5人が本棚に入れています
本棚に追加
01「シン」
しゅんっ、と高速で振り下ろされる、薄紅色に輝く刃。いや、そんな音は聞こえない。ただ目で見たものに、そんな音がついていそうだなと思っただけだ。
およそ普通の人間が振るえる速さではない。が、その斬撃を喰らうことも無い。
「よっ」
首を少し傾げただけで、振り下ろされた斬撃はすぐ目の前を素通りする。下ろしたなら、次は上げるだろう。予想通りにやってきた切り上げ。しかし、それは最初の斬撃とは比べるべくもない、ずいぶんとお粗末なものだ。
「はっ」
今度はいくらかの余裕をもって、躱す。水たまりを避けるくらいの気軽さでステップを踏み、相手の間合いからすいっと逃れる。すると、こちらに追いすがるように踏み込みからの回し蹴りがやってくる。
「ほっ、と」
無理な体勢から放ったのだろう、放たれた蹴りはこちらに届く前に失速する。上から押さえつけるのは簡単だが、それではあまりにもつまらない。蹴りを避けつつ近づいた俺は、相手の肩に手を置き、馬跳びの要領でその背後に回った。
「ダメだな、もっと三次元戦闘を意識しないと」
後ろからそう声をかけると、相手は「うるせぇ!」と叫びながら、振り向きざまに裏拳を放つ。振り抜かれようとする拳を見つめ、「はぁ」とひとつため息。迫る裏拳を、俺は片手で軽く払った。
ビィィィイン! と骨に響くような音が鳴り、相手は反動で尻もちをつく。
「魔力の使い方も、なっちゃいない。目覚めたのはここ最近か?」
あまりにも拙い相手の技量に、思わずそう問いかける。俺よりも頭ひとつぶん高いはずの相手は、今は眼下でその額に青筋を一本浮かべていた。
「シンってば! 彼は去年の全中のベスト4、三條の新入生ではトップの成績よ!」
フィールドの外から聞こえるクレハの声に、「はあ? これが?」と、再び相手を見る。
身長は大体一八〇センチ後半、高校生にしては引き締まった体で、おそらく体重も軽くない。手足も長く、スポーツをやるには恵まれた体躯だ。だが……。
「絶望的なまでに技術がない。これでベスト4? 一年のトップ? 天下の三條も地に落ちたな」
いまだに無様な姿をさらしている相手を見て、感想が口をついて出てくる。技術だけの話でもない。いくら練習試合でも、今は試合中だ。真剣勝負だ。その最中にダウンを取られ、そのリカバリーもろくにしない。実力以前の問題だろう。
「やる気がないなら、やるなよ」
冷めた視線を向けてやると、そいつは親の仇でも見るようにこちらを睨めつけてきた。それだけの闘争心があるのなら、何故試合中にそれを見せないのか。……いや、これは闘争心というよりは、純粋な苛立ちか。
相手が立ち上がる。そうなれば、見下ろされるのは身長の低い俺のほうだ。
「ふざけんじゃねぇ。さっきから何様のつもりだ、このチビがっ!」
「……」
こいつは、今何と言ったかな。
「さっきから避けるばっかで攻めてもこねぇ……、やる気がねぇのはどっちだよ! 少しは本気出しやがれってんだ!」
なにかわめいているようだが、それよりもさっきなんて言ったかのほうが重要だ。
チビ。
聞き間違いじゃなければそう言ったはずだな。
まあ? 確かに俺は一七〇センチもないから、身長は低いほうだ。相手からすれば? まあ間違いなくチビではあるんだろう。しかし、なんだって俺よりも弱い奴に(しかも年下に)そんなこと言われなきゃならない? 何様のつもりかって? お前こそ何様だ。身長によって何かしらの優劣があるとでも思っているのか?
