第三章『絶望の先』

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 『田辺(たなべ)孝雄(たかお)』は、美天の百合山大時代の同級生で、同じ英語サークルに所属していた。  当初の田辺の印象は、ヤンチャ系の明るい優等生だった。  犬毛さながらツンとした短髪に中肉中背、愛想の良い顔立ち。  ノリの良い性格のわりに、勉強はできるため女子受けも高く、いつも男友達に囲まれていた。  同じサークル所属だったため、当然互いに顔と名前を知り、そこそこ言葉を交わす間柄だった。  だから、大学一年生の夏休み前に呼び出された時は、驚きを隠せなかった。  『俺、実は会った時から朝比奈のこと・・・・・・けっこういいなって気になっていたんだ』  田辺に告白されると同時に、交際を申し込まれた。  美天自身は異性に、それもわりと人気者に告白されたのは初めてだったせいか、驚きと恥じらいで絶句していた。  一方、田辺は美天の沈黙を肯定と見なしたのか、彼女の返答を待たずしていきなり顔を近づけてきた。  『嫌・・・・・・!』  不意打ちで口付けられる寸前に、美天は平手打ちで抵抗した。  はっと我に返った美天の瞳には、左頬を赤くして愕然とこちらを凝視する田辺が映った。  『あ・・・・・・ごめんなさい、つい・・・・・・その、私には付き合っている人がいるので・・・・・・本当にごめんなさい!』  いたたまれなくなって怖くなった美天は、田辺の誘いを断ると、放心の彼を置いて逃げ去った。  事実、当時の美天には高校時代からの付き合いで、学部とサークルは異なるが、同じ大学に入った恋人がいた。  衝撃の告白を受けた翌日から暫くの間、美天は同じサークルや講義でも、なるべく田辺と目線を合わせないようにした。  失礼かもしれないが、やはり気まずくて仕方なかったのだ。  しかし、事態が急展開したのは七月下旬、大学の夏季試験に入った頃。  美天は、同サークルの先輩からの定時連絡メールと一緒に、メッセージを受け取った。  『美天ちゃんへ。田辺君から、この間のことについて話を聞き、相談されました。田辺君は、この間の告白で美天ちゃんに嫌な思いをさせてしまったみたいだ、と落ち込み深く反省しているみたい。だからお詫びに明日、最終夏季試験の後に予定してある「打ち上げ会」で、美天ちゃんにちゃんと謝りたいとのことです』  サークルの書記を務める三年の夏美先輩を介して、田辺が詫びたがっていることを知った美天は、誘いに応じた。  夏季試験の最終日、七月一番となった猛暑は、夜まで延滞していた。  五限目の精神保健学のテストを終えた美天は、打ち上げ会場に指定された英語サークルの教室へ向かった。  サークルスペースのある古めかしい旧校舎の三階は、六限目終わりの夕方には施錠される。  しかし、今回は特別にサークル活動の名目で、先輩達が鍵を預かっていた。  黄昏に照る木々の香る旧校舎の階段を登り、三階の廊下を歩いて奥突き当たりの教室が、英語サークル用のスペースだ。  教室に入ると、夏美先輩の他、二年生の男先輩に田辺とよく一緒にいる同級生の男子の七人は迎えてくれた。  『他の皆は、六限目のテストやバイトを終えてから合流するからね』  小さな懐中電灯の光だけがぼんやりと浮か、ぶ薄暗の教室内に流れる夏の静寂。  強く効き過ぎたエアコンの冷風に、肌寒さで震える。  打ち上げというよりも、肝試しを始めかねない薄気味悪い雰囲気に佇む先輩と同級生に、美天は何だか空寒さを覚えた。  『隣の教室に、打ち上げ用の道具をしまってあるから』  『先に田辺達が準備に取り掛かっているから、手伝ってくれないか』  先輩と同級生の男子に促された美天は、己の違和感を頭の隅へ追いやった。  教室の後ろにある準備室からぼんやりと照る灯りに誘われるように、美天は付いて行った。  美天は普段と同じ慣れた手付きで、準備室の扉を開けた。  『え――』  普段の昼間に見慣れた狭い準備室の景色は、一瞬で暗転した――。 .
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