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05「思い、悩む」
◇クレハ
「めちゃくちゃ気にしてるじゃん……」
遠ざかっていくシンの後姿を見つめていると、ため息とともに考えていることがこぼれてしまう。すると、シンを見つめるチトセさんも同じように言葉を漏らした。
「プロ入り確実ですもん。同じ競技をしてるなら、やっぱり気になっちゃいますよ」
「……初心者のチトセさんでもそう?」
少し失礼な言い方かなと思ったが、気になったままに聞いてみる。チトセさんは嫌な顔ひとつせず、「ですです」とどこか嬉しそうに答えてくれた。
「私なんかが言うのはおこがましいですけど、やっぱり『目標』だなって思います。同年代で、世界からも注目される人がすぐそばにいるんですから。自然とやる気も漲っちゃう感じです!」
そう言うチトセさんの瞳は、キラキラと輝いて見えた。そんな彼女の言葉に私は「そっか……、そうだよね」と何の意味も持たない言葉を返す。うわべだけの同意の言葉は自分の空虚さを際立たせるようで、自分が本当は何もわかっていないということを突き付けられるようで、寂しさだけが積もっていく。
「……いいな」
「え――」
――っいけない。そう思いすぐさま口元に手をやる。が、零れた本音を飲み込むことなどできはしない。チトセさんを見る。驚きというよりは、ただ単に意外だというふうに開かれる瞳。しかしその表情には、だんだんと別の感情が混じっていく。その変化を見たくなくて、私は自分のつま先へと視線を落とした。
「クレハさん、もしかして……」
……ああ、口に出すまでもない。
私は――魔法が使えない。
それなのに、SCに打ち込むシンと一緒にいる。元有名プレイヤーのアヤメさんと親しくしている。もっともらしい言い回しで、アドバイスの真似事のようなことをして、さも自分も「練習に参加している」ような振る舞いをする。
せっかく、楽しくSCの話ができると思っていたのに。これでチトセさんも、私とは関わらなくなるだろう。当たり前だ。魔法が使えない癖に、偉そうにSCを教えていたんだから。ほんとうに、何様のつもりかと自分でも思う。
「クレハさん……わたし……っ」
「チトセ、さん?」
そう、思っていたのに。
再び見つめた彼女は、ただぎゅっと奥歯をかみしめ、何かに耐えるように顔をゆがませていだ。
「ごめんなさいっ……」
絞り出したようなその言葉の意味が、よく分からなかった。
「な……え? ごめんって、どうしたの、チトセさん……」
なんと声を掛けたらいいかわからずに、とぎれとぎれの言葉がかろうじて意味を持って紡がれてゆく。だって、意味が分からないだろう。どうして彼女が私に謝る? 初心者ながら呑み込みが早く、将来有望なプレイヤーである彼女が、魔法も使えない癖に図々しく練習に参加して、あまつさえその練習に口出しまでしている私に、どうして。
「わたし……クレハさんが魔法を使えないなんて、知らなくて……。クレハさんは、私なんかよりもずっとSCに詳しくて、真剣に向き合っているのに、……それなのに私は、無神経にどんどん質問して――」
「ちょ、ちょっと! 待ってったら!」
慌ててチトセさんの言葉を止める。このままでは目に涙まで浮かべそうな勢いだ。
でも、今の言葉……。じゃあ、もしかして彼女は、魔法が使えない私を哀れむでも、軽蔑するでもなく。ただ単に、自分のしたことが私に対して申し訳ないと、そんなことを思って、こんなに謝っているの?