相手が真面目に練習をしたいって言うなら、こっちだって協力してやる。でもな、喧嘩を売ろうってんなら、それはもう加減してやる理由が無ぇ。
視界の隅でクレハが額に手を当てているのが見えた。
「オーケー、身の程知らず。残り時間は……折り返しの五分か」
場外に設置されたタイマーを見る。時間としては十分だ。
軽く手首を回し、動かしていなかった筋肉の緊張を解く。体に少し魔力を通して、攻撃側にシフトする。
「俺のSCは――ソーサリー・コンバットは甘くないぞ」
◇
六〇秒後、そのフィールドには汗だくになって横たわる、一人の選手の姿があった。
「なん……なんだよ、あれ」
昨年の、全国中学生SC大会ベスト4である期待の一年生は、息も絶え絶えにそうつぶやいた。
「あれ、アンタほんまに知らへんの? ……まあ無理ないか。高校はちゃうし、そもそもあいつは部活にも入ってへんからな」
そんな彼に、部の先輩はスポーツドリンクを差し出しながら言った。
「あいつはシン。一昨年の全中優勝、去年の地区大会準優勝。絶対王者ミナトの、唯一のライバルや」
◇
「もう、シン!」
試合が終わると、クレハが怒り顔で詰め寄ってきた。心当たりのある俺は、なるべく気持ちを顔に出さないようにそれに応じる。
「あー、はいはい、反省してるよ。さすがに大人げなかったなって」
先制で謝罪するが、どうにもクレハの怒りは収まらない。
「それだけじゃないでしょ! いくら本当のことでも、練習試合で相手を煽るようなこと言わないの! それに、実力があるんだから少しのことで怒らないこと」
ああ、試合中の口論のことを怒っているのか、と納得する。あれは別に煽ったわけではない。ただ思ったことを口に出しただけだ。結果的により効果の高い煽りになってしまったのは否めないが。その後の試合にしたって、あれは完全に向こうが悪いだろう。俺は売られた喧嘩を買ってやっただけだ。まあ、チビと言われて頭に血が上ったのは確かだが……。いけない、思い出したらまた腹が立ってきた。あいつ、もう少し甚振ってやればよかった。
考えていることが顔に出ていたのか、クレハは「はぁ」と深くため息をつく。
「今日は三條学園の練習のために来てるんだから、シンが本気出したらみんなの練習にならないでしょ。ちゃんと加減して試合にしてあげて」
お前もまあまあひどいこと言ってるぞ、と思ったが、さらに怒られそうなので心の中にしまっておこう。
「まあいいわ。それで肝心の試合内容のほうだけど、あれは何?」
まだあるのか、と口をついて出そうになる。が、口が動く暇もなくクレハはつらつらと言葉を並べていく。
「練習相手のことを考えないプレーはまだ置いといても、さっきの試合は無駄が多すぎる! 必要以上のフェイント、攻撃の間にも隙が多かったし、何より魔法の切り替えが雑! あんな動きじゃ、今年のインハイもミナトさんに勝てないよ!」
まくしたてるクレハに思わず耳を塞ぎたくなる。けれど、今の指摘についてはごもっとも。相手が相手だからと手を抜きすぎた。それで変な癖がついてしまっては笑えない。
しかしまあ、よく見ているものだ。
魔法戦闘競技『ソーサリー・コンバット(Sorcery・Combat)』――通称SC。その名の通り、魔法を使った戦闘技術を競う、軍隊格闘術が元となったスポーツだ。
魔法には様々な種類があるが、SCで主に使われるのは、防御、攻撃、そして身体強化の三つ。魔法で強化した身体能力による超高速戦闘。その素早さと派手さがSCの売りだ。それゆえに、競技としてSCを分析する場合はその動きを見切る必要がある。
戦闘中のフェイント、通常ではありえない三次元運動、そしてその動きを維持し、攻防に展開する魔法運用。クレハはそれらを、ただ見るだけで理解している。
「頼りになりすぎるマネージャーだな」
「なにそれ、もしかして嫌味?」
素直な称賛なのになぜ勘繰る?
