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9.ラック(2010.November)
思い切ってカラオケに誘ってみた行動の秋、自己完結の冬、動く春、こもる夏……と行動と一人の世界を交互に繰り返して、恋心が芽生えた春から1年半が過ぎた。
保育士7年目、この年も1才主担任。クリスマス会まで1ヶ月を切った秋の終わり。そろそろ動く周期だなと思いながらも後回しにしていた。
金曜日夕方、原付に乗って家に帰ろうとした時、電話がなった。持ち帰ってつくろうと思っていたサンタの帽子にする赤の画用紙が落ちないようにカバンから携帯電話を取り出す。流樹からだった。
「……もしもし、今日会えない?」
「いいよ!」
声のトーンが低く、重い口調に尋常の無さを感じる。少しでも一刻でも早く彼の力になりたくて即答した。
彼が指定した公園に職場から直行した。滑り台、鉄棒、ジャングルジム、ブランコがあるオーソドックスなありふれた小さな公園。寒い時期だからか他に人影は見当たらない。藤棚の下のベンチに彼は俯いて座り込んでいた。
「おまたせ、どしたん?」
「はやっ。……うれしーわ、ありがとー」
無理に笑顔を作ったように見える流樹。まるで明かりが消えたようにいつもの明るさが感じられない。
「ちょうど仕事から帰るところだったからそのまま来たよ。……すっごい落ち込んでる感じ?」
「ん……」
よく見ると手には封筒を持っている。封筒を指しながら、それが原因?と尋ねると、溜息と共に肯定された。
「幼稚園教諭の公務員試験、今年も落ちた……。あんだけ頑張ったのに」
「そっかぁ……。残念だったね」
春に新年度頑張るわ!と燃えていた彼と同一人物と思えないくらいの落ち込みようだ。
「一生臨時職員かなー……」
「うん……」
「私立の正職も調べたり見学行ったりしたんだけど、公立と全然違うから受ける気にならなくて……」
「そうなんだ……」
呟くように遠くに吐き出す言葉を、一つひとつ丁寧に拾って応じていく。
「いっそのこと女だったら良かったのに。女だったら受かってたかもしれねぇし、落ちたって結婚して旦那に稼いでもらえりゃあいいし。あぁこーいうこと思う自分も嫌。もーやだ」
この業界はまだまだ女性が圧倒的多数で男性には不利な事が多い。給料も安いし男の先生がそれを理由に辞めていく姿も見てきた。
彼もいろいろ言われていたが気にしない風に見えていたけど、積もり積もったものもあるのだろう。去年の試験で落ちた時はここまで落ち込んでいなかった。
珍しく弱音を吐く姿が愛しくて、隣りに距離を縮めて座ってみた。
ふいに抱きしめたいと思った。落ちた事実をどうかすることは出来なくても、優しく頭をなでて癒してあげることはできるんじゃないか。
拒絶されるのは怖かった。やめて、って本気で言われたらどうしよう。それでも、ほっとけない気持ちが勝ったので、抱きしめてみた。
彼は抵抗することもなく私の胸に頭を預けてくれた。嬉しかった。やがて彼の手が私の背中に伸びてきた。
そのまま時が流れた。彼に触れ、彼の体温を感じ、緊張する気持ちとこみ上げてくる愛しさに身を任せた。冷たい風が吹いてもちっとも気にならなかった。このまま時間が止まればいいのに。このまま2人の垣根を乗り越えられたらいいのに。溶けあえたらいいのに。彼の悲しみを私が全て吸い上げられたらいいのに。
「ありがと……」
しばらく後、彼は私から離れて寂しげに微笑んだ。その後、どうなるでもなく別れた。
今日なんて絶好のチャンスじゃなかったのか。もっと積極的に抱きつきにいけばよかったのに。
どんな流樹でも私はすきだよ、と告白すれば良かったのに。
帰りながら後悔の念に苛まれた。弱っている時につけこむようなことは卑怯じゃないか。告白するなら正気の時にすべき。
……出来ない理由を並べて、望む行動ができない自分は、嫌い。
冷たい秋の終わりだった。
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