第三章 殺人鬼の陰 4

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第三章 殺人鬼の陰 4

 浜辺の隅では、小さなトラブルが起きていた。 「ジュン、こりゃあ一体どういう訳だよ、お前が責任を持つと言うから俺は手を引いたんだ。なのに香澄は死んじまったじゃねえか、俺も俺の親父もお前を信じてたんだぞ。いまさら人の命は戻っちゃ来ない、どう責任をとる」  坊主頭の同年代らしい青年が、大垣遵に詰め寄っている。  その周りを浴場前で健一たちに絡んできた小林を筆頭に、十四、五人の仲間たちが取り囲んでいた。  なにやら物騒な雰囲気が漂っている。 「――――」  ジュンは黙ったまま、口を開こうとしない。 「黙ってちゃわからねえんだよ。香澄に対してどう責任を取る、ご両親に対してどう責任を取る。お前が死んで詫びたってあいつは帰っちゃ来ない、分かってるのか」  建築業者らしい作業服を着た坊主頭の青年が、ジュンの胸ぐらをつかむ。 「すまない栄ちゃん、言い訳はしないよ。守ってやれなかった俺の責任だ、どうにでも好きにしてくれ。でも俺は今死ぬわけには行かない、香澄を殺したやつに落とし前をつけるまではな」 「なに恰好つけてんだよ、いつもの威勢はどこに行ったんだ? これに懲りたら後は俺たちに任せな、やっぱりおめえじゃ無理なんだよ。これからは浜口さんに従って、大きな顔をするんじゃねえぞ」  小林が罵声を浴びせる。 「うるせえぞヒコ! お前は黙ってろ、これは俺とこいつの問題だ。ごちゃごちゃ言ってるとぶっ飛ばすからな」 「す、すいません・・・」  青年から一喝され、小林が首をすくめる。 「おいジュン、この件に清水の竜狭会は絡んでねえのか。もし奴らが一枚噛んでるんなら、俺やお前じゃ荷が重すぎる。親父に出張ってもらうしかないからな」 「それはないはずだ、香澄はもう商売からはきっちりと足を洗ってる。そっちの筋とは思えない」 「そいつは確かなのか。竜狭会絡みなら狂騒連合が動いてるはずだ、俺の方で探ってみる。ここんとこ物騒なことばかり起きやがる、蘭ちゃんやおばさんの方は大丈夫なんだろうな。いっそのこと俺のうちに住めばいいじゃねえか、俺や親父がそんなに嫌いなのか」  それまでの殺気だった所が消え去り、青年の顔が柔和な表情になる。 「別にそんなんじゃないよ。これはうちの問題なんだ、その話しはもうやめてくれ」  どこか寂しげに口元を歪め、ジュンが横を向く。  そんなやりとりを、少し離れたところで鈴は見ていた。  その視線には、幼い頃に一度だけ逢った〝白い少年〟の成長した姿があった。  髪も肌も、その存在自体も真っ白な青年だ。  青年と言うよりも、少年から大人に変わりつつある過渡期の危うく美しい生き物であった。  鈴の心が知らずに騒ぐ。 〝また逢えた〟  ずっと気がかりになっていた幼い日の思いが、いまやっと晴れたような気がした。 「あの子が噂のジュンくんね、ほんとに美形。鈴が想い続けるだけはあるわ」  横で夕香が、腕組みをしながら大きく頷いた。 「あっ、あのでけえやつ、風呂んときにちょっかい掛けてきたやつだぞ」  剛志が小林の姿を見つけ、いきり立つ。 「騒ぎを起こすなよ剛志、みんなに迷惑が掛かる」  健一が顔をしかめる。 「そうそうツヨポン。ここは他所さまの土地なんだから、おとなしくしてなきゃ駄目だよ」  からかうように隆介がたしなめる。 「わかってるよ。ケンちゃんも隆ちゃんも俺を見くびってんじゃないの? 俺はそんなに馬鹿じゃないからな」  不満げに剛志が頬を膨らませる。  それを見て一年生たちが笑っている、 「なに笑ってんだ、こら」  そんな後輩たちに、剛志が蹴りを入れる。 「おいお前たち、なにか揉めごとか」  青年たちの群れに、薬王院の住職了海が声を掛けた。 「なんだ和尚じゃねえか、別に揉めてなんかいねえよ。俺たちゃ幼なじみと言うより兄弟だ、仲良く話してただけだよ」  坊主頭の青年が応える。 「ほほう、昔みたいに仲良くなったのか、それは目出度い。今度は前のように蘭と三人で遊びに来なさい、菓子と茶ぐらい出すぞ」 「そりゃありがてえが、あいにくあんな抹香臭えとこは遠慮しとくよ。