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第1話 後の祭り
すべての照明が落ちる。
わああと大きな歓声が上がった。やがてカウントダウンがはじまる。
真っ暗になった体育館には魔法がかかっていた。非日常的な空気が満ち満ちているのだ。
舞台袖でマイクを持ち、笑う。隣にいる四人も微笑んでくれた。
「3、2、1……」
胸が激しく鼓動を打つ。大きく息を吸い込んで、一気に声を発する。
「それでは後夜祭、スタートです!」
直後、激しいドラムロール。軽音楽部の演奏がはじまる。
「レッツパーティ!」
ボーカルがシャウトすると場のテンションは最高潮に達した。
こんな、こんなものがつくれるなんて。
まるで夢のようだと、思いながら。舞台袖で彼らの演奏に身を任せた。
1
柔らかく、温かい光の中で。小さな子どもに戻ったような安らぎに浸っている。
その光が、そそけた髪を撫ででくれる。心地がいい。かつて父に頭を撫でてもらったときの感覚を彷彿とさせた。
どこからか声が聞こえてくる。
──わすれんなよ。
その声はエコーがかかったように反響していた。
──約束だから。
そういえば。この声には聞き覚えがある。誰だっただろう。
──お前は、……んだろ?
*
ピピピピ、という甲高い音が耳朶を打った。目覚まし時計だろうか。
顔をしかめながら、布団から起き上がる。
(頭……重い)
意識が冴え渡ってきた。するとようやくあの光の世界が夢の中であったと気が付いた。いやにリアルな夢だった。
半開きの瞼の隙間からは見慣れたエプロンが見える。
「あら。三十八度? 風邪かしら……」
母親だった。右手に体温計が握られている。先程の夢を引きちぎった甲高い音は目覚まし時計ではなくそれから発されていたのだ。
母はそれを見つめながら口を開く。
「本当にアンタはいつもタイミングが悪いわねえ。残念だけど、今日の入学式は休みなさい」
憐れんでいるようにも呆れているようにも取れる口ぶりだった。
「……また?」思わず肩を落とす。「……。ねぇ、ママ」
脳裡には、かつての記憶が蘇っていた。
──ほんっとにタイミング悪すぎ! お前の名前、マジでピッタリだよな! クソが。くたばれ!
「……私の名前、なんでこんなのにしたの?」
後野祭里。後の祭り。名前は──つけられてしまったものは、もうどうしようもない。
(でも、そのせいで……)
母は悲しそうな顔になった。「……アンタの名前には、私とお父さんの思いが詰まってるんだから、そんなこと言わないでよ」
「……ごめん」
祭里はそう言って俯くしかなかった。ひどい憂鬱の中で、もう一度床についた。
2
祭里が高校に通えるようになったのは、入学式から一週間後のことだった。
(なんで大事なときに風邪を引くと、いつも長引くんだろう)
心の中で自分の運命を呪いながら歩く。土曜日の人通りの少ない商店街を通り抜けると住宅街に出た。
ここから三番目の角を曲がってしばらく直進すると学校に着く。
二番目の角と三番目の角の間にある公園では、小学生たちが楽しそうに遊んでいた。祭里はなんとも言えない気持ちでそれを見ながら、歩くスピードを上げる。
曲がるべき三番目の角に差し掛かった。カーブミラーに自分の姿が映る。立ち止まって、それを眺める。
(あーあ。一週間遅れて来た女の子がこんな見た目なんて、きっとみんながっかりするだろうな)
素直で真っ直ぐな髪質の黒髪は、手入れが中途半端なのか少しだけ跳ねている。長くも短くもない半端な長さだ。かけているフチが深緑色の眼鏡は、垢抜けていない地味な印象の自分にいやに似合って──というより、馴染んでいた。
暗澹とした気分に苛まれながら、同じく暗澹とした曇天の下で一歩を踏み出す。──するとその瞬間。カーブミラーに、何か異質なものが映ったように見えた。
振り向いて、公園の内部を見やる。小学生が遊んでいる場所から少し離れた木陰に、強面で目つきの悪いショートヘアの男の子の姿が見えた。
(あれ、あの制服……)
彼は猫を撫でていた。猫は安心しきった様子で、彼の手に身を委ねている。一方の彼も、怖そうな顔からは想像もつかないような穏やかな笑みを浮かべていた。
彼の粗暴な見た目とのギャップに驚き、思わずその様子を凝視してしまう。すると猫が「ニアー」と鳴いた。そして彼は猫の言葉を聞き取ったかのように「ん?」とこちらに顔を向けた。
「あ? なンだよ、見世物じゃねーぞ」
「す、すいません」言いながら、そそくさとその場を後にする。
公園にいた少年は、首をかしげた。「アレ?」
「──アイツ、もしかして」
3
これから通うことになる鈴城高校が見えてきた。
白い箱のような、どことなく可愛らしい印象を受ける校舎が二つ向かい合って建っていて、その間にある渡り廊下は体育館に繋がっている。体育館の地下には温水プールもあるらしい。
二つの校舎はそれぞれ東棟、西棟と呼ばれ、祭理たち高校一年生の教室は東棟の二階にあるらしい。
東棟は最近建てられた新しい校舎なのだという。ほのかに木の匂いがする綺麗な階段を祭里はのぼっていく。窓からは柔らかい朝の日差しが差し込んでいて、色の薄い木材で作られたその階段を照り映えさせていた。
二階まで上がってきて、教室の前に立つと、彼女は一度深呼吸をして、緊張した面持ちで扉を開いた。
「……え?」
視界に飛び込んできたのは、黒板に書き付けられた衝撃的な文字。
『文化祭実行委員長 後野祭里』
思わず手提げ鞄を落とし、呆然と立ち尽くす。
(え、委員長……? 私が……? なんで……?)
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