第2話

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第2話

「……。グレティウス……」 「! ねぇ、あんたってまさか……」  扉が開いた。 イバンが入ってくる。 「診察の時間だ。フィノーラ、席を外してくれ」  舌打ちと共に、彼女は出て行った。 ソファに座り直した俺を、イバンは見下ろす。 「随分、楽になったようだな」  頭に手を置くと、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。 クソッ。 とにかく俺は、こういう遠慮のない男が苦手だ! 「やめろ! 俺にそんなことをするな!」 「はは、何だよ。照れるなよ」  バカにしてるのか?  冗談じゃない。 こんなことをされて黙っていられるか!  その手を振り払う。 にらみ上げたイバンの後ろで、見慣れぬ男が笑った。 「はは。元気を取り戻したのなら、何よりです。私の術が、よく効いたようだな。よかった」  緑の目。随分と深い緑だ。 その魔道士は、持参した小箱をテーブルに置いた。 箱のなかは小さくいくつにも区切られ、様々な種類の魔法石と薬草、それらを擦り合わせる乳鉢と乳棒なんかが入っている。 「魔道士同士が顔を合わせると、ロクなことにならないからな。俺も同席させてもらうぞ」 「こんなおっさん連れてきて、どうするつもりだ」 「ほら、体をみてやろう。そのうえで、呪文の種類と魔法石の調合を整えてやる」  男は白髪交じりの長い髪を、後ろで一つに束ねていた。 「お前がビビも診てるのか?」 「そうだよ」 「ルーベンで一番の医術者だ」  ヤブ医者は両手を俺の肩に乗せると、視線を合わせた。 実に稚拙な呪文を唱え始める。 「魔道士でありながら、医術くらいしか使えないのか」  それを無視して呪文を唱え続ける男の顔に、次第に困惑の表情が浮かぶ。 診察中の医者の代わりに、イバンが答えた。 「世の中には、様々な魔道士がいる。こちらの先生は専門の道を選び、それを極めようとする方だ。そういった選択をするのは、悪いことではない。ナバロ、お前は将来、どんな魔道士になりたいんだ?」 「世界最強」 「はは。ようやく子供らしい、まともなことを言えたな」  イバンはニコリと、呑気な表情を浮かべた。 「ではここで、俺と一緒にそれを学ぼう。お前もきっと、立派な魔道士になれる」  肩に乗せられた、ヤブ医者の手は震え始めた。 気づけば、顔は真っ青だ。 俺はフンと鼻を鳴らす。 「おい、ヤブ医者。どうかしたのか?」 「こ……、これは……お前が……? どうやって……」 「ん? どうした。何をそんなにビビってる?」  バカにしたような俺の言い方に、イバンはのぞき込む。 「先生? どうかしたのですか」  俺は乗せられた医者の手を、払い落とした。 「なんでもないってよ」  彼はまだ、硬直してその場から動けない。 俺の魔法が理解出来るなら、まぁそれなりに、確かな腕はあるようだ。 「ねぇ、お腹空いた。ご飯はまだ?」  日はまだ、てっぺんまで昇りきっていない。 「もう食事して大丈夫なのか?」 「いいってよ! イバン、食堂まで案内して」  俺は部屋を出て行く。 廊下に出ると、すぐ後からイバンはついてきた。 「食事がすんだら、どうする?」  そう言った彼を、俺はニコリと微笑んで見上げる。 「剣の練習がしたいな」 「ほう。それはいい心がけだ。ふふ。俺に頼んだことを、後で後悔するなよ」  そう言って、イバンは嬉しそうに笑った。 聖剣士から直々に剣術を教えて貰えるのは、ありがたい話しだ。 簡単な食事を終え、イバンの支度が調ったところで、俺たちは館の中央にある芝生の庭に出た。 ビビとフィノーラはすぐ脇にテーブルを出し、お茶を飲んでいる。 レンガの壁に立てかけられた、 剣の一本を手に取った。 「それが聖剣だ。本来なら、聖騎士団に入団しないと、触れられない剣だぞ」  長くて重い。 少し振り回しただけで、ふらつく。 それを見たイバンは、別の剣を取りだした。 