もう一人のクズ男の婚姻顛末

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もう一人のクズ男の婚姻顛末

 ランコムは人気のない中庭で、夜気を吸い込んだ。感情を削ぎ落として、愛想笑いが張り付いてしまったように感じる顔面を撫で擦る。  見つけたベンチに腰を掛け、深いため息を吐き出した。正直もう帰りたかった。  (全く……)  地に落ちた評判から逃げ、未練にのたうつ惨めさから仕事に没頭した結果、仕事がうまく行くほど夜会への参加が必須になっていた。  それは仕方がないとして、問題は評判が仕事の成功で勝手に回復したことだった。  (結局、金か……)  皮肉げに唇を歪め、乱れた前髪を緩慢な仕草で掻き上げた。先々で縁談を仄めかされ、二度と連絡するなと言ってた女でさえ、媚を売ってくる現状にランコムはうんざりしていた。  (いらないものは寄ってきて、欲しいものは手に入らない……)  落ち込みそうな感情をため息で立て直し、ランコムはベンチから立ち上がった。  (最後にもう一度会場に顔を出してから帰るか……)  ぼんやりと考えながら歩き出した足が、ガサッと音を立てた草むらに縫い止められた。振り返ったランコムは、身を隠すようにして蹲り、泣いている人影に呼吸を止める。    「………アス、ティ……?」  思わず呼びかけたランコムに、人影が振り向いた。緑の瞳を潤ませた若い女が、驚いたようにランコムを見上げる。大きな目は涙で濡れていた。  しばらく互いに固まったまま見つめ合った。流れた妙な緊張感を、先に破ったのはランコムだった。  「……あーー……」  ランコムは自嘲の笑みを隠すように、手のひらに顔を埋めた。  (……バカか俺は……そんなわけないだろうが……)  一瞬にしてアスティと初めて出会った時に引き戻されていた。最初で最後の夜。間違えなかったら、今も彼女は側にいたかもしれない。  思い出したあの夜に、鼓動は早鐘を打ち胸に沸き上がってきた感情が、喉を詰まらせた。  唇を噛み締め苦く俯く。あの夜をやり直したい。消えてくれない未練が、馬鹿な願いをランコムに抱かせる。  「あ、あの……?」  「……すまない。人違いだ……」  ランコムは口元を覆い、踵を返してその場を立ち去ろうとした。  「ま、待ってください!か、会場に戻るなら連れて行ってもらえませんか……!!」  必死の涙目で見上げながらランコムを引き止めた女は、どうやら迷子のようだった。  (……全然似てないな……)  ぐずぐずと鼻を啜る、アスティよりずっと華やかな美貌を横目で見ながら、ランコムはため息をついた。  人目を避けて泣いていた。まるであの夜の再現のようで、似てもいない女をアスティだと錯覚する。これは相当重症だ。  「あ、あの……本当にすいません。王都に来たばかりで……わ、私はレティシア・エスカレードです……」  「……ランコム・タリスター。気にしないでいいよ。」  ランコムは上の空で答えた。年齢だけは出会った時のアスティと同じだろう女は、驚いたように足を止めた。  「……ランコム・タリスター……様……?」  「……何?」  「あ……いえ……あの、私、レティシアです。レティシア・エスカレードです……!」  「……さっき聞いたよ?」  涙が止まったレティシアが、じっとランコムを見つめた。訝しげに見つめ返しながら、ランコムは面倒になってきた。これ以上関わる気をなくし、最低限の礼儀としてハンカチを差し出す。  「ここまで来たらもう分かるよね?俺はこれでもう帰るから……」  「あ、あの……ありがとうございます……!それで……あの……!」  さっさと踵を返したランコムに、レティシアが必死に声を縋らせだが、ランコムは手をひらひらと振って振り返らずにその場を後にした。  (……アスティ……)  乗り込んだ馬車の窓に頭を預け、出会った夜を思い返す。  