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パンダの少女が、ミニスカートを揺らして立ち上がる。ガッツポーズでボールを持ち上げた。ココは彼女らしい。特に彼女には興味がないので、私はまた美しい人を見る。消去法で行けばアイコに辿り着く清楚少女に向かって、ボールを投げるフリをしていた。紙芝居みたいなその場面に、私は勝手に声を入れてみる。アイコちゃん、腕を曲げちゃ駄目なんだよ、真っすぐ、投げるの、振り子みたいな感じでね。美しい彼はそんな様子だった。
そこへココがふてくされた頬で帰ってくる。視線を上げないでも分かる、いい結果ではなかったらしい。それにチーマーがわざとらしく喜んでみせるもんだから、本当納得いかない、という感じでココが髪を掻いた。
笑ってそれを見ていた美しい彼が立ち上がる。そしてボールを手に取り、タオルで拭いた。
ミイヤ、それが彼の名前らしい。なんだか可愛らしい名前だ。どんな意味で名付けられたのだろうか。私は名前を舌に転がしてみた。ミイヤ。なんだか、ふわっと暖かい風が吹いたような気がした。私は自分の仲間たちを忘れて、もう一度反芻する。小さな声だったら騒音にどうせ消されるだろう。そして自然と、まるで彼の中に入るように、声援を送っていた。ミイヤ、頑張って。ミイヤ、頑張って。
ミイヤはボールをまるで祈るように胸まで上げて、走る。獲物を狙う肉食獣のようにピンだけを見つめ、私の期待に答えるみたいに、映画のワンシーンにも使える姿勢でボールを投げた。私はもう一度、今度は心の中で応援する。
ボールは彼からは想像できないダイナミックな動きだった。力技としか言い様のない速さで、ピンを全部壊す勢いで倒す。ああっと私は、すべてを無くして声を上げた。凄い、凄い、やったよ。
子供みたいに手を叩いた私を現実に戻したのは、驚いたように振り返ったミイヤだった。私を見る、掴めない視線に我に帰る。気付いたら誰よりも速いはしゃぎぶりに、私の仲間も、彼の仲間も、私に注目していた。
あ、と私は頭が真っ白になった。
恥ずかしい。まず最初に思ったのはそれだった。ただ、彼を知ろうとしていた私の行動が見透かされてしまったような気がしたからだ。他人に見つめられていたなんて、さぞ気味が悪いだろう。頭がキーンと冷えていく。それに反比例して顔は熱くなっていった。
だから、次のミイヤの行動は、とても意外なものだった。
彼は、少し恥ずかしそうに目を細め口元を軽く上げると、親指を立ててみせたのだ。
「ありがとう、君の応援のおかげだよ」
無邪気な子犬みたいな笑みで彼はそう口にした。秋の紅葉のような、心に残る色彩の声だった。だけど私は、彼が私に向けて言葉を発した事実にぽかんと口を間抜けにも開けるしかできなかった。だから耳にはっきりと届かなかった。
サクラが甘える仕草で私に何かを言っていた。背中では呆れたように、私の仲間が文句を垂れている。
悪いけど、あまりそれらも私の中にはうまく入り込まなかった。私は、彼が私を見た、という事実に舞い上がっていた。嬉しさのあまりショート寸前だったかもしれない。うまく頭を回転させることはできなかった。
私もなんとかミイヤに向かって親指を立ててみせる。明日地球が無くなったとしても、私に悔いがなかった。言葉では表わせないくらい、とても満たされた気持ちだった。
――ミイヤとの関わりはそれだけだった。
彼と少しの接触で満足してしまったのもある。その上、仲間がふてくされるので、私は私の枠の中に戻っていったからでもある。
気付いたら彼は帰ってしまっていた。
誰もいなくなった寂しいレーンを先程と同じように見つめてから実感する。
私はミイヤを謎のままにした。ミイヤが、本名なのか。だとしたらどんな漢字なのか。自分をなんて呼んでいるか。どんな人生を歩んできたのか。今、一緒にいた仲間たちとはどんな関係なのか。恋人はいるのか。
不詳なことばかりで、何も、何も、知らない。
ああ、何か一つでも強い繋がりを築くべきだった。無人のレーンに私は後悔した。きっとミイヤにとって私は、ただ自分をいつのまにか応援してくれた他人としてインプットされて、そしていつか生活に紛れて消えてしまうのだろう。折角、微かな、彼と私を結ぶ糸が彼の言葉によって現われたのに、私はそれだけで終わらせてしまった。あとちょっと何かをすれば、今は違う気持ちで彼を思うことができたかもしれないのに。
それから思った。もし、もし、彼ともう一度出会う機会があったのならば、今度はちゃんと声をかけてみよう。小さな満足感に浸らずに憧れだけじゃなく、彼をしっかり見てみよう。
まぁ、そんなドラマみたいなことないだろうけど。
でも私は、そう思った。
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