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その家は昔、酢を作っていた。
この辺り一帯を仕切る大きな家で、沢山の使用人が居た。が、投機に失敗し、今は家と広い梅の林が残るだけとなった。
橘高蘇芳はその家の長男として生まれた。歳は十七で、上に嫁に行った歳の離れた姉が居る。
父親は大学で考古学を教える助教授で、あまり家に帰って来ない。母は既に亡く、蘇芳は広い家で使用人の中川夫婦と暮らしていた。
その夜もいつものように素振りをした後、ふと先日垣間見た子供のことを思い出した。
茶色の髪はくせっ毛で、色白の頬を赤く染めて、大きな瞳で驚いたように自分を見ていた。
坂を少し登った所にある清水家に引き取られたようだが、あまり評判の良く無い男の所で、どうしているだろうかと少し心配になる。
実は蘇芳が少年を見て驚いたのには訳がある。少年はこの世に無いものと一緒だったのだ。丁度少年の祖母くらいの年配の女と。
蘇芳には特技がある。見えるのだ。この世の者では無いものが。
母方の祖母の妹がそうで、蘇芳は暫く大叔母の許に預けられて、修行というようなものをそこでした。剣道を習ったのもその大叔母の進めに従ったのだ。
自分が心配をしても仕方の無いことなので、蘇芳は首を振って母屋に戻った。途中、中川夫婦が部屋で語らっているのが耳に入った。
いつもなら聞き流すのだが、細君の妙に憤慨した声高な声で話の内容が知れた。
「今日も通りかかったら泣き声がしたんですよ。他所の奥さんは泣き声どころか、酷い折檻の……」
蘇芳は暫くその場に佇んだ。あんまりな話の内容に胸が悪くなる。時折、中川の細君が清水の事を漏らしていたのはそういう事なのかと、自分の迂闊さに思い至る。
明日は清水の家に行こうと決心した。
大昔から続く地主気質の所為か、あの女の霊を見たからか、放っておけない気がした。
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