「まぎれもない本心だ、突っかかるなよ……」
「ちょっと何その言い草は!」
ああもう面倒な。これじゃあマネージャーというよりは口うるさい母親みたいだ。俺は早く次の練習始めたいんだが……。
「あ、あのっ! 青江高校から練習に参加してる、シンさん……ですよね?」
どうやってこの場を切り抜けようか、と考えていると、突然背後から声をかけられた。
「え、ああ、はいはいどうした……って」
これ幸いとそちらに向き直る。と、目の前には細い腕で体を抱くようにして胸元を隠す、三條学園SC部の女子部員の姿があった。
「あー……」
目のやり場に困り、急いで視線を明後日の方向へ向ける。
おそらくは新入生だ。それも、ある程度魔法が使えるようになって、ようやくSCを始めることができたとか、そんな感じの。この雰囲気だと、きっとコンバットスーツを着るのも初めてなんだろう。SCのユニフォームであるコンバットスーツは体に密着するから、慣れないうちは恥ずかしくて目の前の彼女みたいにもじもじしてしまう人も多い。
「あの、わたし、今日が初めてで……。いろいろ教えてくれるって聞いたんですけど……」
恥ずかしさからか頬を赤らめ、上目遣いでそう尋ねてくる女子部員。やましいことは何ひとつないというのに、悪いことをしている気分になるのは何故だろう……。別に体のラインが強調されているだけで、特に露出が多いわけでも何でもないのに。そうだ、水着とかのほうがよっぽど――。
「……シン?」
「っ、何かな、クレハさん」
思わず敬語になってしまう。いや、別に責められるようなこと何もしてないのに、何でこんな説教受けてる感じになってるの……?
「そこのあなた、恥ずかしいのはわかるけど、あまり気にしないほうがいいわよ」
「え、でも……」
「周りの先輩たち、見てみて」
クレハの言葉通りに女子部員が周囲を見渡す。周りにいるのは彼女のような初心者を除けば、みな上級生や経験者。全国でも上位の実力を持つ強豪、三條学園のSC部員たち。つまり、歴戦の猛者たちだ。コンバットスーツに恥ずかしさを感じているものなど誰一人としていなく、堂々とした立ち振る舞いである。
「……どう見える?」
「かっこいい、です」
女子部員の素直な言葉に、クレハはニッと少年のように笑った。
「だったらほら! あなたも胸張って、堂々としないと! あなただって、三條のSC部員なんだから!」
「は、はい! よろしくお願いします!」
クレハの言葉で一気に背筋が伸び、まさに体育会系と言った感じの返事をパキリと返す。さすが、長年俺と一緒にSCを見てきただけのことはあるというか、やはり頼りになりすぎるマネージャーだ。
「よし、気合が入ったところで、基本的なところから教えていこう。クレハも来てくれ、説明なら俺よりもうまいだろ」
クレハのほうを見ると、何故かこちらを睨んでいた。しかもめちゃくちゃ厳しい睨み方だ。眉間にも皺が寄ってるし、年頃の女子がしていい表情ではない、と思う。さっき女子部員に向けていたいい笑顔は一体どこへ消えたんだ。
「え……ダメ?」
「……いいけど」
ならなんでそんな顔で俺を睨む? いや、そりゃあ確かに初々しく体を隠す恥じらい姿になんとなく目を逸らしてしまったのは事実だけど、目ぇ逸らしてたんだからそれはセーフだろう。ガン見してたほうがやばいって。
「本当に私が一緒でもいいの?」
念を押すようにクレハが聞いてきたので、
「だから、いいって言ってるだろ。むしろそのほうがありがたいって」
と、こちらも念押しするように言う。先と同じことを言っただけだというのに、なぜかクレハは「ま、いいけど」と言って、空いているフィールドへと足を進めていった。
その言葉に先ほどまでの険のある雰囲気はどこにもなく、何がクレハの機嫌を取ったのか全く分からない俺はひとり首を傾げるのだった。
「ま、いいか」
最初のコメントを投稿しよう!