「やはり、もう少し短くて軽いのにしよう。お前用にと思って、用意しておいたんだ」  イバンは俺に、剣を教えるのがうれしくて、仕方ないらしい。 「魔術もいいが、まずは体力だ」  渡された剣を受け取る。 大人用の剣の、半分程度の大きさだ。 なるほどこれなら、長さも重さも丁度いい。 「聖騎士団、予備隊の剣だ。お前ぐらいの歳なら、入隊していてもおかしくない」  イバンは自分の長剣を構えた。 俺はそれを、見よう見まねで構える。 「聖剣って、こんなに本数があるものなのか?」 「エルグリムを倒した英雄、スアレスの握っていた剣と、同じ製法で作られたものを、今ではそう呼んでいる。ちまたに出回っているものには偽物も多いが、ここにあるのは大賢者ユファさまの祝福を受けた、本物だぞ」  イバンは剣を振り下ろす。 俺はそれに平行した状態で、同じように剣を振った。 「スアレスがエルグリムを倒した時には、聖剣は強力な魔法を帯びていた。祝福を受けているというわりには、何も感じないけどね」  こんな、雑な剣などではなかった。 アレの剣は、こんなものじゃない。 「はは。よく知ってるな。スアレスの聖剣は、今は失われて、本当のところ、今どうなっているのかは、分かっていない。最期に勇者の使った魔法も、語り継がれているだけのものだ」 「仲間が生き残っていただろう」 「今はもう、全員が隠居されている」  ビビとフィノーラは、ポットから新しいお茶をカップに注いだ。 「スアレスは、剣術にも魔術にも長けた勇者だった。俺は魔術も多少使えるが、魔力を蓄積出来る体質ではない。英雄にはなれない」  イバンが剣を振る。 俺は見よう見まねで、その剣を振るう。 「魔術は努力ではどうにもならないが、剣術なら習うことが出来る。努力さえすれば、ある程度は見られるようになる。お前なら、スアレスの再来と言われるくらいにまで、なれるかもしれないな」  イバンは得意げに、ニッと笑って俺を見下ろす。 そうでも言っておけば、やる気になると思っているのだろうか。 俺は剣を振るいながらも、内心で深くため息をつく。 エルグリムは体が弱かったわけではないが、痩せ細り体力はなかった。 誰かにこうやって、何かを教えられたこともない。 こんな立派な剣になど、触れることすら許されなかった。 「俺が剣術を習うのは、習ったことがないからだ。それに、魔力を蓄えられるのは生まれ持った体質でも、使いこなすには努力が必要だよ」 「もちろんだ」  イバンが振りの型を変える。 俺もそれに合わせて、腕を動かす。 「だからこそ勇者には、仲間が必要だった。勇者スアレスだけが今はたたえられているが、一緒に旅をした仲間たちの協力があってこそ、魔王を倒せた」  剣の振りが複雑になった。 腕の振りに合わせて、足を動かすのが、意外と難しい。 流れるような剣さばきに、もう体はついていけない。 「エルグリムの悪夢のことは、もちろん知っているだろう?」  イバンの振りが、さらにスピードを上げる。 俺は諦めて、剣を下ろした。 イバンはそれに構うことなく、聖剣を振り続ける。 「私に言わせれば、あんなものはただの伝説だ。一種の昔話に過ぎない。一度倒されたエルグリムの亡霊になぞ、もう我々が怯える必要はない。だが本当に恐ろしいのは、そのエルグリムが残した『悪夢』だ」  スアレスは死んだ。 イバンの明るく澄んだライトブルーの瞳が、じっと俺をのぞき込む。 俺はその目を、しっかりと見返した。 「ナバロ。お前の目は、とても変わった色をしているな」 「魔法使いの目でしょ。よく言われるんだ」  碧を含む深い緑の目が、色鮮やかに光り輝く。 この目を称える詩がいくつも作られ、人々を恐怖におとしめてきた。 「お前は、本当にエルグリムの生まれ変わりでは、ないのだな」 「……。当たり前だろ」  そんなこと、誰にも知られるわけにはいかない。 まだ早い。 全てを呼び覚ます魔法をかけ損ねたいまでは、なおさらだ。 俺はわざとらしく、盛大にため息をついた。 