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俯いたまま、無言で後ろを歩く結に、圭佑が明るく話しかけてくる。
「そうだ、結。今晩うちに飯、食べに来ないか? お袋が張り切って作ってるんだ」
「……いいの? だって、せっかく圭ちゃんが帰ってきたところなのに」
「まぁ、これからはずっと家にいるから。それに親父も結を誘ってやれって。俺が戻ってくるって喜んでたんだって? 結」
振り向いた圭佑は楽しそうに笑っていた。思い出の中と同じその笑顔に結もほっとして、気まずかった気持ちも少し収まる。
「うん、行く。……あのね、……嬉しかったのも、本当だよ」
今度は素直に言えたと、そんな自分が嬉しい。もう苛立ちもささくれ立った気持ちも消えてしまっていた。
「そっか。ありがとな、結」
立ち止まって言った圭佑の笑顔に、さっきまでの苛立ちとは違う鼓動が高鳴ってくる。トクトクと、胸の内から暖かく込み上げるような鼓動。それを何だろうと思うのは、分からないのはさっきと同じなのに、今は不思議と幸せな気持ちに包まれていく。
『あなたは圭佑くんのこと、男の人として好き?』
八緒が聞いてきたこと。さっきは分からなかったこと。
だけど今は分かる気がする。
うん、母さん。わたし、圭ちゃんのことがたぶん、きっと、……好きだよ――。
子供の頃とは違う『好き』が、今ここにあった。母や友だちに向ける『好き』は楽しくて明るいものだった。迷いなく、屈託なく口にできる気持ちだった。
だけど圭佑に感じる『好き』は、まるで春の木漏れ日のようにぽかぽかと穏やかに胸を暖めてくれる。さっき感じた苛立ちももやもやとした気持ちも、この『好き』から来たものだと、今なら分かる。その暖かさも苛々も、全てが圭佑のためにあるもの、全てをひっくるめて、圭佑を好きだと言っていた。
「あのね、圭ちゃん」
その気持ちを自覚して、結は背中に向かって呼びかける。彼の名前を呼ぶ自分の声すら嬉しかった。
「ん?」
そしてその声に振り向く圭佑。自分を見てくれるその笑顔に喜びが込み上げる。
「ううん、なんでもない」
だけどこの気持ちを伝えることはまだまだできずに、赤く熱を持った頬に気付かれないように、結はそっと言って顔を伏せた。
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