第二章 第一のささやかな、いくつかの事件 3

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第二章 第一のささやかな、いくつかの事件 3

 朝八時きっかりに、朝食の時間が始まる。 「これから朝ご飯をいただく。はい、いただきます」  晃彦が掛け声を出す。 「いただきます」  続いて生徒たちが、一斉に声を合わせる。  昨夜のとんかつとカレーにトマトとウィンナーのスープも美味しかったが、今朝の朝食も絶品だった。  ご飯に、わかめと玉ねぎと豆腐の入った味噌汁。  卵焼きに納豆とお漬物に昆布の佃煮という、いたってシンプルなメニューだが、みそ汁の味といい卵焼きの出汁加減といい、申し分のない味だ。  それもこれも、満ちゃんと言う料理教室の講師だった人のお陰なのだろう。  朝だと言うのに、三膳もお代わりする者もいた。  朝食の後、八時四十五分から十一時四十五分までの三時間が各部の活動時間となる。  美術部員は部長の柳原早百合が毎日課題を出し、部員はそのテーマに沿った絵や造形物をつくる。  一方のテニス同好会は境内で十分な柔軟をこなしてから、まずは海岸まで続く長い石段を駆け足で三往復する事から始めた。  ほとんどの生徒は真面目に参加しているが、やはり健一たち一派はだらだらとするばかりで、一向に身が入らない。  そんな健一たちの中に、例の美術部員の男子二名と、女子三名が混じっていた。 「ねえ健一。あんたら朝一で浴場に行ったでしょ、そこでなんか騒動起こさなかった。帰って来た時の様子が変だったわよ。勝手な事は止めなさいよ、問題起こしたら帰らされちゃうよ。それに美術部員も仲間に入れて、こんな事してたらすぐに速水くんとトラブルになるじゃん。あなた達もこんな馬鹿の所になんか来ないで、ちゃんと決められた課題をこなしなさい。部長や上級生に怒られても知らないから」  いつものように夕香が文句を言う。 「うるせえな、こいつらが勝手に寄ってくんだよ。俺には関係ねえ、責任者は剛志なんだ。文句をつけたきゃこいつに言えよ」  あごで剛志の方を指し示し、面倒くさそうにそっぽを向く。  下駄を預けられた剛志が、慌てた顔になる。 「ははは、夕香。なにもそんな言い方しなくていいだろ、下級生は可愛がってやらなくちゃ。それに部は違えどもこいつら大夢のクラスメートなんだ、それが仲良くしてどこが悪いんだよ。他人の交友関係にまで文句言うのはおかしいと思うぜ」  通常であれば乱暴な口調で詰め寄るのだが、そんな事をすれば健一に制裁されるのは目に見えているため、剛志にしては珍しくやんわりと言い返す。 「ちょっと、あんたなんなの。あたしたちは美術部なんだから、同好会の人に注意される覚えはないわ。なにをしようが勝手じゃない、上級生ぶってうるさいのよ」  女子の一人、山口亜花里が横から口ごたえした。  それを夕香が〝キッ〟と睨みつける。 「ほらほら、亜花里ちゃん。年上のお姉さんにそんな口利いちゃ駄目じゃない。俺もそのお姉さんの言うことに賛成だな、君たちがどんな絵を描くのか見てみたいもの。昼食後に俺に見せに来てよ、誰が一番上手に描けたか選んであげるから」  にこにこしながら、隆介が三人に語り掛ける。 「本当ですか? 先輩あたしの絵が見たいの。だったら頑張って描こうかな」  下から媚を込めた視線を亜花里が見せる。 「可愛さは互角だけど、絵だったらサオリンの方が巧いんですからね。齋藤先輩、張り切って描くから誉めて下さいよ」  サオリンこと大原沙織が、隆介の右手に身体をすり寄せる。  それを微妙に躱しながら、隆介が手を〝パン、パン〟と叩く。 「ようし、じゃあ君たちは絵に集中してね。傑作を期待してるぞ」 「はあい、お昼ご飯食べたらまたお話しして下さいよ」  三人の中では一番物分かりの良さそうな竹内笑美が、名前通りの満面の笑みを見せた。  巧みな隆介の女あしらいに三人はほいほいと乗せられ、地面に放置していたスケッチブックと画材を手にして去って行く。 「ほら、君たちも早く絵を描いてきな、でないとこのお姉さんに叱られるよ。このお姉さんが怒るとケンちゃんの機嫌も悪くなる、ツヨポンみたいに拳骨喰らわされるぞ」 「おいお前ら、マジで言うこと聞いた方がいいぞ。剛志あにきは昨日二発も喰らって血まで出ちまったんだ、はやくあいつらみたいに絵に専念しろ。悪いことは言わん」  真面目な表情で大夢にそう言われた二人は、慌てて三人の女子の後を追った。  いまや夕香は剛志や一年生にとっては、健一に次いで怖れられる存在となっていた。 「齋藤君、きみ女の扱いが巧いね。あたしそんな男は信用できないな、なにが目的で健一にくっついてんの、悪いんだけどきみの事いまいち信用出来ない」  挑戦的な夕香の視線を真正面から受け止め、隆介が微かに笑みを浮かべた。  肯定とも否定ともつかない、不思議な顔だった。 「ちょっといい、陣内くん」  夕香が雄作に声を掛ける。 「なんすか夕香さん」  健一たちから十五メートルほど離れた場所に呼ばれ、雄作が挙動不審にキョロキョロとしている。 「いいから、来なさいよ」  さらにひと目につかない場所まで連れて来られる。  