス会場だった。ソロダンサーや、グループで出場している人たちでいっぱいで、熱気があふれていた。プロかアマチュアの試合かもわからなかったけど、座席がすごい近くて、パフォーマーの飛び散る汗がスポットライトに当たって、キラキラ飛んでて、すげえ綺麗で、俺は」  唐突に、目の前の景色がぼやけていく。 「知ったんだ」  懐かしい思い出があふれ、あたたかな痛みとなって自分の心を浄化する。 「俺の目の前に」  記憶の底に沈んでいた、美しい過去の情景。 「楽園が、あるんだと」  こぼれ落ちる涙をぬぐう真似は、今はしたくなかった。 「今、俺がいるのは、楽園なんだ。そう確信した。子ども時代の、いたいけな想像力だなんて思わない。俺は理想郷を見つけた。誰にも理解されなくていい」  にじむ街並み。幸せも不幸も、怒りも憤りも悲しみも、同じようににじむ。 「親は変わらず冷たくて、家に帰ったらいつもの地獄が始まって、それでも、あの瞬間だけ、世界でいちばん幸せだった」
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