「あのさぁ、それでもし本当に俺が、その生まれ変わりだとして、ここで『うん』って言うと思う?」 「お前がいくら嘘をついても、その目だけは誤魔化すことは出来ない」  今の俺が持つこの目は、魔力を蓄えたくとも蓄えきれない深い海に、ようやく落ちたひとしずくの雨粒からなる海の色だ。 「俺は強い魔道士になるよ。当然だ。せっかく魔力を扱える体に生まれたんだ。どうしてそうなることを望まない?」 「お前も欲しいか、『エルグリムの悪夢』を」  イバンは再び、剣を振るい始める。 力強いその動きに、汗が飛び散る。 「ルーベンには昔から、蘇ったエルグリムが現れるのは、ここではないのかという、噂がある。倒されたヤツの魂が、飛んで行った方角とされるのが、このルーベンだ」  俺も同じように、剣を振るってみる。 だがまだ十一歳の少年の体では、それについていけない。 筋肉のつききっていない細腕では、すでに剣の重みが増している。 あの時、俺がスアレスにやられたのは、最期に振り絞った肉体の動き。 それだけだ。 だから俺は、若く強い体を手に入れた。 「そこからさらに五年前、いや六年前だ。エルグリム亡き後に建てられた中央議会、大賢者ユファさまによる予言が、再びここに、エルグリムが現れたとしている」 「知ってるよ。それで騎士団が、こんな田舎町に派遣されたんだろ? 俺も去年検査を受けた」 「受けたのか!」  イバンは急にその動きを止めると、心底驚いたような顔を俺に向けた。 「当たり前でしょ」 「それで問題ないと?」  その予言を元に、魔道士体質の子供は、聖騎士団による身体検査を受けさせられている。 「そうだよ」  当然だ。 そんなものを誤魔化すくらい、なんの問題もない。 イバンは剣を鞘に収めると、いきなり俺を高く抱き上げた。 「ならばもう、なんの問題もないじゃないか! お前を私が、立派な聖剣士に育ててやる!」 「やめろ! 俺は魔道士なんだ。冗談じゃない、離せ!」 「ははは。お前、これからちゃんと覚悟しておけよ」 「下ろせ! 下ろせよ」 「まぁ、イバンさま。私にも剣を教えてください!」  しっかりと抱き上げられた腕は、どれだけ俺がもがいても、振りほどくことは出来ない。 「ビビさまは、フィノーラにでも習ってください。私はこれから、ナバロを教えるので忙しくなりますので」 「は? ビビさまに剣? 冗談じゃないわ。そんなのは、契約に入ってませんから!」  自分の顔が、ひどく火照っているのが分かる。 ようやく地面に下ろされた後でも、まだ心臓は脈を打っている。 「フィノーラ! 私も、ナバロに負けてはいられません」 「だから、嫌ですって言いましたよね。絶対に教えませんから」  イバンの手が、再び俺の頭に乗った。 「体調はどうだ? まだ続けられるか?」 「……。う、うん」 「なら、基本の訓練から始めよう。それと、やっぱり基礎体力作りからだ」  イバンを見上げる。 彼は、何の疑いもない笑顔をむけた。 俺はそれに舌打ちをしてから、再び剣を握る。 イバンの特訓は、その言葉通り容赦なく、厳しかった。 病み上がりの初日だというのに、この男は加減を知らない。 ひとしきり汗を流し、ようやく夕食のテーブルについた。 体はもうクタクタだ。 疲れ切った状態で、食堂に入る。 豪華絢爛とはいかないが、丈夫な長テーブルに、清潔な白のクロスがかけられ、燭台や天上の明かりも、質素だが悪くない品だ。  全員が席についたところで、パンと温かいスープが運ばれてくる。 よく分からない茹で野菜に、スライスして焼いたハムも添えられているのなら、まぁよしとするか。 テーブルの中央には、大きな魔法石の結晶が飾られていた。 「あぁ。これは上質な魔法石だな」  乳白色に濁った淡い琥珀色の結晶は、光りを受け虹色に輝く。 「これをフィノーラと一緒に、カズへ買いに行ってたのよ。これなら私にも、摂取できるんじゃないかと思って。」  ビビはうれしそうにはしゃいでいる。 イバンはそれを見て、ため息をついた。 「またビビさまは、そのようなことを……。