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第3話 夏の山(3)
月も星も山も流れるように見えるほど、恐ろしいスピードでどうやら空を飛んでいるらしい。
他人事みたいなのは、僕だって信じられないからだ。
呑気に老舗温泉旅館気分を味わっていたのに、急にかっさらわれて亀に乗って空を飛んでる、ってなに展開だよ。
ただ、黒いもふもふは俺のお腹を抱えて落ちないようにしていたし、もふもふに包まれているので浴衣一枚でも寒くはない。
このままどうなるんだろう。どこに連れていかれるんだろう。
僕は朝風呂を楽しみにしていたのに、これじゃ帰れそうにない。
と思っていたら、「おおおおういおおおおおうい」ともふもふが耳元で大声で叫び出した。
うるさ。
みるみるうちに別のお屋敷の庭へ飛び込み、そのまままた縁側のようなところから亀ごと部屋の中に入った。
「こうらっ、五郎。無茶苦茶な入り方をするんじゃない」
「やだ、誰、この子。あんた、大丈夫?五郎に潰されてない?」
勢い余って僕は亀から振り落とされ、まだ青い匂いのする畳に放り出された。
そこにはさっき食べたものよりももっと豪勢なご馳走が並んでいて、宴会かなにかをしているようだった。
ふわっと細い腕が伸びてきたと思ったら、意外に力強く引っぱられ、僕はとりあえず畳に座る形になった。
「がはははははは、がはははははは。どうだ、次郎の嫁御を連れてきてやったぞ」
黒いもふもふは得意気に叫んだ。
「次郎の嫁御?この子が?」
圧力。圧迫感。
黒いもふもふも、僕を引っ張り上げてくれた朱鷺色の美人も、それを冷静に見ている綺麗な青い男もみんな3mはありそうだ。
その3人が取り囲むように僕をじーっと見ている。
怖い。正直怖い。目ぢからすごい。眼圧すごい。いや、なんか違う。眼圧そういう意味じゃない。
「次郎各務様、ご到着されました」
涼やかな声がしたかと思うと、薄い水色の着物を着た白狐に案内された大きな男の人が部屋に入ってきた。
他の3人と同じくらい大きく、白から青のグラデーションの不思議な着物を着ていた。
光によって三角の金や銀の模様がきらきらと見える。
白くて長い髪は全部後ろに流し、ぎろりと僕を見た目は真っ赤だった。
え、僕、にらまれた?
「おおおう、次郎、やっと出てきたか」
黒いもふもふが言った。
さっきから黒いもふもふと呼んでいるけど、髪と髭がもふもふになっている大きな男の人だ。この人も不思議な黒い着物を着ている。
髪と髭は癖が強くてうねうねしていたりバクハツしてたりするけど、手入れはしっかりされていてつやつやでふかふかで気持ちがよかった。
「私の客人を勝手にさらっていかれたので、迎えに来た」
青い男が静かに言った。
「せっかく来たのに少しはゆっくりしていけよ。宴は始まったばかりだ」
もふもふが言い終わらないうちにご馳走がのった新しいお膳が白狐や白兎によって運ばれてきた。
「あんたはこっちに座っていなよ」
朱鷺色の人がまた僕の腕を引っ張って、横に座らせた。
すると僕の前にもお膳が並んだ。
朱鷺色の人は天女様のような格好をしている。
だからてっきり女の人かと思ったけど、あの力強さと喉ぼとけ、どうやら男の人のようだ。
額に朱色で花の印がついている。おしゃれさん。
「酒は…」
「飲めません」
「ああ、人の世も面倒なことになったんだよねぇ。梅しろっぷの炭酸割りはどうだい」
「はい、いただきます」
すぐさま、冷えたグラスにほんのり黄色に色づいたしゅわしゅわした飲み物が運ばれ、僕は朱鷺色の人と乾杯をして飲んだ。
「おいしい」
「気に入ったかい?」
こうして僕はしばらくは勧められるままに食事をしていた。
「うちも山菜では負けていなんだけど、太郎の柿の葉寿司はどうしても勝てないんだよねぇ」
「初めて食べます」
僕は柿の葉で四角に包まれたお寿司を食べていた。
「だからもういいだろう。当麻を連れて帰る」
急に僕の名前が聞こえてびっくりした。
白髪の男の人が黒いもふもふと話している。
「名前は当麻というのか。もっと紹介しろよ。久しぶりだもんなぁ、各務が嫁御を迎えるのは」
「違うと言っている」
「嫁?」
僕は首をかしげる。
朱鷺色の人はおかしそうに笑う。
「あんた、各務の嫁御だろう?」
「いいえ」
「この時期に山にやってくるのは山の神の嫁と決まっているじゃないか」
ふぁ?どうも噛み合っていない。
「山の神の嫁って、生贄的なアレですか?」
「まぁねぇ。殺しはしないけど、まぁ贄だわねぇ」
「僕が生贄にならないと、大変なことが起こりますか」
「起こるとも起こるとも!」
急に黒のもふもふが会話に割り込んできた。
「出すものは出さないと、溜めておくのはよくないからなあ」
んんん?
