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冥界の魔女
――もし俺が「女」に生まれていたら。
意識の途絶える瞬間、たしかにそう思ったのは憶えてる。
そうすれば毒を盛られて海に沈められることもなく、アドニスと一緒にいられたのかなって。
アドニス。
この沿岸と、海に浮かぶ星の数ほどの島々を統治する王家の王子。アドニスというその名に違わぬ、花も恥じらう美少年。
俺の一番の親友で、主君で――――恋人、になったばかりだった。
「――で、いつまで悩んでるんだい、オリオン? 素直にここで死ぬか、それとも『女』になるか、たったの二択なんだから早く選びな。優柔不断はモテないよ!」
でっぷり太った中年女が、イライラと真っ黒な墨を吐いた。
死にかけみたいな紫の肌。黒光りする二本の角。そしてぼよよんと飛び出た腹の下には、タコのような無数の足がうねうねと絡まり合っている。
海の底に棲む、冥界の魔女ペルセポネ。その伝説の存在が、なぜか俺の目の前にいる。
「――ペルセポネ? って、冥界の王に誘拐された伝説の美女の名前だろ? オバサンはそのペルセポネとは別人だよね?」
最初にそう聞き返したら、そのタコ足で往復ビンタされた。
絶世の美女がこんな姿に変貌するなんて、さすがに反則だと思う。
では俺がなぜこんな海の底で、タコの魔女から二択問題を出されているのか、順を追って説明しよう。
俺の名はオリオン。十六歳。城下町にある仕立て屋の息子。
家業を継ぐよりアドニスのそばで働きたくて、親に無理を言って騎士の養成学校に通わせてもらった。たゆまぬ努力と、王様の多少の贔屓の甲斐もあり、ひと月前ついに王家の近衛隊に入隊したばかりだった。
アドニスとめでたく恋人同士になったのはその直後。たぶんそのせいでだいぶ浮かれてた。
まさか夕飯のスープに、毒を仕込まれるとは。
毒殺された俺は、両足に重しをつけられ、海の底に沈められた。
犯人はわからない。俺とアドニスが付き合いだしたことに気づいた誰かが、王家のスキャンダルを隠蔽しようとしたのかもしれないし、もしくはただ単に俺が以前から王家に特別扱いされているのが気に入らなかったのかもしれない。
周りから妬まれていることには、そこそこ気づいていた。もっと用心すべきだった。
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