必要以上に魔法石を摂取しても、魔道士の体質を持って生まれた者でなければ、なんの意味もないと……」 「上質な魔法石が、カズ村から見つかると聞いて、いてもたってもいられなくて……」 「これほどいい魔法石を飲んでも、その病は治らないのか?」  やっぱりあの医術士はダメだな。 俺は人差し指をまっすぐに伸ばし、呪文を唱える。 魔法石の結晶が、パキリと折れた。 その破片は宙を漂い、手の中に転がり混む。 そのそら豆ほどの欠片を口に放り込むと、ガリッとかみ砕いた。 「お前、そんなことも出来るのか」 「まぁすごい。こんな細やかで器用な魔術は、初めて見ましたわ」  ほんのりと甘い魔法石の欠片が、口の中に広がる。 「ね、お願い。私にも魔法を教えて、ナバロ」 「教わってどうする? 医者にでもなるのか」  ビビは少し考えてから、首を横に振った。 「うーん、それもいいけど……。そうね、それよりは、もっと自由に動きたいの。上級の魔道士になれば、空を飛んだりも出来るでしょう? 色んな所へ旅に出てみたいわ。沢山もものを見て、知って、触れてみたい。読んだ本の中にある気色が本当かどうか、この目で確かめたいの」  ビビの目はいつも、ここではないどこかを夢想していた。 「海が見てみたい。大きな川も湖も。高い山から見下ろす、広大に広がる景色も、沢山の森の木も。もう誰かからお話しを聞くだけじゃ、満足できないの。自分の足で歩いて、そこへ行って、何もない草原の上で、ずっと寝転がっていたい」  夢ばかり見ているビビに、フィノーラとイバンは、深いため息をつた。 「それ、今日もやったのがバレて、さっき叱られたばかりじゃないですか。ナバロを診察した医師に」 「そうですよ。ビビさまはもう少し、自分の体調と体力をお考えください」 「ね、ナバロ! ナバロだって、自分の能力と体力の加減が分からないのでしょう? それで動けなくなってしまうのなら、同じではないですか」 「……。違う」  三人の声が重なった。 「どうして!」 「ナバロはただの、やんちゃ坊主よ。体はまだ子供だから、魔法に耐えられるほどは出来上がってないけど、健康的に丈夫には出来ている」 「魔力を貯め込む能力は、常人とは桁違いですよ。自分でコントロール出来ていないだけだ」 「私とどう違うのよ!」 「全然違います!」  フィノーラとイバンの愚痴は続く。 「大体さぁ、お嬢さま付きの侍女っていうから、何をやらされるのかと思ったら、ただのお守り役だなんて! 私はそもそも、治癒魔法は得意じゃないのよ。それなのに、しょっちゅう簡単に、どこででも倒れちゃってさ」 「私だって、簡単な魔法しか使えない。倒れたビビさまを館まで運ぶだけの、運搬係みたいな役は、もうゴメンこうむりたい」 「いいじゃないの、それくらい!」 「よくないです!」  俺はそんな話しに気をかけることなく、一人で黙々と食事を続けている。 久しぶりにしっかり体を動かしたせいか、もうすでに眠気に襲われていた。 このまま延々とつまらない愚痴を聞かされていては、本当にここで眠ってしまいそうだ。 「私もナバロと一緒に、体力をつけます! 走るし、腹筋とか柔軟もやります」 「無理ですよ。とにかく私は、仕事とナバロで手一杯ですし。ビビさま用のメニューじゃないし」 「フィノーラ! 何とかならないの?」 「え~。そういうの苦手ー。契約にも入ってないしー」 「私も、冒険がしたいのです!」  ガチャン! と、ビビはテーブルに拳を突いた。 静まりかえった食堂に、イバンの声が静かに響く。 「……。ビビさまの場合は、お父さまに許可をいただかないと……」  そう言った彼を、彼女はにらみつけた。 「だから私は、誰からも……」  不意に、廊下から騒がしい物音が聞こえてくる。 四人? いや、五人だ。 食堂の扉が開いた。 黒髪に顎髭を生やした大柄な大きな男だ。 後ろには聖剣士二人と、魔道士も二人いる。 魔道士のうちの一人は、昼間の医術士だ。
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