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第二章 第一のささやかな、いくつかの事件 2
とんかつとカレーという豪勢な晩飯をたらふく食った生徒たちは、何組かに分かれ公衆浴場で汗を流す。
その夜は旅の疲れもあり、みな夜更かしをする者もなく早々に寝入った。
翌朝六時には起こされ、全員そろっての朝一番の日課であるラジオ体操が始まる。
「なんだよラジオ体操って、小学生じゃあるまいし。ふざけんなよ」
例にもれず剛志が文句を言う。
この件に関しては朝の弱い者たちも珍しく彼に同調し、ぶつぶつと言いながら怠そうに身体を動かしていた。
実際の音声はラジオの放送ではなく、CDに録音してあるものを流すために六時十分過ぎには体操が始まった。
〝♪チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、チャカチャカチャカチャカ・チャカチャカ・チャン 腕を前から上にあげて、大きく背伸びの運動から、はいっ♪〟
流れてくる掛け声と音楽に合わせ、みな一斉に体を動かし始める。
子どもの頃に擦り込まれた習慣は恐ろしい、幾つになっても身体が反射的に動いてしまうのだ。
体操が始まったとき、境内の隅にある駐車場に一台の白いミニバンが停まった。
そこから三人の中年女性が降りて来た。
「おはよう、ラジオ体操? 若いっていいわね」
「みんな、おはよう。高校生か、わたしもあの頃が懐かしい」
「おはようございます、みんな朝から元気ね」
おばさんたちが口々に朝の挨拶をしながら、生徒たちを眺めている。
そうしているうちに、50ccスクーターに乗った中年の女の人が、二台連れ立って境内へ乗り入れて来る。
「佳江さん、飯岡さん、満っちゃん、おはよう」
スクーターの女性が赤いヘルメットを脱ぎながら、先についていた三人に声を掛ける。
「みなさん、おはようございます」
その活発そうなクルクルパーマの女性に続き、黄色のヘルメットの細面の小綺麗な女性も三人に挨拶する。
ほかの四人とは明らかに雰囲気の違う、清楚で気品のある佇まいだった。
ヘルメットを脱いだ長い髪が朝風にゆれ、整ってはいるがどこか薄幸そうな表情の綺麗な女性だ。
若い頃は、さぞもてただろう。
「おはよう、君ちゃん、幸子さん」
最初にみんなを見て〝若いっていいわね〟と言ったちょっと太った女性が二人に近づく。
「バイク、気持ちよさそうね君ちゃん」
くるくるパーマの、紅いヘルメットの女性に言う。
「いまの時間はね、でも日中は暑いわよ。ヘルメットの中が蒸れちゃって大変、佳江さんみたいに車を使えればいいんだけど。あいにくうちは、主人が商売で乗ってっちゃうもんでね」
少し太った女性が〝佳江さん〟で、くるくるパーマの女性の方が〝君ちゃん〟らしい。
と言うことは、細面の女性は〝幸子さん〟となる。
「あ、おはようございます。檀家のボランティアの方たちですか、わたし引率の柴神と申します。一週間よろしくお願いします」
ラジオ体操を途中でやめ、晃彦が頭を下げる。
「あら、先生も若くていい男ね、腕の振るいがいがあるわ。おはよう、こちらこそよろしくね」
中の一人で五十過ぎの豹柄のシャツを着た女性が、愛想よく笑顔を見せてくれる。
「あらあら、飯岡さん。浮気は駄目よ」
君ちゃんが揶揄う。
「おい前たち、この方たちが食事を作って下さってるんだぞ。ちゃんと挨拶しろ」
晃彦から言われ、ここにいるおばさんたちが食事の準備をしてくれてるのが分かった生徒たちは、態度を一変させ丁寧に挨拶を返す。
「おはようございます、おいしいご飯お願いします」
「おはようございます、よろしくお願いします」
みな笑顔で頭を下げている。
「任せといて、腕に縒りをかけて作っちゃうわよ」
小柄だが元気のありそうなおばさんが、力こぶをつくる仕草をする。
「満っちゃんは料理の達人なのよ、若い頃は東京で有名な料理教室の講師をしてたんだから」
このグループのリーダーであるらしい君ちゃんが、自分の事ではないのにさぞ自慢そうに笑う。
「期待してまーす」
調子のいい生徒が、声を返す。
生徒たちから、一斉に笑い声が起きる。
「先生、わたしお手伝いに行ってきます」
麗子が晃彦に声を掛け、おばさんたちの後を追う。
「麗子先生、よろしくお願いします」
晃彦が小走りに駈けて行く、麗子の後ろ姿に声を掛ける。
「ねえねえ、晃ちゃん。なんかいい感じじゃない、少しはお話しでもしてみたの。一週間もあるんだから頑張りなよ」
いつの間に近寄ったのか、鈴がニタニタと笑いながら晃彦の脇腹を肘でつつく。
「余計なこと言ってんじゃない、それにみんなの前じゃ先生だろ」
「またまた、照れちゃって」
「うるさい、あっち行ってろ」