シスルとの別れに、飲めない酒を飲むほど傷ついていたアスティ。どんなふうに声をかければ、どんな言葉を伝えていたら良かっただろうか。それとも言葉はいらなかった?  (ねぇ……)  呼び起こされた古い記憶は、未だに心を抉る。今はもうシスルの妻で、子供まで産まれたアスティ。  (今、幸せ……?)  自分が側にいなくても。心に落とした呟きに、ランコムは目を伏せた。急速に感情が胸を圧迫して、堪えきれずに視界が滲んだ。  少なくともアスティの幸せに、ランコムは関係ない。彼女に関われもしていないのだから。  忘れ去られているだろう自分に自嘲して、ランコムは苦く唇を噛み締めた。  何もかも搾り取られ、奪われた心は未だに返してもらえない。結婚を拒み続けてランコムは30歳になっていた。   ※※※※※  「……あっ!ランコム様!」  疲れ切って抜け出した夜会で、ランコムはまたしてもレティシアに遭遇した。嬉しげに輝く顔は、どう見てもランコムを待っていたとしか思えなかった。  人を避けて来たはずの中庭。人がいただけでも面倒なのに、ランコムよりも10は年下だろう若い女がいることに心底うんざりした。  「………何してるんです?」  あからさまに迷惑そうに顔をしかめ、トゲトゲした声を出したランコム。レティシアは顔を強張らせて俯いた。  「……すみません……お借りしたハンカチを、お返ししたくて……」  急速にしぼんだ声を落とし、小刻みに震える手がハンカチを差し出した。  無造作に受け取る時に、僅かに触れた指先がレティシアが冷え切っていることを教えた。ランコムは深くため息を吐いた。  「返さなくても良かったのに。人も少ないこんな所で、若い女性が一人でいるのは安全とは言えませんよ……」  自分こそがその危険人物だった過去に、ランコムは苦く眉根を寄せる。  レティシアは何も答えなかった。わざわざハンカチを返したのに、お礼も言わず小言を言う。流石に気分を害したのかと、ランコムはレティシアを振り返った。  「…………ぐすっ。」  「……あー……なんだ。その、わざわざありがとう……」  肩が小刻みに震え出したのを見て、ランコムは慌てて声を和らげた。    「……少し、言い過ぎた。ごめんね。でもほら、君みたいに若いかわいい子が、一人でこんな所にいたら危ないからさ……」  機嫌を取るように優しく言い募り、ますます俯くレティシアを宥めた。  女に詰め寄られ怒鳴られるのは平気でも、悲しげに泣かれるのは困る。どうしてもあの日のアスティがよぎるのだ。  受け取ったばかりのハンカチを差し出し、ランコムは忙しく視線を彷徨わせた。  「……平気ですよ……どうせ、私なんて……婚姻の申し入れに、会ってすら貰えず断られるような女ですし……」  どうやらあの日、迷子だから泣いていただけではなかったらしい。  レティシアにハンカチを受け取らせながら、ランコムは涙腺が決壊しないように、精一杯優しい声を繰り出した。  「泣くことない。だろ?逆に良かったじゃないか。そんな無礼な男と、一生を共にせずに済んだんだ。な?」  「………よ、良くないです!私は、私はその人が良かったんですぅ〜〜〜!!」  ランコムの努力も虚しく、レティシアの涙腺は本格的に崩壊した。  ランコムは手のひらに顔を埋めて、深く深くため息を吐いた。 ーーーーー  「………落ち着いた?」  「は、はい……すいません……」  レティシアは恥ずかしそうに俯いた。結局、放置するわけにもいかず、ランコムは適当な慰めを繰り出しながら、レティシアを宥め続けるハメになった。  「いいよ、俺もちょっとスッキリしたし。」  「……え?」  スッと立ち上がったランコムに、レティシアは戸惑ったように首を傾げた。  「……代わりに泣いてもらったみたいでさ。」  夜空を見上げながら、ランコムは薄く口元に微笑みを浮かべた。   「よくわかるよ……」  最初は面倒なことになったと思った。でもだんだんレティシアに、自分が重なってみえた。  