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ただし、美天が担当患者との関わりよりも、雑務に多くの時間と労力を費やすのは、小鳥遊の思うように立派な理由からではない。
むしろ、自分の不安を解消するための気紛れに過ぎないのだ。
「私、PSWとして就職できたけど・・・・・・小倉先輩や小鳥遊さんみたいに、患者さんと上手く話題を広げたり、気の利いた助言とかできないから・・・・・・基本、不器用で遅いし」
美天は思わず口を突いて零してしまった卑屈な本心に、少しの後悔と自己嫌悪を覚えた。
さすがの小鳥遊でも、返答と励ましに困るはずだ。
けれど「本当の自分」は誰かに感謝され、褒められるに値するような人間じゃないのだ。
こんな自分がやれるのは精々雑務、優秀有能な同僚達の影に徹することだ。
別に、美天でなくてもいい。
替えは、幾らでも利くのだから。
「僕は・・・・・・朝比奈さんのおかげで、先輩も僕も患者さんとの関わりに、ゆとりを持てると思います」
「ゆとり・・・・・・?」
「以前、朝比奈さんは僕のこと、すごく気が利いて助かるって褒めてくれました。その時の僕の返事は覚えてますか?」
「それは」
「あれは、本当のことです。朝比奈さんや先輩に感謝される僕の仕事は全て、朝比奈さんを見て学んだことなんですから」
小鳥遊の純真な眼差しと好意は、容赦なく抉る。
不安と卑屈で守り固めた美天の心を。
違う・・・・・・やめてほしい。
どうか、そんな優しい言葉を与えないでほしい。
自分は、人に良くされていい人間ではない。
本当は臆病で不安で、自信がなくて、いつも、怖くてたまらないのだ。
誰かと必要以上に深く関わることも、互いに感情移入することも。
他者と言葉を交わす度に、空っぽで歪な自分を思い知らせるのも、正視に耐えがたい醜さを突きつけられるのが苦しくて。
「朝比奈さん・・・・・・?」
美天の視界は、急に霞みぼやける。
あどけない瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいることは、声色からも窺えた。
名前を呼ばれたのに、唇は凍りついたように動けない。
震え始めた心から、何かが瞬く間に氷解していく。
もはや、自分の力では抑制が効かないまでに。
美天のまぶたに溜まり、やがて零れ落ちたぬくもりは、白い腕を濡らした。
嘘――。
「大丈夫です、朝比奈さん。ここには今、あなたと僕しかいません」
「――」
嘘――信じ難い状況に現実感を持てない美天は、愕然と凍りつく。
安心させるような甘い囁きが耳朶を打つと、それ以上の言葉も問いかけも奏でられなかった。
嘘か夢か。
美天を驚愕させているのは、双眸から止め処なく溢れる透明な滴ではなく――自分自身が今、小鳥遊に――しかも、”異性”に触られているという現実だった。
「美天さん・・・・・・」
不意に下の名前で呼ばれる。
慈しむ鳥のような調べに、不覚にも心臓は熱く高鳴った。
心音が抱きしめてくる腕と胸の皮膚越しに伝わってしまうのではないか、と心配になる。
しかし途中、目前のぬくもりを振り払おうと突き出した両手が、寸での所で止まったのは何故なのか。
ただ、黙って抱きしめてくれる。
それだけのことは、美天を何よりも心慰めた。
今思えば、相手が小鳥遊だったからこそ、久しぶりに安らげたのだろう。
きっと母か父、昔一緒によく遊んだ友達、世話になっている恩師や先輩に同じことをされても、今みたいにはならない。
むしろ、孤独と寂しさに心は凍え、己の汚さを思い知らせる生理的嫌悪感に拒絶していた。
けれど・・・・・・。
「すみません・・・・・・厚かましい真似をして」
「いえ、私の方こそ、ごめんなさい・・・・・・目に塵が入ったみたいで」
「そうでしたか。顔を洗いに行きますか」
「ううん、もう平気。ありがとう」
数分の沈黙後、少し落ち着けた美天は、口角を意識して微笑み返す。
我ながら苦しい言い訳に、小鳥遊は納得したように優しく微笑む。
天然だが決して鈍感ではない小鳥遊は、きっと気付いているが、あえて追求しない。
無表情で涙を零した美天を心配し、理由が気になっているはずだが、態度に出そうとしない所に優しさを感じられた。
「あの、朝比奈さんさえよかったらだけど・・・・・・二人でいる時だけでいいから・・・・・・下の名前で呼んでもいいかな?」
昼休みが終わる寸前、小鳥遊ははにかむような微笑みで、意外な希望を問う。
珍しく歯切れの悪そうな様子は、照れているようにも見えた。
綺麗な顔立ちに背も高いのに、純な子どもらしいあどけない表情に、美天は苦笑で応じた。
「いいよ・・・・・・小鳥遊さ・・・・・・晴斗君なら・・・・・・」
自分でも情けないほど小さな声で、おずおずと呼んでみると、小鳥遊は瞳を丸くした。
やはり変だったのか、と一抹の不安に駆られ後悔するも束の間。
「ありがとう、美天さん」
普段の自分なら、他の異性に対するのと同様、適当な理由で言葉を濁して逃げていた。
けれど、小鳥遊・・・・・・晴斗の無垢な期待と不安に満ちた眼差しが、嬉しそうにほころぶ様に、胸は温かく満たされたのだ。
それに本心では、美天も晴斗の名前が好きで、呼べることが嬉しかった。
ここ数年、他者と親しい関係を望めなかった自分にとって久しぶりで、尚且つ初めての感覚だった。
ましてや、こんな私が自ら相手と一緒にいたい、相手をもっと知りたいと関心を芽生えさせるなんて。
不安や戸惑い以上に、胸は躍った。
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