夜空に歌えば

1/1
前へ
/1ページ
次へ

夜空に歌えば

 ()だる様に蒸し暑かった昼が終わって数時間が過ぎた。冷んやりした夏の夜の空気の中に響き渡るのは虫の音と“ザッザッザッ”っと土手を登る足音だけ…。  少年は真っ暗な土手を登っていた。(ひざ)ほどまで草が伸びているが、少年の登るラインには生えていない。それは少年が毎日毎日このルートで土手を登る為、草は生えずに道となっているからだ。  空を見上げれば満天の星々が、自分の小ささを思い知らせるが、少年は一心不乱に土手を登っているので、そんな事は気にもならなかった。  五分ほどの道のりの末、少年は小高い小山の頂上にたどり着いた。そこは少年の秘密の場所で、少年の家の裏山だった。眼下には少年の暮らす集落の小さな灯りがポツポツ見えるだけであるが、遥か遠くには(まばゆ)いばかりの夜景群が燦々(さんさん)と輝く。  カップルが見れば、一時間でも二時間でも、愛を誓い合ったり、ロマンチックな雰囲気に酔いしれるであろう絶景であるが、少年はそんなものには目もくれず、歌い始めた。  胸を張り、やや背筋をそらして。腹から力一杯に声を出して歌う。そんな少年の歌声は満点の星空の下で闇へと消えてゆく。  少年は誰かに歌を教わった訳ではない。そして少年の歌はお世辞にも上手(うま)いとは言えないレベルであった。だが、少年は心を込めて歌っていて、未熟で荒削りではあったが、一度聴いたら、何故か忘れられない種類の歌声なのだ。少年は自ら下手な事を承知しているし、自分には才能がない事も幼きながらに薄々自覚していた。  それでも少年は歌い続けるのだ。物心ついた頃から歌う事が大好きだったから、必然的に歌を歌うのだ。幼心(おさなごごろ)にも『歌手になりたい!』と言う大きな夢を持っていた。  だから少年は毎晩毎晩せっせと、この裏山に登って、歌い続けているのだ。雨の日も雪の日も…。 ✳︎  月日は流れて、少年は青年になっていた。 「ただいま」  午後七時過ぎ、青年は帰宅した。そんな青年に母はいつもと変わらないが、内心はドキドキしながら聞くのである。 「おかえり。オーディション、どうだった?」 「今回もダメだったよ。いつも通り俺の歌には魅力が無いんだって」 「そう…。ご飯、出来てるから、一緒に食べよ!」 「ありがとう」  青年はこの五年、歌手を目指してあらゆるオーディションやコンテストを受けるようになっていた。だが、デモテープでの審査は(ことごと)く通らなかった。書類審査を通過して、実施審査に進む事がちょくちょくあったのだが、それも悉く落ちるのだ。そして審査は例外無く酷評なのであった。 「ごちそうさま。ちょっと裏、行って来るよ」 「今夜も?今日くらい休めば良いんじゃない?」 「いや、来週もオーディションだし、今日言われた事を修正したいんだよ」 「そう…。気をつけてね」  青年は今宵(こよい)も真っ暗な土手を登ってゆく。真っ暗で、ろくに先も見えないが、青年なら目を(つむ)っていたって登れるほどによく知る青年だけの道だ。  青年は頂上に着くと早速、夜空に向かって歌い始めた。ここからの景色はずっと変わらないが、この数年は苦しい心境や悔しい事ばかりで、昔の様に“楽しい”とゆう感覚で歌か事は少なくなっていた。  時には声が枯れて、声が出なくなるまで歌った事もあるし、大粒の悔涙(くやしなみだ)を流しながら歌い、気がつくと東の空が(しら)んでくるまで歌い続けた事もあった。だが、結果は未だに付いて来ない。(くじ)けそうになる事も多々あるし、いっその事、『もう歌う事なんかやめてしまおう』と思う事もあった。  それでも青年は決して歌う事をやめなかった。それはこれからも変わらない。明日も、明後日も青年はこの裏山で歌い続けるのだ。  翌週、青年はオーディション会場で、審査員達に歌を披露した。そして審査の結果は直ぐに出た。 「すごい声量と迫力のある歌声ですね!」 「ありがとうございます…」  これはいつも大体に言われる言葉であった。 「でも、それだけなんだよね…」  これもいつもの言葉で、いつものパターンだ。 「私は君の歌に魅力を感じない。それは多分、私だけではないでしょう。何というか、人類的ではないと言うか…、人の心には届かないんだよね…。そんな感じ。一度、聴いたら耳に残る声ではあるけどね」 「ありがとうございました…」  今日の寸評(すんぴょう)は、いつもより手厳しかった。それだけ審査側も本気だっと言う事は青年にも理解出来た。