「……諦められるなら、とっくにそうしてるよな……」  今、アスティはシスルの隣にいる。それがとても苦しい。とても寂しい。それなのにアスティは、ランコムを思い出しもしていない。  そんな辛さをまるで自分に代わって、喚いて泣いて貰ったようで、ランコムは久方ぶりに心が軽くなっていた。  「そんなに好きならさ、別に諦めなくていいんじゃない?」  「……え?」  ぼんやりとランコムを見つめていたレティシアは、振り返ったランコムに、ぴくりと肩を揺らした。  楽しそうに笑ったランコムの笑みに、涙でくちゃくちゃのハンカチを握りしめる。  「諦められるまで好きでいたらいいんじゃない?」  「……いいん、ですか……?」  「だって諦められないんだろ?ただ好きでいるだけなら迷惑かけてないわけだし。」   レティシアは驚いたように、ゆるゆると目を見開いた。  釣書の姿に一目惚れした。会える日を心待ちにしていた。日々想いが募った。それなのに会ってさえ貰えなかった。  「……そう、ですよね……ただ好きでいるだけですもんね……!」  夜会で見た姿は、釣書よりもっと素敵だった。夜会でいくら結婚相手を探しても、その人以上は見つからなかった。  「相手は独身なんだろ?」  「はい!」  「なら、何も問題ない。だろ?そもそも会ってすらいないんだし。」  「そうですよね!」  元気を取り戻し始めたレティシアに、ランコムは頷いた。  「よし、解決だな。ただ好きでいるだけ。俺だって……」  つられて口をついて出ようとした言葉を、ランコムははっとしたように飲み込んだ。  「……ランコム様?」  不思議そうに首を傾げたレティシアに、ランコムは首を振った。自分とレティシアは違う。  「もう戻りな。」  ランコムは小さくため息を飲み込んで、レティシアを促した。  「あ……はい。でも、ハンカチ……」  「いいよ。あげる。」  「そんなわけには……」  踵を返して歩き出したランコムに、レティシアは立ち上がった。  「あ、あの!ありがとうございます!私、諦めません!振り向いてくれるまで頑張ります!」    笑みを覗かせてひらひらと手を振って歩くランコムに、レティシアは声を張り上げた。  「ハンカチ、必ずお返ししますから!!」  振り返らずに歩き去ったランコムの消えたほうを見つめたまま、レティシアはハンカチを抱きしめた。  「……諦めません……貴方がいいって言ってくれたから……」  囁くように呟かれた小さな告白は、風に紛れて夜闇にひっそりと消えていった。 ※※※※※  「ランコム様!」  「レティシア嬢。今夜も婚活?お疲れ。どう?」  「全然だめです。ますます好きになっちゃってて……好きに上限ってないんだと思い知らされているところです。ランコム様は?」  「嫌味か?会えてすらいないのに、進展するわけないだろ?」  出会ってから3年。あの夜以来、二人は「片思い」の同志になっていた。  夜会に参加して人混みを避けて移動すると、高確率でレティシアに遭遇する。  もう面倒さも不快さもない。むしろ、秘めて閉じ込めている恋心を、打ち明けられる唯一の友人とさえ言えた。  「ランコム様も進展なし!知ってました?失恋は新しい恋でしか、癒せないらしいですよ?」  「13年も彼女以上に出会えない俺を絶望させるのは、そこまでにしてくれ。」  「ふふっ。ランコム様も重症ですね。」  「俺はいいさ。次男だし。仕事もある。でもエスカレード伯爵家なら、結婚しろってうるさいんじゃないか?」  レティシアは小さく微笑んで答えなかった。会場の賑わいと対象的な、月明かりの落ちるテラスに沈黙が落ちる。  月を見上げるランコムをレティシアはそっと盗み見た。諦めることを諦めてしまったような顔をする、綺麗な横顔に思わず言葉が零れ落ちた。  「……会えなくても消えないですか?」  「レティシア嬢は?」  「……あー、すいません。