5.EXIT(2009.May)

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5.EXIT(2009.May)

ライブは夕方から。髪を巻いたりしたかったが不器用なので、美容室でカットしてもらったまま行くことにした。服装は動きやすいようにピンクのTシャツにショーパンにパステルカラーのスニーカー。活動的ながら色味で女子っぽさを出したいと思った。待ち合わせは駅の改札。ドキドキしながら10分前に着いたが、時間が過ぎてもなかなか現れなかった。 「おまたせー」 「遅いよ!」 ごめんごめん、と口だけの言葉を並べながらみっつは笑った。プライベートで初めて会う。赤のシンプルなTシャツに黒のくるぶし丈にまくり上げたズボンに、赤のスニーカー。ちらっと見えるくるぶしが骨っぽくて男を感じさせてドキドキした。相変わらず時間にルーズだよね、と文句を言いながら改札をくぐった。ホームで電車を待ちながら、 「今日可愛いじゃん、似合ってる」 思いがけない彼の言葉に赤面してしまった。異性から可愛いなんて言われたのが久しぶりすぎて対応に戸惑う。肯定すべきか、否定すべきか。どうしたら良かったっけ? 「え、そ、そうかな」 どもりながら返事をする。 「歓送迎会の時にさ、ふじ先生は足出した方が似合うんじゃねぇかなって思ったんス。やっぱ思った通りだった」 「そ、そんなこと思ってたんだぁ。ていうか、ふじ先生はやめようよ、仕事思い出しちゃう」 「そだな。じゃー何て呼べばいい?」 「名前でいいよ」 「凛花ちゃん?」 「う、うん。私も流樹くんって呼んでいいかな?」 「オレはなんでもいーよ」 凛花ちゃんと呼ばれて確かに心が嬉しくてきゅんとなってドキドキした。僕、じゃなくて、オレ。一人称が変わっただけなのにドキドキする。彼が”オレ”の領域に私を招き入れてくれ、素の自分を見せようとしてくれているのが嬉しい。僕からオレ、みっつから流樹になった瞬間が、恋心が開花した時だった。 都心に向かう電車は人が多くて、流樹との距離も自然と近くなる。電車の中では、フルネームが出ないように配慮しながら園の近況を話した。 特に去年流樹が担任していた3才児クラスの様子を教えてあげると、懐かしそうに目を細めていた。 「る、流樹くんは今、幼稚園だっけ?どう?」 初めて彼の名を呼んでみた。 「楽しいよ。オレやっぱ幼児が向いてるわ。幼稚園の子ってめっちゃ素直でさー、”お片づけ上手な人いるかなー?”とか言うだけで”できるよっ”って目ぇキラキラさせるんだよな。保育園の子って片付けとか乳児の頃からずっとしてるから新鮮味が無いじゃん。心にあかりを灯せた瞬間にすごくやり甲斐感じてる。触れ合う時間も短いから毎日が真剣勝負!って感じなのも気に入ってる。オレは保育より教育にやりがいを感じてるってすげぇわかった」 ハキハキと次から次へと流れ出るように話す流樹は本当に楽しそうだった。新生活が充実していることを喜びながらも、同業者として先輩として妬ましくもあった。私は仕事のことを楽しそうに喋ることってあったっけ?仕事は嫌いじゃない。でも、自ら積極的にというよりは、こなさなければいけないことを必死でこなしている、という感じ。一日大事なく終わって安堵感はあるけれど、やりきったぞ!的な達成感は味わったことは行事の時、数えるほどしかない。思いを辿々しいながらも流樹に伝えると、 「それは保育と教育の求められるものの違いだろ。やっぱ保育園って福祉施設じゃん。仕事している親もそうだけど、親自身しんどい人の子も預かるとこじゃん。オレ、幼稚園来て挨拶が違うのに違和感感じてん。職員が保護者に対してかける挨拶。保育園は”いってらっしゃい・おかえりなさい”幼稚園は”おはようございます・こんにちは”安心安全が第一で子を預けるのが保育園、何かを身につけるために子が通うのが幼稚園。だからふじ先生は間違ってねぇよ。しっかり子を守ってるじゃん」 もやもやした感情が吹っ飛び、心が底からぽかぽかしてむず痒くなった。 「子が通う、子を預ける、かぁ……そんな風に意識したことなかったな」 「サッカーのキーパーとフォワードみたく、役割が違うだけで、どっちが上とか無くてどれも必要だと思うぜ」 でも幼稚園の先生って保育園下に見てるけどな、と苦笑して付け足す。幼稚園の先生はプライドが高く保育園ではこんなこともしてないなんて、みたいな話でよく盛り上がるらしい。保育園でも、幼稚園は2時までしか預かってくれないんだって!と否定的な見方をするからお互い様だ。 幼稚園と保育園、外部から見ると似たようだが、内部から見ると仲は良くない。学生の時、これからは幼稚園と保育園が統一する”幼保一元化”の時代だ、と習ったけれど、ちっとも一つになる気配がないのは、互いの無理解が無縁ではないだろう。 「なるほどね……本当は子のことを一番に考えたら、育児チームとして仲良くしたほうがいいのにね」 「そーだな。でもまあ否応なく統一の方向になっていくと思うよ。幼稚園の子も要支援の子いっぱいいるから。まあ公立だからかもしんねぇけど。私立は面接試験で落として受け入れ拒否できるけど、公立は試験無いからな」 「いいなー。なんか流樹くん、ちょっと見ない間に遠い人になっちゃった気がする。私も転職しようかな」 「凛花ちゃんは、保育園っつか福祉のがあってると思うよ。導いていくより、世話するのが似合ってる。凛花の優しさとか細かい所気付くところとか貴重だと思うぜ」 彼の言葉がまっすぐに私の心に届いた。保育士としての私を評価してくれているのに、自分の存在を肯定されたような感覚に陥った。
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