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「お母さん、あのね。美奈ちゃんと加代ちゃんがね、お母さんのこと、綺麗で羨ましいって言ってたんだよ」
少しのご飯と味噌汁という粗末な夕食を摂りながら結の話し声が賑やかに響く。
ふたりが住むのは海辺の家。木を組み立てただけの簡素な家で、冬には隙間風に悩まされるであろうことが容易に想像できるものだった。それでも結はこの家が好きだった。三年ほど前にこの小さな村にやって来てから住んでいる場所で、柱に付いたちっぽけな傷も母が背丈を記録してくれた大切な思い出。冬の寒さも、母とくっついて眠る口実にできる。
ここに来る前は大きな町にいた。八緒は大店の家の使用人として働き、ふたりは他の使用人たちと共に離れに住んだ。そこには結と同じ年頃の子供も住んでいたのを覚えている。しかしある日突然、八緒は他に働き口が見付かったと言って結を連れてその家を出た。手を引かれ歩いた先に何があるのか、どこへ向かっているのかと尋ねても八緒は何も教えてくれなかった。働く場所のために町を出たのに、どこに行くのか分からない不安に、しかし結はそれ以上何も聞けなかった。尋ねたときの八緒の困った顔に、結は幼いながらも何も聞かない方がいいと思ったのだった。
こうして歩き着いたここ、真舟村で、八緒は縫い物の仕事を見付け、空き家となっていたこの家に住み始める。
幸いなことに村の人たちは幼子を連れた若い母親に同情を寄せて厭うことなく迎え入れてくれた。さらには八緒が縫い物が上手だったこともあり、ほつれた着物や漁に使う網の修復にと、多くの仕事を任されるようになっていった。
そしてそれからおよそ三年、八緒は結と穏やかに暮らしている。
結は海辺のこの村が好きだった。同じ年頃の友人もいるし、日ごと、季節ごとに色を変える海は飽きることがなく、今では聞き慣れた波の音も心地よい。何よりも、前にいた町では朝早くから晩は遅くまで働いていた八緒が、ここではいつもそばにいてくれる。縫い物をする八緒のそばで何をするでもなく過ごす時間が、食事の用意を手伝う時間が、結には何より楽しく幸せな時間だった。
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