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マリナは困惑した様子で口をあんぐりとさせる。「……テシガワラはやめろ、って……お前、氷室か……?」
「ああ」
そう言いながら氷室が教室に足を踏み入れると、近くにいた生徒はみな身をすくませた。
彼が自分の席までの道のりの半分ほどを歩いたタイミングで、恰幅のいい体育科の教員が、祭里たち一年二組の教室に顔を出した。
「今日の一・二限の体育、ソフトボールやるから、体育館じゃなくて校庭に集合な」
その言葉が聞こえた瞬間、氷室の足はぴたりと止まった。
3
祭里が校庭に出ると、サッカーフィールドのようになっている校庭のセンターサークル内に、みんな集合していた。祭里がそこにいくと、体育教員が点呼を取りはじめた。どうやら祭里が一番最後に出てきたらしい。
「……原田、樋口、氷室……は、いないのか。先週も休みじゃなかったか? 大丈夫か?」
「えっ──」祭里は思わず声をもらす。
(さっきまでいたのに)
そう思って我知らず後方へと振り返ると、マリナと目が合った。何故か彼女はウインクしてきた。祭里はぺこりと軽いお辞儀を返す。するとなぜかマリナは笑った。
祭里たちは点呼ののちに準備運動を行い、その後二人組を組んでキャッチボールの練習に移行した。中学校までは、体育の時間に二人組を組むときいつも余りの一人になっていた祭里だが、今日はすぐにそれを組めた。
「いいんちょー、組もうよ」
「え、いいの? マリナちゃんの友達もみんなマリナちゃんのこと呼んでるけど」
マリナはニッと白い歯をこぼす。「うん。話したいことあるし」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「ニシシ。さっき、あたしのウインクに対してお辞儀を返してきたときもそうだけどさ。いいんちょー、堅いって! 友達だからもっと気軽に頼れよっ!」
──友達。
それは、初めて投げかけられた言葉だった。
(今まで……逃げてきたから)
「それじゃあ、遠慮なく行くよ──ッ‼︎」マリナはそう言って、本当に遠慮なくボールを投げてきた。
「いたっ」祭里はそう言いながらも、かろうじてそれをキャッチすることに成功する。
「おお、意外とできるじゃん」
「……それで、麻里奈ちゃん、話って何?」祭里は言いながら、不恰好なフォームでボールを投げ返す。
「お、投げるのも悪くはないじゃん。んで、話なんだけど……」
「氷室のこと」麻里奈もボールを返し、二人はそれを投げ合いながら、投げた球にメッセージを込めるように、会話をはじめた。
「『轟木中学野球部には、ダイヤの鬼人がいる』って話、聞いたことある?」
「噂を盗み聞きしたことくらいは。でも、さっきの女の子たちが言ってた『小学生をボコボコにした』って内容とは違ったような気が……」
「うん。あれはね、昔の氷室のことなんだ。氷室は地元の中学野球界隈ではちょっとした有名人でさ。もともと賞賛の言葉として使われてたんだよね」
「そう、なんだ。小学生を暴行したって話は、本当なの?」
「……本当だよ」マリナはそれを言う時、少し声を低めた。
祭里は無言でボールをキャッチする。
(やっぱり)
「……じゃあ、小さいころに、誰かをいじめてたりは?」
祭里はそう言ってボールを投げ返す。朝、氷室に保育園で同じ組だった男子の姿が重なったときから、妙に嫌な予感がしていた。その予感は、おそろしさでもあった。保育園のときの同級生の名前なんてほとんど覚えていない。だから顔が似ている彼に、それを感じてしまった。もしかしたら、彼が自分を攻撃してきたあの男の子なのでは、と。
今度は、マリナの方が黙ってボールをキャッチした。
「……逆だよ。アイツは、救いはできなかったけど、そのあと必死で闘ったんだ。ある女の子に意地悪なことをしたやつと。アイツは、そういうやつなんだ。だから──」
その言葉とともに、ボールが投げられる。祭里がそれをキャッチして「パン」という音が鳴った刹那に、マリナは言った。
「──小学生との一件も、なにか理由があったんだと信じてる」
いたく真剣な様子でマリナが言うので、祭里は首をかしげた。
「……どうして、そんなに氷室くんについて詳しいの? まだ入学して一週間と少しでしょ? それに、暴力を働いたかもしれない子に、怖気付かず、信じてるとまで言っちゃうなんて……」祭里はもう一度キャッチボールを再開する。
「だって、アイツは──」マリナは言いかけて口をつぐむ。「いや……。なんでもない」
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