無理っぽいです……」  レティシアに振り返って、ランコムがからかうようにニヤリと笑う。思わず小さく息を飲んだのを誤魔化すために、レティシアは半ば無意識に口を開いた。  「………そんなに好きなら、もう会いに行ったらどうです?」  目を見開いたランコムに、レティシアは後悔しつつも口は止まらなかった。  「いっそ、もう気持ちを伝えてスッキリしちゃえば……」    じっと見下す視線を感じた。顔を見る勇気はなくて、俯いたままレティシアは震える唇を噛んだ。言い募るうちに開き直り、もう言葉を撤回する気はなくなっていた。  (……そうよ。もういっそ、答えを出してしまえばいい……)  ランコムもレティシアも。玉砕か成就か。ずっと誰かを想い続けるランコム。そんな彼に恋する自分。もう全部に答えを出したらいい。  会場の笑い声が、風にまじって吹き抜けていった。  「……そう、だな。」  ぽつりと呟いたランコムに、レティシアは顔を上げた。ランコムは瞼を伏せて、切なげな笑みを浮かべていた。  「それもいいのかもしれない……」  もうずっと苦しい。もうずっと寂しい。会えないのに消えないのは、会えないから消えないのかもしれない。顔を見たら、変わるかもしれない。もう終われるかもしれない。  「……もういい加減、そうしてみようかな。」  レティシアに向きなおり、透き通るような笑みを見せたランコム。気付かれないようにレティシアも必死に笑みを浮かべた。喉の奥に凝った感情が、溢れてしまわないように。  (……噂なんてあてにならない……)  美貌でさえ違っていた。釣書なんかより噂なんかよりずっときれい。  誰かを想って笑うランコムはとてもきれいで、とても切ない。  偶然を装って何度も会いに来た。からかう顔も、笑った顔も、誰かを想う横顔も。この3年ずっと近くで見てきた。会うたびに好きになる。知るたびに苦しくなる。  (……女に飽きた冷笑家なんて、嘘じゃない……)  本当は迷惑そうに迷子を助けて、小娘の涙にうろたえるような人。たった一人に恋をして、他に何もいらなくなってしまった人。  13年もその人との未来を諦められず、片っ端から名前も見ずに婚姻を断り続けるランコム。  ひっそりと誰かをずっと想ってる。  過去が噂がどうあれ、自分の目で確かめたランコム・タリスターはそんな人だった。  釣書の肩書きからは推量れない生身の彼が、どうしようもないほどレティシアを惹き付ける。知らずにいたら、そのうち忘れることもできたはずだ。でも出会ってしまった。知ってしまった。  彼も自分じゃない誰かに、そんなふうに恋している。いやになるくらい思い知っていても、もうランコム以外は考えられなくなっていた。   ※※※※※  王都と北部を繋ぐ要所となった街道。ランコムとシスルを詰め込んで進む馬車。中は非常に空気が悪かった。お互いに反対側の窓の外を無言で見つめ続けている。  街道の視察を終えフラメル侯爵家が近づくと、シスルが地を這うような声で沈黙を破った。  「……アスティに手を出したら殺す!」  「黙れよ、クズ。同じ空間にいることを死ぬほど我慢してるんだ。口を閉じてろ。」  「お前のようなゴミクズ野郎を、フラメル侯爵領に入れたのは街道視察だからだ。街道だけ見てろ。俺の妻は見るな。さっさと帰れ。」  「フラメル侯爵に招待されている。お前こそ必要ない。視界から消えてろよ。」  「いいぜ?だからお前も俺と俺の妻の視界に入るな。未練たらしく話しかけたりするなよ。」  「馬鹿か?俺はお前と違って最低限の礼儀を弁えているからな。当然、挨拶するし会話もする。」  「お前が話しかけるたびに、街道の使用料を加算してやる。」  「ベラートの石材の流通を止めてやろうか?」  徐々に剣呑さを深める会話は、出迎えに出ていたアスティの姿が見えた途端途切れた。  「ランコム・タリスター卿。ようこそ。フロイライン街道はいかがでしたか?」  「……アスティ……夫人……。