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それからおよそひと月。ぽかぽかとした春の空気は、夏の強い日差しに変わろうとしていた。春の間はまだ圭佑への恋心を持て余していた結だったが、この頃になると圭佑と会っても顔を赤くしてしまうこともなくなり、以前のようにちゃんと顔を合わせて話せるようにもなっていた。
「おはよう、結」
外で洗濯をしていた結に明るく声がかけられる。振り向かずとも誰の声かなんて、今の結にはすぐ分かる。そのことにも声の主にも嬉しくなって笑顔で振り向いた。
「おはよう、圭ちゃん」
圭佑が戻ってきてからひと月が経ち、彼がいる日々にも慣れて毎日のように会えることに穏やかに喜びを感じていた。
「なぁ、結。これやるよ」
そう言って伸ばした手の平。結の手よりも大きくて広い手の平の上に、小さな桜色の貝殻が乗っている。その貝殻がころんと、今度は結の小さな手の上に渡された。
「きれい……」
「昨日、漁の網に引っかかってたんだけど、綺麗だったからさ、結にやりたいと思ったんだ」
見上げると少し照れたように笑う圭佑の顔があった。
「嬉しい。ありがとう、圭ちゃん」
きれい。嬉しい――。
中心が濃い桜色をした貝殻。そこから滲むように、外に向かって色は薄く淡くなっている。かすかに感じる潮の香りは、漁をする圭佑の匂い、圭佑の故郷の香りだった。
きれいな貝殻を見て自分を思い出してくれたのかと思うと、喜びが涙となって込み上げてくるようだった。
圭ちゃん。好き、好き。……大好き。
溢れ出す。止まらない。伝えたい、知ってほしい。
「圭ちゃん」
わずかに語気を強めた結に、圭佑も真剣な目をする。
「わたし、わたしね。……圭ちゃんが好き」
「結……」
『言えた』と『言ってしまった』。ふたつの思いに挟まれた緊張に俯いてしまう結の頬に、そっと圭佑の手が触れた。暖かいその手に導かれるように、結は顔を上げる。
「あのさ、結。俺も、お前が好きだ」
今度は驚きで何も言えなくなってしまう。こんなに自分の心臓がどくんと激しく跳ねるのは初めてのような気がした。
「けい……ちゃ……。ほんと、に……?」
まるで喉元で心臓が大きく動いているみたいで言葉は上手く出てこない。それでも、溢れる涙と喜びに微笑む口元が、圭佑への返事になった。
「もっかい……。もう一回、言って……?」
一瞬、圭佑は困った顔をしてから、笑った。
「結が、好きだよ」
今度こそ結は何も言えなくなってしまい、だけどこんなに嬉しいと思う気持ちを伝えたくて、言葉の代わりに結は圭佑の胸に飛び込んでいった。
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