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1,卒業式
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夜……睡眠時に襲われるものとは違う、不快なほどまでに強い睡魔と戦っていた。
気を緩めば倒れてしまいそうになりながら、蛍の光を口ずさむ。一人一人が卒業証書を受け取っている様子を、暗闇の世界から耳で感じ取る。
自分の名前が呼ばれたとき、不思議と目は開けられた。体がフラつくこともなかった。
椅子に戻ればまた、暗闇の世界へ舞い戻る。
真っ暗な中、まだか、まだかと待ちわびる。
今更見られたところで、約束が守られたことにはならない。
実際──
後になって視界に飛び込んできたものも、幸せと思い出、これからやってくる新たな旅立ちを前に活気付いた、華やかな場に相応しい赤色。下級生達が、一人一人の卒業生に手渡すカーネーションだった。
もうこの時間、帰宅はそれぞれ個人の自由だ。卒業式は終わった。約束は破られた。家族が一人も来ていない俺は、無言で運動場から離れた。友人同士で写真を撮っている空間から出て行く姿というのは、端から見れば寂しいものだろう。いつもの俺ならば気にしただろうが、今日を迎えた今、二度と会うことのない他者の視線などどうでもよかった。
間もなくお別れする、人々の視線なんて――
「約束通り、この学校を殺す権利を貰いに来ました」
学校の外には出ず、向かった先は、普段鍵がかかっていて本来生徒が立ち入れない場所。
屋上。
そこに彼は立っている。卒業式らしく初めて出会ったときと同じ整った服を着て、両手をポケットに突っ込んだまま、扉に背を向けていた。
彼がここにいると、知っていたわけではない。今日ここに行くと、事前に言っていたわけでもない。
あの日出会ったあの場所も、傍観者となれる、太陽の日差しが眩しい場所であったから。
根拠のない直感が、ここに来るよう信号を送ってきた。
彼は振り返って、俺がここに来ることを見越していたかのような笑みを浮かべて言った。
「卒業おめでとう」
怒り。不満。
それらの感情が、自分の中に芽生えてはいない。
ただ、彼は嘘をついた。だから約束を、守ってもらいにきた。
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