白鷺

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白鷺

「たまには外に出なきゃあだめだぜ」  大学時代からつるんでいる友人、沖田が、また説教を始めた。 「出ているよ。週に一、二度は、スーパーに行ったりDVDを借りに行ったり」  私はベッドの上でごろごろとしたまま、気だるく答える。 「そういうんじゃなくてよ……ったく、解っているくせに、はぐらかしやがる。じゃあお前、それ以外の日は、本当に一歩も外へ出ないのか」 「ずっと部屋に居る。一日中眠いんだ。出かけたって、出先だろうがひどい眠気に襲われるもの。だから一日のほとんどは寝ているよ。たまに起きて、借りてきたDVDを見たり、ご飯やお風呂をすませたりして。でもまたすぐ眠くなる」  実際、話しながらも、すでに少し眠かった。 「また病院で診てもらえよ」 「もうそういう病院はいいよ。一回行ったらこりごりだ。大丈夫、もう少し休んだら、ちゃんと仕事始めるから」  新しい仕事に就いて三ヶ月目。私は少しばかり精神を病んでしまった。異変に気づいて休職を勧め、すぐに予約の取れる精神科の病院を見つけて手配してくれたのは沖田だった。  職場に出す診断書と薬を貰えたのはいいが、私はその医者の決めつけてくるような応対が気に入らず、精神科といってもこんなもんかと、もう行く気にはならなかった。  それから二ヶ月は経つだろうか。私はずっと、閉じこもった生活を続けていた。 「そうだ! 俺は今日も歩いて来たんだが、今日は本当によく晴れて、すごく気持ちが良かったぞ。お前、今から少し、散歩してこい」  パチンと膝を打った沖田が、これはまた面倒なことを言い出した。 「ええ……急に、面倒くさいよ。それに眠いし」 「いや、行ってこい。こうでもしなきゃお前、外出ないだろ」  私の抵抗は呆気なく敗れ、上着を着せられマフラーを巻かれ、半ば強引に外へ放り出された。 「まあ、ちょっとぶらぶらしてみろよ。案外気に入るかもしれないぜ。留守番はしといてやるから」  私は軽くため息をついてから、どこへともなく歩き始めた。  まだまだ寒さの続く冬の昼下がり。太陽の柔らかな日射しに、冷たい北風もほとんど無いおかげか、カラッとした穏やかな気候だった。 「たしかに、気持ちがいいな」  私は、今ごろ部屋でのんびり本でも読んでいるであろう友人に、素直に感謝した。  川に差し掛かり、そのまま川に沿って土手の上を歩いてみる。時々聞こえる水音が、こんなにも耳に心地よいものだとは。  ふと前方に、川を見つめる一人の婦人の姿が目に入った。白い菊の描かれたクリーム色の着物に、薄いグレーのストールを巻いている。  着物姿が珍しかった私は、ちらとその姿を気にしながら後ろを通り過ぎようとしていた。すると、 「あのう、すみません」  いきなり、その婦人がこちらを振り返り、話しかけてきた。改めて見ると、六十代くらいの品の良さそうな老婦人だ。 「ねえあれ、何かしら? 白鳥?」  その老婦人が指さすほうを見てみると、川のちょうど真ん中辺りに、一羽の白鷺が、真っ直ぐ立ったままじっとしている。  思いがけず話しかけられて少々たじろいでいたが、老婦人の目的も分かり、私は幾分落ち着きを取り戻して、 「ああ……あれは、鷺ですよ」  と答えた。老婦人は、 「ああ、鷺。──どうもありがとう」  と、少女のように晴れやかな笑顔を向けて礼を言った。私は不器用な笑みを返し、再び歩き始めた。  見ず知らずの人と交わした、ほんの一瞬の何気ない会話。挨拶。それが何となく、薄れかけていた私の存在とこの世間とを繋いでくれたような気がした。  私は今、確かにここに存在している。穏やかな冬晴れの空の下を、もう少し、歩こうと思った。
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