歓迎、ありがとうございます……」  何とか絞り出した言葉。礼儀として差し出された手に、跪くような心地で口づけを落とした。  (ああ、アスティ……)  一目で理解させられた。2日の滞在の間に、確信に変わった。  だから滞在を終え王都に帰る時、ランコムを見送るアスティを、まっすぐに見つめることが出来た。    「お気をつけて、ランコム卿」  「……ありがとう。」  本当に。向き合った先のアスティは優しく微笑んでいる。  「……さようなら、アスティ。元気でね。」  別れの挨拶に、万感を込める。口には出せなかった言葉は心の中で呟いて、ランコムは微笑んだ。その笑みにアスティが小さく目を見開き、やがて笑みを浮かべた。  「……ランコム様も。私もとても感謝しています。」  静かな笑みを浮かべたアスティに、ランコムの瞳がゆらりと揺れた。その笑みを大切にしまうように、胸に収めるとランコムは踵を返した。  死ぬほど睨みつけてくるシスルには、一度も振り返らずに馬車に乗り込む。  《……ランコム様も。私もとても感謝しています》  ゆっくりと走り出した馬車の窓から、アスティがくれた言葉を何度も思い返した。 ※※※※※     「……ランコム様。」  「……やあ。調子はどう?」    王都を離れていたランコムが、夜会に来ていると聞いて探していたレティシアは、ようやくランコムを探し当てた。  いつもより念入りに人目を避けていたらしいランコム。力のない声と、儚げな笑みにレティシアは唇を引き結んだ。  ランコムに拒む気配がないことを確かめて、レティシアは隣に腰かけた。  「……とても幸せそうだった。」  長い沈黙の後に、ぽつりとランコムは呟いた。  再会して一目でわかった。綺麗だった。内面から滲むようにアスティは輝いていた。子供を愛しげに抱きしめ、家族に囲まれて優しい空気を纏っていた。シスルと言葉を交わし、見つめあって微笑んでいた。  草むらで一人声を押し殺して泣いていたあの少女は、今望んでいた幸福の中で生きている。  きっとあの光景こそが、彼女が欲しかったもの。そこにランコムの居場所はなかった。  「……良かった。」  幸せそうで。両手に顔を埋めて、ランコムは溢れ出したものを覆い隠した。  自分の居場所はなくても、悲しそうだったアスティが笑っていた。    「彼女が幸せで、本当に良かった。」    押し出した声が、どうしようもなく震えた。熱に浮かされ吹き荒れる嵐のように、ランコムを翻弄した初恋。  13年も募らせた想いは、いつの間にか相手の幸福を願えるほどにまでなっていた。  「アスティ……」  今の自分の仕事も評判も、その始まりは不純で愚か。それでも手に入れてきた全ては、辿ってきた道のりは、アスティに恋して得たものだ。  自分本位だったランコムを、ここまで変えてくれたアスティとの出会い。  「君を好きになってよかった……」  報われも手にはいりもしなかった。ずっと寂しくて苦しかった初恋。  それでも出会わなければよかったとは思わない。根本を作り変えるようなこの恋を知らなければ、自分はいつまでも変わりはしなかっただろうから。  「……ありがとう、アスティ。」  きっとどうやっても手に入らなかった。初めから分かっていたかもしれない。13年かけてゆっくりと諦める準備をしていたのかもしれない。  アスティに会いに行って、その幸せを確かめて、ようやく諦める覚悟が出来た。  《……ランコム様も。私もとても感謝しています》  最後にアスティがくれた言葉が、長い片思いにほんの少し報いてくれた。  アスティにとっても自分は、僅かでも意味のある存在だったかもしれないことが嬉しかった。    「……ぐすっ……ひっく……」  隣から聞こえてきた嗚咽に、ランコムはぎょっとして振り返った。すっかりレティシアの存在を忘れていた。  「レティシア嬢……!」  