邪険に鈴を追い払いながら、晃彦は声を上げる。
「ようし、ラジオ体操第二だ。行くぞーっ」
スピーカーから、規則正しい音が流れ始める。
「第二って、まだやんのかよ。一で終われよな」
「こらこら、文句言ってると第三までやるぞ」
「第三って、マンジ マニアーック」
生徒の悲鳴に関わらず、スピーカーの男性の声が運動を要求する。
〝♪両足とびで、全身をゆする運動から―っ、はいっ♪〟
ラジオ体操から朝食までの約二時間弱は、それぞれ自由な時間だ。
これが猪苗代の施設で合宿中の〝テニス部(正式名称・硬式庭球部)〟であれば、みっちりと基礎運動を中心のメニューをこなしている時間だろう。
美術部員はそれぞれスケッチなどをし出すものが多かったが、同好会の方は至ってのんびりとしており、素振りをする者さえなくだらだらと過ごしている。
「ねえケンちゃん、七時になったらひとっ風呂浴びてこようよ。朝風呂はきっと気持ちいいぜ」
いつものように剛志が呑気なことを言って来る。
「朝風呂か、いいかもしれないよケンちゃん」
隆介も賛成する。
「健一さん行きましょうよ」
ほかの二人も乗り気である。
「お前らがそう言うんなら行くか?」
話しはまとまり、彼らは公衆浴場に行くことにした。
昨日から団体行動をしているため、日頃は顔を合わせることもなかった美術部の生徒の中から、少しずつ健一たちのグループに影響を受け始める者たちが現れた。
「あ、あの岡部さん。ぼくたちも一緒に行っていいかな」
おずおずとした面持ちで、二人の生徒が声を掛けて来た。
「なんだてめえら、いっちょ前に朝風呂だ。十年早ぇんだよ」
しかめっ面の剛志を、大夢がとりなす。
「あにき、こいつら俺と同じA組のやつらなんです。なんだか健一さんに憧れちまったみたいで、一緒に連れてってくださいよ。いいでしょ、さあお前らもお願いしろ」
「一緒に連れてってください、それと俺たちだけじゃなくって、こいつらも──」
少し離れた所に、三人の女子が立っていた。
「な、なんだあの女たちは」
女子を見た途端に、剛志の顔つきが変わる。
「はい、同じクラスの子たちなんだけど、やっぱり岡部さんたちのグループと仲良くしたいらしいんです」
「俺たちと、女の娘が?」
はじめての出来事に剛志の顔がデレデレになって行く。
「ケンちゃん、一緒に連れてってやりましょうよ。こんなに慕って来るのもケンちゃんの人徳だ、いいでしょ」
急に剛志の態度が変わってしまう。
「好きにしろ、その代わりお前がちゃんと面倒見ろよ剛志。俺は厄介ごとは御免だからな」
「わかってるって、任せといてよ」
嬉しそうに剛志が胸を叩く。
「お前ら名前は」
「はい、一年A組の金子修武です」
「同じく出川敬太です。よろしくお願いします」
「俺は杉浦剛志だ、みんなはあにきと呼んでる。お前らもそう呼べ」
「はい、あにき」
二人はすんなり仲間に入れたのが嬉しいのだろう、級友の大夢に礼を言っている。
「おい、お前ら。あの娘たちなんて名前なんだ」
剛志が敬太の肩を抱いて、小声で尋ねる。
「ああ、右から大原沙織、山口亜花里、竹内笑美です」
「沙織に亜花里、笑美だな。わかった、仲間に入れてやるから呼んで来い」
「はい、ありがとうございます」
敬太と修武が三人の所へ行き、なにやら話している。
笑顔になった三人が、揃って近づいて来る。
それを満面の笑みを湛えた剛志が待っている。
「齋藤先輩、ずっとお話ししたかったんです。笑美といいます、仲良くしてくださいね」
「あたしは亜花里です、先輩のこと好きだったんです。お付き合いしてる女の子いるんですか」
「ずるいよ亜花里。抜け駆けしないで、齋藤先輩はあたしのものなんだから。沙織です、サオリンって呼んでください」
三人の娘たちは剛志を素通りし、隆介に群がって行く。
その光景を、剛志は大きな口を開けたまま呆然と眺めている。
「気を落とすな剛志、その内いいこともあるさ」
慰めるように健一が肩を抱く。
「そりゃないっすよケンちゃん、三人とも隆さん狙いだなんて──」
一瞬にして希望を打ち砕かれた剛志が、その場に崩れ落ちた。
それを見た四人の一年生たちが、くすくすと笑っている。
「てめえら、なにを笑ってるんだよ。ふざけんじゃねえぞ」
剛志が一年たちのケツに蹴りを入れる。
「やめてくださいよあにき、自分がもてないからって八つ当たりしないでいいでしょ」
四人はてんでに逃げ回る。
「うるせえなお前らは、静かにしろ」
周りを小蠅のように走り回る五人を、鬱陶しそうに健一が睨みつけた。
その後、一行は男子七人、女子三人で公衆浴場へ向かった。
そこに小さな事件が待っていた。
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