「あ、あのね……」
なんだか、変に構えていた私がばかみたいじゃないか。ああ、緊張が一気に無くなったせいか、自然と笑いがこみ上げてくる。
「クレハ……さん?」
笑い声に気付いたのか、チトセさんがおっかなびっくりといった様子でこちらをうかがってくる。そんな小動物めいたしぐさが可愛らしくて、思わず手が伸びた。
「えっ!? な、なんですかっ?」
ショートカットの髪を梳くように、優しくチトセさんの頭に触れる。私よりも少し背の低い新入生の頭を撫でて、ああ、部活の後輩ってのも悪くないかもなぁ、なんてことを思った。
「ありがとうね、チトセさん」
私のその言葉に対し、チトセさんがまた口を開こうとするのを人差し指でとめる。
「でもね、私に気を遣うなら、もっとたくさん練習しなさい。私のアドバイスなんて必要なくなって、シンに追いつけるくらい、必死に。それが――あなたにはできるんだから」
ゆっくり、諭すようにそう告げて――思いっきり彼女の背中を叩く。
「いっ――!」
ぱぁん! と威勢のいい音とともに、チトセさんの声にならない悲鳴が聞こえる。
「ほらっ! 練習あるのみだ!」
「は、はいっ!」
しっかりと、元気のいい返事を残して、チトセさんはシンのあとを追っていくように駆けてゆく。練習に向かう背中を見るのはいつだって寂しい。いつだって、どうして私はあそこに行けないのかと考えてしまうから。
けれど今だけは、そう悪い気分でもなかった。
「……まったく」
ため息交じりの声。振り向くと、すぐ後ろに立っていたアヤメさんと至近距離で目が合った。
「わっ――」
驚いて後ずさる私の頭に、ぽん、と置かれる手のひらの感触。
「いちいち、気にしすぎなんだよ、クレハは」
「もう……子ども扱いしないでください」
そんな口を叩きながら、私はちょっとの間、この柔らかな手のひらに甘えていたいな、なんて思ってしまった。でも、甘えるのはこの一瞬だけでもう十分。チトセさんには先輩ぶってあんなことを言ってしまったけど、やっぱり私はSCを――シンを追いかけていたいから。
すっと視線を上げる。すらっと背の高いアヤメさんを見上げ、目と目を合わせる。それだけで、アヤメさんは頭の上に置いた手を静かに下ろしてくれた。
私には、わからないことが多すぎる。魔法のことも、SCプレイヤーとしてのシンの感情も、その想いも、外側から見ることしかできない私には、どうしても真に理解することはできない。自分なりに解釈することは可能だけど、それだって、自分に都合のいいようにシンの気持ちをゆがめているだけなのかもしれない。さっきチトセさんが言っていたことだってそうだ。
『やっぱり『目標』だなって思います。同年代で、世界からも注目される人がすぐそばにいるんですから。自然とやる気も漲っちゃう感じです!』
彼女の素直な言葉ひとつ取っても、やはり私には上辺だけの理解しかできない。同年代にいる、世界レベルの強者。それは確かに闘争心をたぎらせるものなのかもしれない。けれど考えてしまう。それはむしろ、SCをプレーする者にとってはただの絶望にしかならないのではないかと。それがたとえ、ミナトさんの唯一のライバルである、シンだったとしても。
「シンも、一緒なのかな……」
チトセさんと同じように、シンもまたミナトさんという自分より強い相手に競争心を燃やしているのだろうか。私の目から見れば、それはもう燃え盛る炎のように漲らせているように見える。でも、それはシンの本心なのだろうか。チトセさんは初心者だ。ミナトさんの、本当にプロに近い人間のレベルというものを正しく実感できているとは限らない。
「シンのこと、考えてるのか?」
「うぇ、わ、わかりますか……?」
心を見透かしたようなアヤメさんの問いに、思わずうろたえて本音が零れる。
「わかるも何も、声に出してたぞ」
まったく意識していなかったことを指摘され、「うそっ」と思わず両手で顔を覆いたくなる。そんな私の反応に、アヤメさんは「くくくっ」と喉の奥で笑っていた。
「まあ、私もあいつのすべてが分かるわけじゃないが、シンが気にしているのはプロ入り云々の話じゃなく、ミナト本人のことだろう」
「ミナトさん本人、ですか?」
やけに確信のこもった言葉に聞き返すと、アヤメさんは何かを思い出したようにくすりと笑い、話し始めた。