「山の神が暴走したら手がつけられないからな。だから嫁をもらっていろいろ吐き出すのさ」
「私はそんなことはしない」
白髪の男はむっとした声で言った。
「でも各務が嫁取りをしなくなってもう200年は経っているだろう」
「そこまでではない。189年だ」
「大して変わらんじゃないか。青嵐には嫁がいるし、薊と俺は嫁がいなくなってからまだ数十年しか経っていないから、暴走する心配はない。兄弟の集まりにも出ず、嫁ももらわず、各務は心配ばかりかける」
黒いもふもふはドヤ顔で言ってるけど、ちょっと待って。
「ここにいる人たちは山の神様なんですか」
「え。あんた、それすらも知らなかったのかい」
朱鷺色の人が大きな声で言い、白髪の人はむすりと不機嫌な顔がますます不機嫌になった。
名前もなにも知らずここにいるとわかり、改めて自己紹介となった。
まずは山の神は五人兄弟。
一番上が太郎青嵐。あの青い人だ。この人はお嫁さんがいるらしい。
二番目が次郎各務。僕を迎えに来た、と言っていたので、きっとあのたぬきが「主」と呼んでいた人だ。
三番目が三郎薊。朱鷺色の人だ。この人とご飯を食べるのは楽しかった。
五番目が五郎百貝。黒のもふもふで僕をここに連れてきた人。
四番目は今はいないんだって。
そして僕、葛城当麻。どうやら山の神様の生贄らしい。
「うちの末っ子がすまないことをしたね、当麻」
青嵐様がゆったりと言った。百貝様は面白くなさそうにあっちを向いている。
「いいえ。僕も何も知りませんで…」
「それでいいんだ。私は嫁を取るつもりはないし、もちろん当麻を贄にするつもりはない」
各務様がきっぱりと言ってくれたので、僕は少し安心した。
「ならさあ、あたしの嫁にならない?」
薊様、突然なに。
「当麻のこと、気に入っちゃったあ。あたしも嫁がいなくなって数十年経つし、そろそろかな、と思っていたの。どう、うちに来ない?」
いや、そんな軽いノリで言われても。
「それなら俺のところでもいいじゃないか」
え、もふもふ…いや、百貝様までなんで。
「俺だってそろそろいいだろうし」
「なによ、あんたは当麻と全然しゃべっていないじゃないの。あたしたちは今度山菜をご馳走するって約束したんだから」
そんな約束しましたっけ。
「これからいくらでも時間はある。それを言うならうちのヤマメもうまい。当麻、腹いっぱい食わせてやる」
「勝手に決めるな。うちの客人だ」
「各務は全然もてなしてないじゃない。顔も見せていないだなんて!」
「各務といるより俺と山を駆けるほうが楽しかっただろう、当麻」
なにこの兄弟げんか。
「そこまで」
穏やかな、だけど重い声がした。青嵐様だ。
「当麻は山の神の嫁になる、という意味は知らないのだろう。
当麻、ここに来るということは現世のすべての縁を切って身ひとつでやって来る、ということだ。
かつてはそういう覚悟を持って山にやってきていたものだが、あの戦いで伝承が途絶えてしまった」
青嵐様の声は穏やかなままだ。しかしなんだかとても怖い。思わず身体が震える。
「ね、あんた、大丈夫?」
「え、なに?」
「当麻?当麻?やだ、梅酒飲んでる!」
は?
薊様の声が聞こえる。
梅酒?いや、僕は梅シロップのソーダ割りを飲んでいただけで。それで柿の葉寿司と山菜天婦羅とそれから、なんだっけ。
身体がぐらりと傾く。身体に感じたのは畳ではなく、もふもふでもなく、白い白いひんやりしたものだった。
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