「……ぐすっ……ラ、ランコム様……ご、ごめんなさい……本当に……私……」  ぼろぼろと大粒の涙をこぼすレティシアを、呆然と見つめランコムは苦笑した。いつかの夜のように、自分の代わりのように泣くレティシア。  3年の片思いを抱えているレティシアには、自分の失恋は他人事ではないのだろう。  「はいはい。代わりに泣いてくれて、ありがとう。」  「ランコム様ぁ……ううっ……うえっ……ごめ、ごめんなさい……」  「何も謝ることなんてないだろ?ほら、令嬢としてはアウトな顔になってるぞ。ハンカチ貸してやるから。俺はだめだったけど、レティシア嬢は頑張るんだろ?泣き止め。」  遠慮なくハンカチに顔を埋めたレティシアは、必死に涙を食い止めて顔を上げた。  しょうがないな、とあきれたように自分を見つめるランコムに、覚悟を決めたように視線を合わせた。  「……わ、私、私、ランコム様が振られたらいいなって。そう思って会いに行けって言ったんです。」  「……レティシア嬢……?」  驚いたように目を見開いたランコムに、レティシアはしゃくりあげながら必死に言葉を押し出した。  「早く振られて、そして新しく恋する気持ちになってほしいって。私を見てほしいって。どんなに好きでいるか知ってて。ごめんなさい。  でも、もう私を見てほしいんです。アスティさんを好きなままでいいです。少しずつでいいから私を見てほしい。  私もランコム様が、アスティさんを想う気持ちに負けないくらい、貴方がずっと好きなんです……!」  呆然としたままのランコムに、大きな緑の瞳を潤ませて、レティシアはまっすぐに告げた。  「ランコム・タリスター卿。私はレティシア・エスカレード。改めて直接申し込みます。釣書を見たときから決めていました。私と結婚してください!!」  挑むように詰め寄ってきたレティシアに、ランコムは呆然としたまま固まった。  予想すらしていなかった展開に、頭が真っ白だった。  ランコムはようやく会うことすらせずに、速攻で断った無礼な縁談相手が、自分だったことを悟った。   ※※※※※      「晴れて良かったですね。」  楽しげなレティシアが、本日夫となったばかりのランコムを見上げた。  「そうだな。」  「……ふふっ。みんな、羨ましがってました。私も鼻が高かったです。」  「俺はもう35だぞ?羨ましがられたのは俺。10も年下の可愛い嫁をもらったんだからな。」  寝台に腰掛けながら、ランコムはレティシアに微笑みかけた。  「だからなんです?若くてもランコム様より美しい男性なんて、一人もいなかったじゃないですか!おまけに貿易業で成功してて、甲斐性もバッチリ!」  「言われるほど金持ちでもないけどな。」  「知ってますよ。でも欠点なんて、散々遊んでいたらしい若い時の()()()()()()が、花嫁のあら探しに詰めかけたことくらいです。  親切にも丁寧に自己紹介していただきましたから。」  苦く顔を顰めたランコムに、レティシアはくすくす笑った。  「そんな顔しなくても大丈夫です。ちょっとしか怒ってませんから。今後は絶対に許しませんけど!」  「……ちょっとは怒ってるんだろ?悪かったよ。もう二度と煩わせたりしない。」  「当然です!」  びしりと言い切ったレティシアの頬に、ランコムは優しく口付けた。くすぐったそうに身をよじるレティシアを、ランコムは優しく抱きしめる。  「……これからよろしく。俺の奥さん。」  「こちらこそ、よろしくお願いします。旦那様。」  顔を見合わせながら、くすくす笑みを零して引かれ合うように口付けを深める。  レティシアの身体を辿る腕に、全幅の信頼と愛情で身を委ねる妻に、ランコムの胸に柔らかな幸福が広がっていく。  「あっ……あっ……ランコム様……ランコム様ぁ……!」  蜜を溢れさせひくつく秘裂に、ねろりと舌を這わせるたびに上がる、蕩けた甘い声にくすりと笑みをこぼした。  とても可愛い。とても愛おしい。重なる肌の温かさに、欲望よりも大切なものを抱ける幸福感が湧き上がる。  