「ああ。そもそもシンは、プロってものにそこまで憧れているわけではない。私も以前言ったことがあるんだ。プロとしてやっていきたいなら、今の内から有名なコーチについていたほうがいい。そのほうがスポンサーもつきやすい、とな。そうしたらあいつ、なんて言ったと思う?」
急な問いかけに一瞬だけ戸惑う。が、そんなときにシンが言いそうなことなら容易に想像がついた。おそらくは――。
「『アヤメさん以上のコーチなんていんの?』」
ちょっと口調を寄せて、声真似っぽく言ってみる。そんな私の答えに、アヤメさんは「はははっ」と愉快そうに笑って言った。
「流石はクレハ。一字一句その通りだ」
「シンの言いそうなことくらいわかりますよ」
話を聞いただけでも、その時の光景が目に浮かぶようだった。プロの道を真剣に話すアヤメさんと、そんなことどうでもいいとばかりに、ちょっと生意気な口を利くシン。何度も、いや、何年も隣で見てきた光景だ。
「まあ、そんなこんなでな。あいつにとってはプロなんて肩書よりも、SCそのもののほうがずっと大切なんだよ、きっと。プロ入りは目標じゃなく、強い相手と戦うための手段、くらいに思ってるんじゃないか」
「なるほど、だから……」
「ああ。ミナトはシンが唯一負けた相手、だからな。気にしないほうがおかしいさ」
あいつは、SCにどっぷりだからなぁ。練習試合を開始したシンの姿を遠目に、アヤメさんは言った。そう。シンはSCにどっぷりだ。SCのために生きていると言ってもいい。いや、むしろそうとしか言えない。
――SC、ソーサリー・コンバットはここ十数年の間に成立した新しい競技だ。
幼くして魔法に目覚めたシンは、ちょうどそのころに成立したSCに強い興味を持った。そしてまた、とてつもなくいいタイミングで、当時SCの看板とも言えた一人の選手が、私たちの住む地域に越してきたのだ。
その選手がアヤメさん。本人は否定しているがこの学区がSCにおいて全国区なのは、やっぱりアヤメさんの影響が強いと思う。
シンはアヤメさんに懐いた。うん、その表現がぴったりだろう。私を含め、シンの周りには魔法を使える人がいなかったから、同じ力を持つアヤメさんに安心感を持っていたのかもしれない。そして二人は師弟関係のようなものを築いて、シンの幼馴染だった私も、オマケのようにアヤメさんと親しくしている。おかげで今では十年以上の付き合いだ。
「寂しいか?」
「へっ!? いや、その、……何がですか?」
アヤメさんからの唐突な問いかけについ声が裏返る。
「何って、そりゃお前が一番わかってるだろう」
にやにやとした笑みを浮かべながら、こちらを追い詰めるようにぼかした言葉を重ねてくる。この人本当にいい性格してるよなぁと思いながら、私は少し離れたフィールドで動き回っている、ひとつの人影を追いかける。
素早く、的確に、相手を翻弄する動き。ああ、でもまた手を抜いている。そりゃあ本気を出したら相手の練習にならないと言ったのは私だけど、でもある程度は真剣にやらないと、本人の練習にもならないのに……。思いが顔に出て眉根が寄る。
「ああ、あれは別に手を抜いてるわけじゃないよ」
私の表情から考えを察したのだろう、アヤメさんは途端にコーチの顔になる。
「そうなんですか? でもほら、今のタイミングだって……」
相手に攻撃を譲って、回避に専念している。その気になれば一瞬で攻めに転じられるのに、ずっと避けるだけだ。SCは攻守交代制じゃない。あんな動きを続けていれば、試合相手だって相手の攻撃を警戒しない癖がついちゃう。
「いや、よく見てみろ。相手の攻撃スピードが少しずつ上がっている。しり上がりの選手なんだろう。相手の調子が上がってきて、しっかりと実力を出せてきたところで……ほら」
「あっ――」
徐々に激しくなっていく相手の攻撃。けれど確かに存在する、攻撃と攻撃をつなぐための隙。そのわずかな空間に滑り込むように、シンは確実に攻撃を当てていく。
「あいつはな、楽しんでるんだよ。一番強い状態、相手の本気と戦うことが、あいつにとっては何よりも楽しいんだ。ひょっとしたら負けるかもしれない。そんな状態で勝ち続けることが、あいつにとってのSCなのさ」
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