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第三章 殺人鬼の陰 2
「ところで晃彦くん、ニュースでやっておったんだが本丁筋の方で殺人事件があった。若い女性が暴行目的で襲われ殺されたらしい、犯人はいまだ捕まっておらん」
了海が真顔になって、ニュースの話しをはじめた。
「それなら今朝浴場で、湯に浸かってた爺さんたちが話してた。まだ捕まってなかったんだな」
健一が今朝の話しを思い出し、心配気に晃彦の顔を見た。
「今日になって容疑者が特定されたらしい、テレビで顔写真が流されておった」
了海がさっき見た、テレビの映像のことを伝える。
「この尾崎康平というのが犯人ね」
麗子がスマホの画面を皆に見せる。
東海地方の、ローカルニュースサイトの記事だ。
そこに映っているのは、どこか酷薄そうな目をした痩せぎすの男の顔であった。
年齢は三十八歳、身長は約百七十六センチで瘦せ型だと書かれている。
〝八月一日の深夜、川浦町本町一丁目の林道において近くに住む二十六歳の女性が、胸を刃物で刺され死亡しているのを発見されました。
女性には乱暴された形跡があり、その後殺害された模様です。
遺留品等から住所不定無職の尾崎康平三十八歳を容疑者として、全国指名手配致しました。その後の足取りは現在捜査中ですがつかめておりません。
尾崎容疑者は過去にも二度、婦女暴行及び傷害致傷で逮捕歴があり、仮出所してわずか二週間目の犯行とみられます。まだ近くに潜伏している恐れがあるため、住民の方はお気を付けください〟
記事はそう記載されていた。
「以前にも二度婦女暴行と傷害で、刑務所に入っていたそうよ。どうしようもない常習犯ね、逮捕されるまで気をつけなくっちゃ。生徒たちにすぐに伝えましょう」
「そうですね麗子先生。おい、お前たちも部員に身辺には気を付けるように指導してくれ。日が沈んでからは、寺の境内といっても外には出ないように。なにが起こるか分からんからな」
「はい、わかりました」
高岡が顔を青ざめさせながら答える。
「みんなには、夜間外出禁止を言い渡します」
柳原が、責任感の強そうな顔を緊張させながら頷く。
「寺僧たちにも、寺の周りを警戒するように言おう。とにかく厳重にするに越したことはない」
「お願いします、伯父さん。よし、すぐにみんなに伝えてこよう」
集まりは解散となり、各々女子の寝所である本堂大広間、男子の寝所がある講堂へと別れて行った。
「まあ、こんな事件まで・・・」
立ち際に麗子がスワイプしたスマホのネットニュースには〝静岡刑務所から服役囚三人が脱走、未だ逃走の足取り確認出来ず〟という記事が出ていた。
「いま先生がおっしゃったように、強姦殺人犯が近くに居るかもしれない、みんなくれぐれも注意して欲しい。特に夜は厳重に戸締りをしてくれ」
晃彦の説明を受け継ぎ、高岡が男子生徒に念を押す。
「先生、女子の寝てる本堂が心配だ、今夜から俺たちで夜警をしてぇんだ。許可してくれねえかな」
健一が立ち上がり、晃彦に提案して来た。
それに続き、同好会の剛志、隆介、雄作、大夢、美術部の修武、敬太の六人が立ち上がった。
「いいだろ先生、俺たちが見張ってりゃ女子には指一本触らせやしねえよ」
剛志が胸を張る。
「ううーん、どうしたものかな」
思案している晃彦に、美術部の速水も警護役をすることを申し出た。
「ぼくたち美術部員も警戒に当たります、数は多い方がいい。それに一晩中同じ人間が、寝ずに見張る訳にも行かないじゃありませんか」
速水の後ろには、美術部の山城和宜、遠藤彬、石井輝臣、千葉征三の四人が控えている。
「そんな長い期間じゃない、今夜を含めて九日間のことです。いいでしょ先生、緊急事態だ。犯人が捕まればそれで終了なんですから」
隆介が冷静に晃彦を説得する。
「仕方がない、お前たちの力を借りるか。しかし決して無茶はするなよ、なにかあれがすぐに大声を出すんだ。なにしろこちらは大人数だ、数では負けんからな。それに寺の僧侶の方々も警戒してくれるそうだ、各々時間を調整して順番に警戒しよう」
さっそく班分けが始まった。
第一班は同好会の隆介、大夢、美術部の修武、敬太の四人で午後九時半から十二時まで。
第二班は美術部の速水、山城、遠藤、石井、千葉の五人で十二時半から二時半まで。
第三班は同好会の健一、剛志、雄作の三人に晃彦を加えた四人で、二時半から五時までと決まった。
彼ら以外にも有志がいれば、その都度参加することも出来るということになり、今夜は三名が一緒に警戒に当たることとなった。
そんなことが得意な雄作が、日によってローテーションも変わるように、時間のシフトも組んであっという間に表にした。