「あぁ……あっあっ……ランコム様……ランコム様!……あぁ!あぁ!」  「いいよ、レティ。見ててやるから。」  「ああっ!ランコム様!ああっ!だめ!ああっ……ああーーーー!!」    中をかき回すランコムの指の動きに、レティシアは呼応するように腰を揺らして絶頂した。ぶるぶると震わせた身体が、ゆっくりと弛緩し、赤く潤んだ瞳でランコムを見つめてくる。  「あぁ……ランコム、様……」  「……レティ……かわいい……」  汗ばんだ額から髪を払ってやりながら、ランコムはレティシアに口付ける。そのまま深くレティシアの中に、己を沈める。  「あっ……あっ……ランコム様……ああっ……」  切羽詰まったように啼くレティシアに、何度もキスを落としながら、ランコムはレティシアと深く繋がった。  「あ……あぁ……」  「レティ……動くよ。」  「ふっ……ああっ!!」  温かく潤む粘膜を擦り立てながら、腕の下に閉じ込めたレティシアを見つめる。  「レティ……レティ……」  脳を焼く鮮烈な快楽ではなく、胸を満たす信頼と幸福で与えられる快楽に、ランコムは腰を早めながら愉悦にため息を吐き出した。  13年煮詰めた初恋を、2年かけて大切な思い出に変えてくれた。忘れなくていい。大切なままでいい。今のランコムは、その恋が作ってくれたのだから。そう言ってくれた時から、レティシアはランコムの特別になり始めた。    「レティ……レティ……気持ちいい?」  「いい!いい!ランコム様!ランコム様!」  脳を焼き切るような鮮烈な快楽で、何もかも奪うのではなく、優しく包み込むように全てを受け入れてくれるような、レティシアとの交歓。  「……あぁ……もう……レティ……レティシア……」  「ランコム様……ランコム様……あぁ……」  ギシギシと寝台は軋み、互いの昂りを見守りながら共に頂きを目指す。握りあった手のひらは固く結んだまま、目前に迫った頂点から一緒にふわりと浮き上がる。  「あぁっ!レティ……!」  「ああぁぁーーー!!」  互いの息を貪るように何度も口付けを交わし、呼吸が落ち着くころに、ようやく唇は離れた。見つめあった眼差しの先で、笑みを交わし合う。  「大好きです……ランコム様……」  「俺もだよ。」  もう寂しくも苦しくもない。染み込むような信頼と愛情に満たされている。胸に抱いた想いを伝え合う相手がそばにいる。  ゆっくりと肌を押し付けたランコムに、レティシアは恥ずかしそうに腕を回した。  もう一度、頂きを目指し始めながら、ランコムは幸福にため息をついた。  恋よりも先に快楽を知った。何でも手に入ると驕っていた。今自分さえ良ければどうでも良かった。そんな薄っぺらい男は、初恋を15年も拗らせ続け、信頼の上に愛を築く幸福をようやく知った。  自分を変えてくれた初恋を大切にしまい込み、想いを伝えあう相手とこの先の未来を歩く誓いを今日立てた。  35歳とかなりの晩婚になった男は、ようやく愛とは何かを知る第一歩を踏み出しはじめた。 ※※※※※  ここまでお付き合いいただきありがとうございました。  こちらの作品はメインサイトで公開していた短編ですが、リクエストを頂き書いているうちにシリーズも6作に。  《表紙イラストレーター》 猫倉ありす 様 ファンシー系イラスト・ドット絵アニメーションを中心に各社と契約し活動。 引退後、個人依頼により二次創作の美少女系イラストを描き始める。 二次創作の傍ら一年前より一次創作を始め、現在の『猫倉ありす』へ名義変更。 漫画では処女作『転移先は女子大生の部屋でした-Another-』でアルファポリス第18回漫画賞春の陣において、最終選考に残り奨励賞受賞。 小説の挿絵、漫画、ゲームやVtuberのデザイン等を中心に活動中。 猫と不思議の国のアリスのモチーフが好き。
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