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17.俺たちのセレブレーション
「あ、かじ先生に聞いとこうと思って今日来たんスよ。あれ」
「あれ?」
「昔、かじ先生が言ってた、仕事辞めない理由、覚えてます?」
「えっとー、なんやっけ?寝不足で頭まわらんわー」
泣きだした赤ちゃんをどうしたー?と抱っこしてあやす。
「”うちがいないと単純に困るからや”ってやつ。今も一緒スか?」
「あーそんなこと言ったな!うん、思い出した。話の流れ忘れたけど言った言った!今はそれプラス家庭があるから、やなぁ。単純に産休育休とれないと、保育園入園点数低くて厳しいもん。入園できんかったら働かれへんもん。年数経ったけど、しんどいこととか変わらへんで?身体もぼろぼろやし。老化していく一方やしな。ブラック職場やと日々思うわ。でも、産休育休取らせてもらえるのはホンマにありがたいと思ってる。結構友達とかパートで妊娠告げたら解雇、とか聞いたからなぁ」
「そっスか……」
「その点、みっつは産休いらんねんからええやん。何悩んでるんか知らんけど、納得できるまで行動するのも大事やと思うで?」
「……あざーっす」
かじ先生の言葉をゆっくりと噛み締めながら、窓の外を見て、流樹は答えた。
「はい、じゃあ相談料としてオムツ替えて。うんちしてた」
ほい、と荷物のように流樹に我が子を突き出すかじ先生。ムリムリ、と拒否するも虚しく押し付けられた。
「ぼく、乳児クラスほとんど入ったこと無いの知ってるでしょ?」
「男子のなんか適当に拭いても大丈夫や」
と豪快に笑う。確かに女子のうんちは割れ目に入り込むから開いて拭き取る必要がある分手間があるけれど、その言いようは無いだろう。もともとデリケートと正反対な所にいる人だと思っていたが、我が子に対する言動からは、母を感じさせない。出産は大変なんだろうけど、人生観が変わるくらいの出来事かもしれないけど、人間そう簡単には変わらないんだなぁと思った。
ぎこちない手つきで台に寝かし、オムツを外して、足を持ち上げこわごわと処理をする流樹は、見ている方が不安になった。
保育士のくせに、と思ったが、今は幼稚園教諭だから無理もないか。私だって低月齢の子の相手をする時は緊張するもん。流樹がヘルプを求めてきたので、ばたつく足を抑えてあげた。小さいけれど形はちゃんと男の子している性器。
保育園時代から外観のように性器も様々だ。大小に始まり、曲がってる、太い細い、短い長い。女の子だって目立たないけど、幅が広い狭い、薄い厚い、と個性がある。
今まで沢山の子を見てきたけど、私は6才の子までしか知らない。行き着く先を、知らない。
無事に新しいオムツを付け終えてほっとしている流樹を見て、私もほっとした。赤ちゃんは何事も無かったかのように泣き止んでいた。うんちが原因の泣きだったのだろう。
やることやったんでトイレ行ってきまーす、と流樹が席を外した途端、かじ先生がにやにや顔で聞いてきた。
「で、どうなん?順調なん?」
「何が?」
「おつきあい♪」
「……!」
前の彼氏の時は何でも気軽に話せたが、今回はかじ先生も知っている相手ということもあり、ありのまますべてを言うのははばかれた。
彼の評判を落としたくないというのと、リアルに想像されたくないのと。どちらも同じ強さで私の口に蓋をした。
でも、他人の意見も聞きたくて、特にかじ先生みたいな正反対のタイプに聞いてみたくて、どうにか考えぬいた末に文章を組み立てた。
「かじ先生は……付き合って何回目で……しました?」
「あ、そっちの悩み?うちは詳しく覚えてないけど、大体1-3回目にはして
んなぁ。早く近づきたいねんな。っつーか、それ理由で別れるなら早く別れたいから」
「それ理由で別れることってあるんですか?」
「無いけど、脱いだら生理的に受け付けへんとか、変な性癖あるかもやん?不確定要素はつぶしときたいねん」
「なるほど……」
不確定をつぶす、という言葉に納得した。自分の中にはない理由だった。
「なんか少女漫画とかやったら、ひとめぼれ……片思い……付き合う……そのうちもっと親しくなりたい欲求が出てくる……念願のチャンスが訪れる♪みたいな展開やけど、あれは学生とかしょっちゅう会える環境やから出来るんであって、社会人はそこまで時間無いと思うんねんな。とりあえずいいなと思う相手がいたら、最低条件をチェックして付き合ってみる、みたいな。すきな気持ちが3%あったら、100%になるまで育てるんじゃなくて、とりあえず行動するというか」