それに、寺の僧侶が各一名ずつ加わることになり、さっそく今夜から夜警が始まった。
男子部員がボディーガードをしてくれることを知った女子たちのいる本堂大広間は、黄色い声に包まれ大いに盛り上がっていた。
「やっぱりいざとなったら頼りになるわよね、夜警を提案したのって岡部くんでしょ。不良だけど恰好いいよね、男って感じ」
「そうそう、いつも文句ばっかでお茶らけたイメージの杉浦くんだって、本当は喧嘩強いらしいわよ。俺たちがいたら女子に指一本触らせないって、先生に啖呵切ったらしいわ。なんだかギャップ萌えするね」
女子たちがそれぞれ、勝手なことを言い合っている。
健一はわかるが、いつも女子たちから毛嫌いされている剛志まで人気になっている。
「ねえねえ、齋藤先輩は九時半からの班らしいわ。お菓子持って激励に行きましょうよ」
「そうよね、わたしたちのために頑張ってくれるんだもん。そのくらいしなきゃ」
「あたし超ミニスカート持って来てんのよ、それ履いてっちゃおっかな」
「ああ、あの穿いてるだけでパンツ見えてるやつでしょ。逆に先輩ひいちゃうよ」
隆介ファンクラブの例の美術部三人娘が、あれこれと相談している。
「ちょっとあんたたち、なに勝手なこと話してんの。先生から外には出るなって注意されたばかりでしょ、いい加減にしなさいよ」
副部長の春緒雪乃が仁王立ちになって、三人を見降ろしている。
「あなたたち美術部でしょ、応援するんなら速水先輩にするべきでしょ。同好会の不良どものどこがいいのかしら、部の規律を乱さないでちょうだい」
雪乃の取り巻きで、速水のシンパの大原美加が一年生部員を糾弾する。
「あら雪乃先輩、誰が誰を好きだろうと勝手じゃないんでしょうか。一々強制されることないと思いますけど」
気の強い沙織が、下から雪乃を睨みつける。
「そうですよ、おなじ花台高の生徒じゃない。サオリンの言う通り、誰を応援したっていいはずですよね」
男子がいるとぶりっ子の亜花里も、女相手では負けてはいない。
「なに、その態度。一年のくせに生意気よ、雪乃に謝りなさい」
美加が亜花里の膝を蹴りつけた。
「痛っ、なにすんのこのブス」
顔には自信のある亜花里が、同じ女性相手に言ってはいけないひと言ことを口に出してしまう。
「ブスって言ったわね、この恋愛馬鹿女。男に媚びを売ってばかりの脳なしの癖に、もう許さないから」
美加が亜花里の髪の毛を掴み、畳の上を引きずる。
「きゃーっ、離せブス」
亜花里が悲鳴を上げる。
「あなた達、いい加減にしなさい!」
大広間中に聞こえるような大声が響いた。
麗子がいつもとはまったく違う、怖い形相で腕組みをして立っていた。
「せ、先生・・・」
一瞬で部屋中が静かになる。
「大きな声で騒いでるから聞こえたけど、あなた達どっちもどっちよ。たしかに山口さんたちが話してたことは規則違反だけど、大原さんや春緒さんたちもいけないわ。下級生だからって言いなりにしていい訳じゃない、注意するにもやり方を考えなさい」
美加はシュンとしているが、雪乃は不満気な視線を教師である麗子に向けている。
「なにか言いたいことでもあるの、春緒さん」
齢は違ってもそこは女同士、危険な緊張感が二人の間に漂い始める。
この春緒雪乃という生徒は、高校生でありながら妙に女を感じさせる妖しさを持っていた。
少女ではなく、すでに女なのかもしれないと麗子は思った。
「別に」
先に視線を外したのは雪乃だった。
「じゃあこれからは、なにかあってもわたしたちは知りませんから。責任はすべて先生がとって下さい、みんな行こう」
捨て台詞を残し、雪乃とその取り巻きたちはその場から離れ、自分たちの荷物の置かれている一角へ行き坐った。
「先生すいませんでした、部長のわたしの責任です。これからは気を付けます」
美術部部長の柳原が、すまなそうに身を縮めている。
「それにしても一番いけないのは、あなたたちよ」
麗子が三人娘を指差しながら、口を尖らす。
「建物の外に出ちゃ駄目だって言ったばかりでしょ、本物の殺人犯がうろついてるかもしれないのよ、なにか起きてからじゃ済まないの。真面目に考えて頂戴ね」
「はあい、わかりました」
「ご免なさい麗子先生」
「軽率でした、気を付けます」
素直に三人が謝る。
「分かればよろしい、あまり上級生相手に突っ張らないでよ。先輩なんだから、少しは敬意を払いなさい」
「でもね先生、あの人たちって普段から意地悪なんです。なにかと言えば威張って、そのくせ自分たちは速水先輩の追っかけしてるんだから、まったく頭に来ちゃう」
沙織が不満たらたらの顔を、麗子に向けた。
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