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第1話 夏の山(1)
毎年のように夏休みになると、田舎の祖母の家に行くのがうちの恒例行事だった。
お盆の頃を避け7月中に行っていたが、今年は夏期講習だのなんだのがあって僕だけ8月に入ってからひとり、祖母の家に向かう電車に揺られていた。
どうしてこんなにしてまで祖母を訪ねなければならないのか、わからなかった。
面倒でもあったが、どこか不思議な感じのする祖母に会いたかったので、他の家族と入れ違いのようにして、僕は電車からバスに乗り換え向かう。
山が深くなるにつれセミの声はどんどん大きくなり、人家は少なくなっていく。
エアコンはついているが、効きが悪い上にドアの開け閉めのせいでバスの中はむっとした熱気が籠っていた。
祖母の家は古民家とまではいかないが、古い家で、広々としている。
あらゆる窓や戸を開け放つと、山の涼しい風が入る。
もちろん蚊も入ってくるから、祖母の家はいつでも蚊取り線香の匂いがしていた。
「|当麻<とうま>ちゃん、よく来たねぇ」
祖母は冷たい麦茶とスイカを出してくれた。
バスを降りてから、重い荷物を運んだので喉は乾いていた。
僕は麦茶を飲み干し、スイカにかぶりついた。
いつもは父親の車で家族4人で来るから、荷物を厳選する必要はなかった。
今回もそのノリで荷造りしてしまい、家を出て5分もしないうちに後悔した。
しかし、予約した特急の時間に間に合わなくなるので家に引き返すことなく、そのまま荷物を担いできた。
ここにはなにもない。
テレビ局もすごく少ないし、ネットはすぐに切れてしまうのでスマホで遊ぶこともできない。
なので、ここでは本が重要な娯楽で、祖母の家には父や伯父、叔父、いとこたちが持ってきて置いていった古い漫画がたくさんあった。
だが、古くて考えや表現が時代に合っていなくて、自分の好みのものはそうないし、あってもこれまでに読みつくしている。
漫画もすぐに読んでしまうので、今回は活字ばかりの小説や自己啓発本を持ってきた。
それが重たかった。
何冊か、置いて帰ってもいいかもしれない。
このあと、誰も読まないかもしれないけど。
汗が引いたので、いつものように仏壇にお参りをした。
本来なら、お茶の前にするものなのだろうが、祖母は「先に身体を休めなさい。おじいさんもそう言ってる」と毎年言ってくれるので、この数年は麦茶を飲んでからお参りするようになった。
僕は持ってきた小さな箱を仏前にお供えした。
「あらまあ、この間、千秋さんがお供え持ってきてくれたのに」
千秋、というのは僕の母親だ。
「いいんだ。ここのゼリー、おいしいからおばあちゃんに食べてもらいたかったし、僕も食べたかったから」
普段なら絶対に買わないような高級なゼリーを駅で買った。母親にも言っていない。
母も祖母の好みそうなもの、珍しいものを土産として持ってくる。
でも毎回餡子なんだ。
祖母は餡子好きなんだろうか。
暑いからさっぱりしたフルーツゼリーがいいんじゃないか。
とずっと思っていたので、今回はいいチャンスだった。
「それにおじいちゃんはさくらんぼが好きだろ。さくらんぼゼリーも入っていたからさ」
「それはおじいさんも喜ぶわ。ありがとう、当麻ちゃん」
祖母はにっこりと笑った。
祖母が夕飯の支度を始めた。
いつもは母親や弟が手伝うので、僕も手伝いを申し出てみた。
「今日は当麻ちゃんも長旅で疲れているから、大丈夫。それに2人だけだし、大したことしないから」
「じゃあ、明日からするよ」
「頼むね」
おとなしく引き下がり、縁側近くの一番風通しがいい部屋で持ってきた本を読み始めたが、いつの間にかうとうと寝ていたようだ。
ヒグラシの声がわんわんと鳴き、あたりがどんどん暗くなった頃、僕は祖母に起こされ、「ごめん、おばあちゃん」と言いながら、僕のために揚げてくれた天婦羅やシソがたくさん入ったきゅうりなますを食べた。
片づけもやんわり断られたので、勝手知ったるで風呂を沸かした。
勧められるまま、一番風呂に入り、早めの就寝となった。
ここに来て数日が経った。
一応、学校の宿題も持ってきているので午前中にはそれをやり、午後からはだらだらと本を読んだり、かき氷を作って食べたりした。
祖母も気がついたら横になって眠っていた。
夏は暑くて体力が消耗する。
僕と祖母はねこのような生活をしていた。
両親や弟と4人できたときには、誰かがずっとしゃべっていたり、たまにいとこたちと一緒になると僕たちだけで漫画を読みながらだらだらしたり、ジュースを買いに自販機に行くじゃんけんをしたり、なんやかんやしている。
しかし、祖母と2人だとそれぞれが気ままに過ごしている感じだ。
もっとも祖母は家事をしている。
こんな広い家、ひとりじゃ大変だろうにいつでもものは整理されていて、掃除も行き届いている。
涼しい時間じゃないとね、と早起きして小さな畑の世話をしたり、買い物にも出かける。
そんな祖母のちまちました生活に付き合うのも、嫌いじゃなかった。
味噌汁とご飯の朝食を食べ、緑茶を飲んでいると祖母が僕の顔をじっと見て言った。
「当麻ちゃん、今夜はお山に行きなさいね」
「え」
「今年で16でしょう」
「あ、うん」
「あとで懐中電灯を出しておいてあげる」
「うん」
「当麻ちゃんのゼリーも持っていく?」
「え、あれはおばあちゃんの…」
「お山に持っていく手土産のこと、すっかり忘れていたから…」
そうだ。そうだった。
「ごめん、おばあちゃん。また買ってくるから」
なんだったら、家に戻ったらすぐに送る。
「うん、そうしてね」
緑茶を飲み終わった祖母は、一息つくと食器を流しに運びだしたので、僕もそうした。
うちの家はなぜか、16歳になる年に一晩、お山に行く。
2年前行ったいとこによると、行き慣れた山の上の神社に行ったら温泉旅館のようなもてなしをされてご機嫌になる、と話していた。
よくわけがわからないが、父も伯父たちも年上のいとこたちも同じようなことを言っていた。
もっと詳しく知りたいと聞いてみるが「うまく言えないんだけど、そうなんだよ」ばかりだった。
でもお山の話をしているときは、誰でもちょっとうっとりした気持ちよさそうな顔をするので、僕も少しは期待はしていた。
夕方、ヒグラシの声がわんわんと大きくなる頃、僕は祖母に持たされた懐中電灯とゼリー、そして「もしかして」の思いで文庫本を1冊持って山に向かった。
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自信はないのだけれど、ここまで書いたので / 「山の神様のいうとおり」第1話
https://etocoria.blogspot.com/2022/07/1.html
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