「ふうん……。じゃあ、する場面で、3%でもあればいい派と100%にしてからがいい派が出会った時はどうするのが正解かなぁ?」
「両極端やからどっちかの主張に相手が合わせるしかないんちゃう?中間の50%くらいにできればいいけど、何を持って50とするかでまた意見分かれそうやし。ま、どうするかより、どう納得するか、のが大事なんちゃう」
「どう納得するか、か……。流石恋愛の大先輩!肉食系女子!なんかすっきりした。ちょっと方向性が見えた気がする!」
ほな相談料、と手を出すかじ先生に、そうだとお土産のムック本を渡す。早速開けてシリコンスチーマーを手におおっ!と嬉しがってくれる。
「さっすが保育士!独身やのにチョイスええやん!こういうお土産無かったから嬉しいわ!」
褒められて嬉しくなる。得意顔で、
「でしょ?めっちゃ悩みましたもん。考えすぎて来るの遅れちゃってごめんね。あ、次のお見舞いの人来るんじゃない?」
「あー、そうやな。ぼちぼち来る時間かも!いろいろ熟考できんのが、ふじの良いとこやで♪3%の彼にもよろしく」
病室を後にして、見取り図でトイレを探す。電話すればいいんだ、と気付き、歩きながら携帯を取り出す。コール音が数回続いた後、エレベーター前で流樹と彼の同期のおさTと、ももかTと話している姿が見えた。
「あ、ふじ先生ー!」
小柄でぽっちゃりした顔の側で可愛くももかTが手を振ってくれた。肩までふわふわのパーマをかけたももかTは、大体0か1才の担当が多い。1か2才が多い私は1で同じクラスになったり、隣のクラスだったり、接点が多い。家庭的
な雰囲気と安心感を与える子だ。
おさTはももTとは逆に、活発で声が大きく積極的なタイプ。2、3、4才をうろうろしていて、そんなに接点が無いからか、彼女の元気さにちょっと物怖じしている自分がいる。
「付き合ってるってびっくりなんですけど!」
元バレー部のがっちり長身のおさTがテンション高めに問い詰めてきた。何言っちゃってんの!と目を見開いて流樹を睨んだ。
「だって、オレ一人でかじ先生のお見舞い来てるとか変じゃん」
「別に隠すこと無いじゃないですかー!悪い事してるんじゃないんだし♪……で、いつから意識してたんですかぁー?」
言葉でも肘でもつんつんと突いてくるおさT。さらっとしていてノリが軽くてきらいじゃないけど、距離感をふいに縮めてくるのが苦手だ。家に遊びに来てたいして親しくもないのに冷蔵庫開けていい?と無邪気に聞く子どものように。
かじ先生も似たようなタイプだけど彼女は気にならなくて、おさは苦手というのは何でかわからない。先輩と後輩の差だろうか。
「そういうのヤだから言いたくなかったんですー!」
彼の手をとって、エレベーターの下るボタンを押した。
「また聞かせてくださいね!で、みっつ、誰か紹介してねー!」
明るく大きなおさTの声が背中で響いた。めんどくせえー、と返事する彼を引
きずってエレベーターに詰め込んで病院を後にした。
「……月曜日、いきたくない、からかわれるー」
自意識過剰だって、と軽く笑われ、確かにそうかもしれないと思い直す。違法しているわけじゃないし。
ただ自分が逆の立場だったら、間違いなく想像する。どんなところに惹かれたのだろう、どんなきっかけで付き合ったんだろう、どんなデートをしてるんだろう、どんな……。あーあーあーあー。もういい考えるのやめっ。
あくまでそれは逆の立場だったらって想定だけで、実際彼女たちがどう思うかとは別問題だ。他人です。ってわかってるのに、気持ちが明るくならない。
実際、いつから意識してきたとか聞いてきたじゃないか。何というか弱みを握られた気がする。派手にこけて、誰も見てなかったセーフと思ったら、こける前から安心するところまでばっちり見られていた、みたいな。
知らなくていい情報だったのに、知られてしまった不快感。
そして、こんな状況を作ったかじ先生。
いや、私が遅刻したからか。ああ全ては自分の責任だ。
いや、でも次に来る人が職場の人っていう情報があれば回避できたかもしれないじゃん。それか、流樹がわざわざ付き合っているとか言わずに上手いこと切り抜けてくれたら良かったのに。
いやいや、もうやめよう。誰も責めたくない。口止めしなかった私が悪い、それでいいじゃないか……って誰も責めたくない、って思ったところからもう責めてるよ自分……。
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