3人が本棚に入れています
本棚に追加
第7話 現世のすべての縁を切り
ちょっと覚悟はしていた。身構えてもいた。
しかし「来たぞ、当麻」と耳元でふわっと囁かれ、いい匂いに包まれて驚いて見上げると、綺麗な顔で微笑まれてドキドキした。
「金のつく日はいいんだろう。ずるいじゃないか、あたしとも遊んでおくれよ」
という薊様の言葉を聞いたときにはもう、小鳥の集団に囲まれた朱鷺色の雲の上にいる薊様に肩を抱かれ座っていた。
もしかしたらまた百貝様がいらっしゃるかも、と思っていた金曜日の夜の僕の部屋。想定内なのか予想外なのかわからない展開にただただ身を任せるしかなかった。
薊様は僕のペースに合わせてくれた。
唯一、温泉で僕の背中を流すのだと襷で袖をまくりあげてやってきたのが一番困ったことだ。
いい匂いで綺麗で後ろから包み込むようにしながら「背中、気持ちいいかい?」と囁かれるといろいろ反応しそうでとても困った。
それ以外は「そろそろ早い木は紅葉が始まっているから」と緑だけではなく、赤や黄色になった葉っぱで包んだ鮮やかな柿の葉寿司や鳥鍋の並ぶ、見た目も華やかで美味しい食事が出されるし、声も聞いていてとても心地いいし、「楽しいねぇ」と笑った目元がちょっと赤くなっていてかわいいお顔をされるし、僕も気持ちが大忙しだった。
薊様の仕者は鳥で、「あたしは綺麗なものが好きなんだよ」と鳥たちの機織りから着物の仕立てやらを見せてくれた。
仕者たちもとてもおしゃれで色とりどりの美しい着物を着て、せっせと作業に取り組んでいた。
「当麻にも着物を仕立ててあげたいんだよね」と薊様はおっしゃったが、僕は着物に慣れていないので遠慮した。
「着ていたら慣れるのに」と言われちょっと「それもそうかも」と思ったが、少しでも口に出してしまうと着物ができてしまいそうなので、十分に気をつけていた。
百貝様のように朝風呂だの温泉ではしゃぐだのはせず、「そろそろあんたを帰したほうがよさそうだね」と薊様は言ってくれた。
僕がうなずくとまた小鳥に囲まれた雲に自分と僕を乗せた。
「すんなりは帰すけど、ほんとはもっと一緒にいたいんだよ」と薊様に言われ、僕は赤くなりうつむくしかなかった。
***
それからの週末は、さすがに友達や家族との予定、試験前などがあるときは断ったが、百貝様か薊様が僕を山に連れ出した。
「先を越された」、「土のつく日でもいいよね」、「あんた、2回連続連れてったから今回は遠慮してもいいじゃない」、などもめることも増え、ここ2回は百貝様と薊様と3人でどちらかのお山に行き遊んでいる。
最初から3人で遊べばよかったのかな、とも思ったがそうもいかないようだった。
「当麻、神無月って知ってる?」
「10月のことでしょう」
「そう、それで今は太郎が出雲に行ってるのよ。太郎がいないからこういうこともできるのさ」
10月に島根の出雲大社に神様が集まることになっているのは古文の時間でやったけど。
「薊様は行かなくていいんですか」
「いかねぇよ、あんなもの面倒だ」
「なによ、あんたが面倒にしたんでしょう」
以前は兄弟全員で行っていたらしいけど、各務様は館から出ないし、百貝様は出雲でも自由に振る舞って他の神様から苦情が出たし、薊様はあまり気乗りがしないし。というわけで、今では青嵐様だけが出雲に行っていらっしゃるらしい。
「今年は張り切って行ってるわよ。だって自慢の嫁御を披露しないといけないもの」
「ああ、そうだ。いつもなら旧暦の神無月にならないと出かけないのに、今年は集まっている者もいるからと言って新暦の神無月から出かけていたぞ」
「さて、うるさいのがいないうちにあたしたちはあたしたちで楽しみましょう。今日はなにする?」
「うちの山の栗はどうだ」
「いいねぇ。あんたんところの栗、おいしいもん。おこわにしてもらいましょうよ。当麻、しっかり拾うのよ」
こうして僕たちは栗を拾い、柿をもぎ、紅葉を愛で、温泉を楽しみ、たまに泊まって星空を眺め、朝風呂を楽しんだ。
僕は幸せだった。百貝様も薊様も楽しいし、大好きな温泉に毎週のように浸かり、なのに友達ともしっかり遊べる。
日常とお山の二重生活も大いに楽しんでいたある日、百貝様の屋敷に青光りする大きな雷がずどんと落ちた。
そのときはちょうど、百貝様のお屋敷で炊き込みご飯のおいしいのを食べていた。
新米を使ったつやつやの炊き込みご飯で、百貝様はばくりばくりと薊様もいつもより食べるスピード早く食べていた。
落雷の後は屋根にも天井にも大きな穴が開き、そこから青空が見えた。
ひとまず仕者も含め、誰かがけがをすることはなかったが、あまりの突然のことにみんなその場に固まってしまった。
悪寒なのか雷の影響なのか、空気は産毛もビリビリするただならぬなにかで充満していた。
「おまえたちは何をしていたのだ」
館全体が震えるほどの声がした。
そこには青い雲に乗った怒りに満ちた青嵐様がいらして僕たちを睨んでいた。
誰もなにも発しない。
「次郎山があれだけ荒れているのに、誰も気づいていないのか」
次郎山? 各務様の山?
青嵐様は懐に手を入れると大きな水晶玉を取り出し、僕たちにぐいと差し出す。
水晶の中には黄色く色づいた木々があった。
いや、違う。これは黄葉ではない。
枯れているんだ。
山の端から木が枯れ、川の水は減り、それによって動物たちの食べ物が減っていく。
そして、ばあちゃん… 祖母たちが「雨が降らない」、「山がおかしい」と話している様子が映された。
「このままでは各務が危ない」
青嵐様は重く言った。
「これまでこんなことはなかったのに」
「ここまでなのか」
薊様と百貝様は小さくつぶやいた。
各務様が弱っているため、山も弱っているということなのか。
僕は不安そうな祖母の顔を思い出し、不安と緊張の中、青嵐様を見た。
「どうすれば…」
僕は思ったことを口に出していたらしい。
「嫁取りだ。
山の神が持つ莫大な気を発散させねばならない。
嫁になった者だけが山の神の気を受け止め、吸収できる」
青嵐様はそこで改めて一呼吸置き、ことさら重い声で言った。
「前にも言ったが山の神の嫁になるということは現世のすべての縁を切って身ひとつでやって来る、ということだ」
すべての縁を切って身ひとつで……
「あ……、それ、僕のことだ……」
「あんた、知ってたの……?」
薊様がつらそうな声でぽつりと言い、3人の神様が一斉に僕を見た。
最初のコメントを投稿しよう!