そこには鈴の姿もあった。 「ねえ陣内くん、浴場でなんかあったでしょ。隠しても駄目、ちゃんとお見通しなんだから」  腕組みをして仁王立ちになっている夕香に睨まれ、雄作は怯えている。 「さっさと白状なさい、怒らないから」  夕香から問い詰められ、おずおずと雄作が話し始める。 「たしかにぼくたちは浴場に行きました。でもけっして騒ぎを起こす気なんかなかったし、健一さんからなんかあっても相手にせず我慢しとけって言われてたんです。広い湯船に浸かって、そりゃあ気持ちよかった──」  雄作の話しはこうだ。  一行十人は浴場入り口で二、三分待ち、七時きっかりに開いた施設に入って行った。  やはり朝風呂が日課らしい老人が数人待っており、彼らはそんな老人たちにもきちんと挨拶をした。 「おはようございます、お爺さんたちも朝風呂ですか。気持ちいいですもんね」  お調子者の剛志が、愛想を振り撒く。 「お前さん方かい、〝お薬さま〟の住職の所に来てる高校生というのは」 「えっ、お薬さま?」 「あッはッは、薬王院のことじゃ。薬の王と書くじゃろ、だからお薬さまじゃ」 「へーえ、色んな呼び方があるんだ──」  剛志が感心している。 「じゃあ、七時四十分に出口で待ち合わせね。遅れないでよ」  笑美が男子たちに声を掛ける。 「おう、お前らこそゆっくりし過ぎんなよ。朝飯に間に合わなくなっちまうから」  大夢が女子相手に、偉そうに注意している。 「あんたらこそ、騒いで注意されないように気を付けてよ」  気の強い沙織があっかんべーをしながら、左の女湯の暖簾をくぐり中へと消えた。  予想通りに高い天井の窓から青空がのぞき、そこから入って来る明るい空気の中で広い浴場に浸るのは、なんとも気持ちがよかった。  それから三分ほど遅れて、珍しく若い男が入って来た。  齢は健一たちと同じくらいに見える。  その青年は、ぎょっとするほどひと目を惹く特徴があった。  髪が白いのである。  肌も抜けるように白く、肩の上まで伸ばした髪と相まってまるで女のように見える。  身体付きもほっそりとしており、なによりも顔が美女と見まがわんばかりに整っていた。  瞳の色も青みが勝った鳶色だ。  しかし身長は百七十五センチ弱ありそうだ。 「おお、ジュンか。あい変わらず色が白いな」  老人の一人が声を掛けるが、青年はなにも言わず微かに頭を下げた。  かかり湯で十分身体を流し、彼は健一たちから最も離れた湯船の方に入った。  初めて見るそんな裸体に、剛志と一年生四人は目が釘付けになっていた。 「そんなじろじろ見るんじゃねえよ、失礼だろ」  健一が注意する。 「だってさ、ケンちゃん。びっくりするくらい綺麗だよ、まるで女だ。いや女だってあんな綺麗なのいねえよ、ハリウッド女優みたいじゃん」 「だからやめろって、気を悪くさせたらどうすんだよ」 「ツヨポン、ケンちゃんの言うとおりだ。もう見るのは止めな」  隆介がマジ声で注意する。 「ははは、珍しいか?」  老人が突然言った。 「は、はい・・・」  素直に剛志が頷く。 「たぶんジュンは慣れっこで、気にはせんじゃろ。生まれた時からああ言う身体なもんでな、人から見られ馴れとるんだ。あれでも両親とも立派な日本人でな、白子というらしい。動物なんかでも時々生まれるじゃろ、白い蛇や虎が。あれと同じで先天的に色素が欠乏しとるらしいわい」  アルピノと呼ばれる病で、対処療法のみで治療法は見つかっていない。 「わしらは子どもの時から見とるから、さほど気には掛けんがな」  ジュンというのが彼の名前らしい。  彼は剛志たちの視線も一向に気にした風はなく、湯から上がり体を洗い始めた。 「おい今朝の新聞見たか、本丁筋で殺人事件があったらしいぞ」 「おお、見たわい。こんな田舎町で事件だなんぞ恐ろしいことじゃな」  老人たちがわいわいと、物騒なニュースを話し始める。 「なんでも若い娘が首を絞められとったらしい、暴行目的じゃ言うことだ」 「可哀そうにの、女と遣りたけりゃ清水市へ行きゃいくらでも店があろうに。なにも殺してまでせんでもええじゃないか」 「まったくじゃ、頭のおかしい奴はどこにでもおるもんだからな。この辺も犯人が捕まるまでは気をつけにゃならんな」  そんな老人たちの会話を聞いた健一たちは、互いに顔を見合わせる。 「なんか怖いな、人殺しが近くにいるかもしれねえとはな」  剛志が健一に囁く。 「・・・・・」  健一は無言で、なにかを考えている。 「兄ちゃん方、あんたらの所には大勢の娘っ子がおるんじゃろ。気をつけにゃならんぞ、悪い奴というのはなにを仕出かすか分かったもんじゃない。男衆が護ってやらねばな」  その言葉に、健一が敏感に反応する。 「わかってます、男は女を護るために居るんですから。命をかけて護ってやります」 「おお、いまどきの若者にしちゃなかなか気合いが入っとるな。その意気じゃ」 「じゃが自分もケガをせんようにしなきゃな。好きな男の子がどうにかなりゃ、自分が救かっても娘さんだって哀しむからのう」  爺さんたちが健一を褒めながらも、注意を促す。
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