第一章『純美な友』

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 「朝比奈さんの下の名前って、どんな字を書くの?」  小鳥遊と美天は、互いに勤務歴が一年しか違わないため、院内では新米同士だ。  研修時の教育指導と患者の共同担当も、二人の距離を自然と縮める接点となった。  小鳥遊も立場の一番近い同僚へ、親近感を寄せてくれているらしく、時折美天を屋上での昼食に誘ってきた。  ほとんどの同僚が食堂に行く中、自炊弁当組は、美天と小鳥遊ぐらいだ。  屋上では晴天の温かな陽射しとそよ風、院内の喧騒と消毒の匂いから解放される心地良さが好きだ。  それに小鳥遊とは、異性とか周囲の目を不思議と意識せずに気楽でいられた。  今日はお昼の誘いも約束も、特に交わさなかった。  それでも、美天が何気なく屋上に行ってみれば、小鳥遊はそこにいた。  「美しいって漢字に、天空の天を取って、みそらって読むの」  「美しい天、か・・・・・・綺麗な名前だね」  「そうかなあ・・・・・・名前負けするのに」  自分で美しいって台詞を言うのすら躊躇するのに、天空の天という壮大な漢字は何気に面映い。  空っぽの空の方は、むしろに相応だというのに。  「そんなことない。僕は好きだよ、美しい天・・・・・・な朝比奈さんにぴったりだ」  「えっと・・・・・・じゅん、び? って・・・・・・?」  お世辞らしからぬ素直な口調で紡がれた、聞き慣れない単語に、美天は問い返す。  何とも言えない緊張感に、思わず固唾を呑む。  相変わらず小鳥遊は、ほんわかと微笑んだまま柔らかに答える。  「って意味だよ」  相次いだ小鳥遊の発言は、美天にとって不意打ちの爆弾投下だった。  「だ、大丈夫!? 朝比奈さんっ。はいお茶!」  自分でも何をしているのか、と恥ずかしくなった。  小鳥遊でなければ、歯が浮きすぎて寒気不可避の誉め殺しに、美天は壮大に()せてしまった。  激しい咳込みを、喉へ必死に押し込めて悶絶する美天に、小鳥遊は慌ててペットボトルを渡す。  窮地の美天は、脇目をふらずに受け取った冷たいお茶を、喉へ注ぎ込んだ。  「っ・・・・・・はぁはぁ・・・・・・ごめんなさい、恥ずかしい」  「いや、いいんだ。僕こそ、何だかごめん」  美天が壮大に咽せた原因を、明確に自覚していない小鳥遊の謝罪に、かえっていたたまれなくなる。  小鳥遊と接してきた中で薄々気付いたが、彼は少々天然だ。  患者の長所を見つけて伸ばしていく職業柄、人を褒め慣れているに違いない。  とはいえ、好きとか美しいといった言葉を、ましてや小鳥遊のように実際に美貌の相手から対面で伝えられたのだ。  お世話ではない真っ直ぐな言葉で褒められたことのない自分には、少々心臓に悪い。  「ううん、小鳥遊さんは悪くないよ・・・・・・ただ、あまり褒めすぎだから驚いて・・・・・・お世辞でも嬉しいよ」  「いや、本当だよ」  苦笑で誤魔化す美天の耳朶を、透き通った声は撫でる。  不意に小鳥遊へ視線を向けると、柔和な眼差しと目が合った。  「朝比奈さんは、素直で優しい人だ。この病院のことや職員や患者さんのことも、色々丁寧に教えてくれた。看護師や先輩達が対応に追われている時とか、さりげなく洗い物とか片付けも済ませてくれるし」  「それは・・・・・・まあ、私にできることって、そのくらいだから」  「朝比奈さんにとって小さなことでも、先輩達にとって大助かりだと思います」  具体例まで添えて説明されると、どう謙遜すればいいのか反応に窮してしまう。  小鳥遊の指摘通り、美天は洗濯物や食器の片付けから書類の整理まで、先輩達が溜めがちな雑務をこなすのが常だ。  さりげなく、自分がやったのだと、相手に意識されないよう密かに。  「そんなこと、ないよ。本当に」 .
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