だが、悔しさが心身から溢れ出る。青年はいつもの様に悔しさを噛み締めながら家路につくのだった。 「ただいま」 「おかえり。どうだった?」 「ダメだったよ」 「そう…。晩御飯、出来てるわよ」 「ありがとう。いただきます…」  青年は落ち込んだ素振りは見せずに夕飯を完食した。 「ごちそうさま。裏、行って来るよ」 「気をつけてね…」  青年は今宵(こよい)も悔しさを噛み締めながら土手を登る。涙こそ流さないが、いつもよりも手足は強張(こわば)り、力が入る。頭では今日のオーディションの情景がフラッシュバックしていた。  いつも通り五分も登ると青年は裏山の頂上に辿り着いた。そして心臓が止まる程に驚いたのだった。 「!!!」  人間、不意に物凄く驚くと、声を出す余裕もないものだ。何と頂上には見るからに怪しい変な人物が二人、立っていたのだ。身長は二メートルくらいはあろうか?かなりの痩せ型で、ロングコートを羽織り、深々とハットを被っていて、顔はよく見てない。  青年は、この裏山で、かれこれ十年以上も毎晩欠かさず歌っていたが、誰かに会うのが初めてなのだ。 「こんばんは」 「こ、こんばんは…。こ、こんな所で何をしてるんですか…?」 「ああ。ちょっと星をね。ここまで、はるばる来たもので。私達の事なんて気にせずに、思う存分歌って下さいよ」 「ハァ…。じゃ、じゃあ遠慮なく…」  青年はいつもの様に夜空に向かって歌い始めた。いつもとは違う状況ではあったが、オーディションで何度も、人前で歌ってきていたので、特に気にならなかったし、緊張も無かった。そして青年は一曲歌い終わった。 “バイン!バイン!バイン!”  まるで大きなゴムボールが弾む様な音がした。 「素晴らしい!素晴らしい歌声だ‼︎」 「いやー、“拍手”っと言うそうですね、こうやって前腕(せんわん)を叩き合わせて、賞賛(さんしょう)(おく)る事を。私達の体では、何とも(たる)んだ音になってしまうが…」  青年は嬉しかった。何せ久しぶりに心からの自分の歌を褒めてもらったからだ。 「私達は人間ではない。この惑星(ほし)、いや、この(あま)の川銀河の生命体ですらない。“約五億ペソタ”…、いや、申し訳ないが、君達人間の叡智(えいち)では表現出来ないほどの距離の銀河団の生命体なのだ」  もちろん青年には全く理解出来なかった。青年がこの話について来れていない事をこの二人は理解していたが、話を続けた。 「まぁ、何故、私達が遥々(はるばる)君の前に参上したかとゆうと、君の歌を直接、(なま)で聴きに来たのだ。と、言うのも私達の星、いや、銀河ではここ数年、とある歌声が多くの者の心を掴んでいるのだよ。そう。毎日、決まった時間に、この惑星(ほし)のこの場所から歌う君の歌がね。  もちろん君の歌が直接、我々の所に届いているわけではなくて、実はこの宇宙のありとあらゆる事象や現象、そして衝撃や音なんかもが、粒子や素粒子などとは別に、簡単に言うとデータとして光より速く、“パセタ上放射数元”…、つまりものすごく早く飛び()っているんだよ。  私達はそのデータから“ミニクロニウム反応原核連子反応”を使って…、つまり君の歌を復元して聴いているんだ。  申し遅れたが、私達は人類(あなたたち)の言うところの音楽レーベルの者で、この度、君の歌を生で聴いてみて、改めてその素晴らしさに感動したのです。是非、私達と契約してほしいのです。そうすれば、君の歌を、ちゃんとした音源で私達の故郷(銀河)に届けられるし、なんなら私達の故郷を(まわ)るツアーだって出来る。もちろん契約金や報酬も、この惑星(ほし)の流儀に従うし、君が一生困らない様に手厚くサポートする用意が私達にはある」  彼らの話が終わる前から青年は号泣していた。もちろん彼らの言う事を全て信じたわけではなかったが、彼らが本気である事を理解出来たからだ。これは彼らの人知を超えた技術のおかげだ。  『君には才能が無い』『君の歌は他人(ひと)には響かない』『君では人の心は動かせないよ』これまで散々な言われ様だった青年だが、彼はそもそもこの惑星(ほし)に収まる(スケール)ではなかったのだった。  夏の満点の星空の下、青年は震える手で、契約書にサインをした。こうして青年は人類史上初の他の銀河の、他の生命体の音楽レーベルと契約した初めての人類となっのであった。終
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加