結婚

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 そして翌朝、式の日を迎えた。夢に見るようだった、圭佑と夫婦になれる日だというのに、結はなぜか胸の中を冷たい風が吹くような寂しさを感じていた。  これまでのように、起きていちばんに八緒に『おはよう』と言うのも、ふたりだけで一緒に朝食を摂るのも、何をしてもこれが最後だと意識してしまう。つい暗い表情になってしまう結よりも、八緒の方がよほど明るい顔をしていた。   「……あのね、結」    いつもは話題に事欠かない時間なのに今日に限って何を話していいのか分からない。何か話したい、何かを言わなければならないのに、と焦るようにも気まずくも感じながら静かに朝食を終えたときだった。洗っていた椀を置き、八緒が真剣な目つきで結を見てくる。その雰囲気に押されるように、結もまた、布巾を持った手を止めて八緒を見た。  しかし八緒が口を開くのを躊躇(ためら)った一瞬の間に、扉を叩く音がした。誰か迎えに来たのだろうか、少しだけ待っていてもらおうか。そう言いに行こうと腰を上げかけたとき、結がそうするよりも先に八緒が扉に向かって声をかけた。   「はい」    あっさりと八緒が客人を入れようとしていることに驚き、結が待ってと声にするより早く扉は開いた。   「結。準備できたか?」    そこに立っていたのは圭佑だった。これから圭佑の家に行き、白無垢を着て彼に嫁ぐ。あまりに幸せで、あまりに眩しい彼の姿のはずだった。なのにさっきの八緒の表情が心に刺さり、素直に答えることができずにいた。   「うん……。けどちょっとだけ待っ」 「大丈夫よね、結。あんまり待たせちゃ駄目よ。ごめんね、圭佑くん。すぐに行けるわ」    戸惑いながらも、早口で圭佑に答える八緒を止められなかった。八緒はもう結を見ていなかった。その視線に、笑顔のその表情に、八緒がもう話の続きをすることはないのだと、結には分かった。こういうときの八緒は頑固で、おそらくいくら尋ねてももう話はしないだろう。仕方がない、きっと娘を見送る母の言葉だったのだろうと自分に言い聞かせ、結は圭佑の方を振り向いた。   「うん。すぐ行く」    八緒に背中を見送られ、結は圭佑に手を伸ばす。柔らかく自分を見つめるその瞳に安心し、結の中の不安や疑問は溶けていった。  圭佑の手を取り微笑んで立つ結を、八緒もまた優しい眼差しで見ている。    「私もあとからすぐに行くから。先に行ってらっしゃい」 「うん。それじゃ、母さん。……行ってきます」    こうして結は長く住み慣れた家、これからは三人で住むことになる家を穏やかな心地で出ていった。
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