ゴミ屋敷

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 保健福祉総務課の職員として、そのゴミ屋敷の奥、天井まで堆く積み上がったゴミで囲まれた空間に踏み込んだ私の目の前に広がっていた光景は、予想もつかないものでした。  そこは、昭和の佇まいを残す日本家屋の室内のようでした。と言っても、古く煤けてぼろぼろになり、そこらじゅう白蟻に食われて土に帰りかけている家屋の残骸ではありません。表替えをしたばかりと思われる、まだ青い畳表が、中庭に面した縁側から入ってくる自然光を鈍く反射しています。床材や柱は黒光りしていて、日頃手入れされ丹念に拭きあげられていることを伺わせます。  縁側と畳の境界あたりには座布団を敷いて、少女が座っていました。年齢は八、九歳ぐらいでしょうか。黒髪をおさげにしていました。少女はこちらに顔を向けておらず、私の目に映ったのは少女らしい黒髪の艶と、そのいかにもあどけない佇まいだけでした。少女は何か、文庫本のようなものを手にしていました。    私は周囲を見回します。ほとんどもののない室内でしたが、一つ、背の高い本棚が目につきました。そこに納められた本の背表紙を私は眺めます。  芥川龍之介。太宰治。志賀直哉。  日本の名だたる文豪たちの名前。  私は本のタイトルの方にも注意を向けようとします。  ですがなぜか読めません。  注意を向けようとすればするほど、その印象がぼやけて、頭の中で像を結ばないのです。    私は気がつきます。これは夢、幻想の中の世界なのだと。  死んだ持ち主がこのゴミ屋敷を守ろうとした理由。そして、人が踏み込むことを頑なに拒んだ理由。それは、この幻想の世界を守るため、人の目に触れて壊させないためだったと。  私は逃げ出しました。凄まじい恐怖に駆られて。    私が恐怖したのは、人間に、私にとっての幻想の魔力です。自分自身の幻想に飲み込まれないでいるためには、幻想よりも現実が良い、そこに希望があると信じ込めることです。でも私はそんな希望を持ち合わせないのです。
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