この夏は死んだお袋と、ジュンの親父さんの法要を大々的に行う手はずになってる。そんときにゃ行くからよろしく頼む、俺は仕事があるからこれで失礼するよ」 「栄次、おぬし仕事をしとるのか。感心じゃな、人間真面目に働くのが一番じゃ。しっかり励めよ」 「もうガキじゃねんだ、あんたに説教されるいわれはねえよ。坊主は経だけ読んでな」  憎まれ口を叩きながら、青年は近くに止めていた軽トラックに乗り込む。  車の腹には〝浜口土建〟と大きく会社名が書かれている。 「おい、ヒコ。ぶらぶらしてんならうちの会社へ来い、労働は気持ちいいぞ。他のやつも分かったな、いつまでもチンピラみてえな事してんじゃねえぞ」  言われた小林たちはにやにやと愛想笑い浮かべて、ぺこんと頭を下げる。 「ジュン、ちゃんと携帯には出ろよ。近いうちにおばちゃんと蘭ちゃんの顔を見に行く、なんかあったらすぐに連絡してこい。俺も親父もすぐに駆けつける、じゃあな」  車の窓から右手を出し二、三度振ると、軽トラはエンジン音を響かせ走り去っていった。 「じゃあ俺たちも消えるよ和尚さん、お宅の生徒たちにはもうちょっかい出さねえから安心しな。これからの標的は香澄を殺った野郎だ、ガキなんか相手にしてられねえ」  小林たちはバイクやスクーターに乗り、けたたましい轟音を残して砂浜から道路に戻り、あっという間に姿を消した。  残されたジュンは住職の方を見ようともせずに、みなに背中を向け歩き出す。 「待てジュン、おぬしには少し話しがある。寺まで来なさい」  了海が声を掛けた。  ジュンは立ち止まり、はじめて了海の顔を見る。 「話しなんかねえよ、お節介はよしてくれないか。お袋が世話になってるのは感謝するが、俺には関係ない」  そう言って踵を返す。 「待ってよジュンくん、あたし鈴です――。覚えてない? 五歳の頃だもんね、忘れちゃったよね」  鈴が思い切って声を掛ける。 「ああ忘れたよ。約束も守らない薄情なやつなんか、いつまでも覚えてられねえよ」  振り向いた顔には、怒りと懐かしさと戸惑いが同居したような、なんとも言いようのない表情が浮かんでいた。 〝!〟 「覚えていてくれたんだ」  鈴の表情が、ぱっと輝いた。 「ごめんなさい、ずっと謝りたかったの。あれから十二年も経っちゃった、約束を忘れたわけじゃなかったの。――ううん、言い訳はしない。でもこうやってもう一度逢えたんだもの、ちゃんと謝らせて欲しい」 「ずっと待ってた。次の年も、また次の年も、そのまた次の年も。五年間待った、でもお前はここへは戻ってこなかった。また来年も遊ぼうね、その言葉を信じて俺は子どもながらに五年待った。まあ、俺が馬鹿だったのさ。ガキの約束なんか信じちまってよ」 「ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい」  謝りながら、遠い少女の日を鈴は思い出していた。 『また来年も遊ぼうね、約束だよ』 『うん遊ぼう、ボクのこと忘れないでよ』 『忘れたりしないよ、あなたこそ忘れないでね』 『また来年もここで待ってる、きっと来てね』 『約束ね、げんまんしよう』  寺へ昇る階段の側で、父親が自分の名前を呼ぶ声がする。  ふたりは指切りをして、手を振ってわかれた。 『来年待ってるよ』 『忘れないでね、あたしリン。弓岡鈴よ』 『ボクはジュン、大垣遵だよ。バイバイ』 『バイバイ、ジュンくん』  鈴は小走りに父親の元へ駆け寄った。  階段をしばらく昇って海岸を振り向くと、手を振っているジュンの姿が見えた。  鈴も大きく手を振る。  しばらく昇っては、また振り向く。  そこには同じように手を振り続ける、真っ白い少年がいた。  海は沈み始めた陽を受け、黄金色にキラキラと輝いている。  逆光の中少年のシルエットが、いつまでもいつまでも手を振っている。 『バイバーイ、ジュンくーん』  最後に掛けた声は、遠すぎて少年には届かなかっただろう。 〝思い出した、そう彼の名はジュンだ〟  いまやっと鈴は、彼の名を自分で思い出していた。 〝やっとまた逢えた、ジュンくん〟
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