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第三章 殺人鬼の陰 5
それから三十分あまり、ジュンは寺で了海と二人だけでなにやら話していた。
場所は住職夫婦が起居する、プライベートな離れである。
「そうか安心した、最近悪い噂ばかりが耳に入ってきておってな。お前がそんな人間ではないと思いながらも凡人の悲しさじゃ、どこかで疑っていたのも確かじゃ。すまなかった、許して欲しい」
戸口まで送りながら、了海がジュンへ詫びの言葉を掛ける。
「気にしちゃいないよ、誤解を受けるようなことをしている俺にも悪いところはあるんだ」
ジュンはこの年齢特有の、大人の言葉に無関心なような素っ気ない態度で自分の靴に足を突っ込む。
「じゃが高校生のお前が、暴力団やその手下らしい輩どもと拘わるのは感心せんな。善かれと思ってやっておるのだろうが、あまりに危険すぎる。よかったらその件はわしに任せてくれんか、警察にも知り合いがおるし、それなりに危ないことで世の中を渡り歩いておる者も知っている」
裏社会の人間には、裏の世界で生きている者を使って解決する方が、手っ取り早い場合もあると言うことらしい。
「和尚に厄介は掛けないよ、それよりもお袋のことお願いします。元々地元で育った人間じゃない、どこも頼るところがないんだ。お寺(ここ)だけが頼みの綱だ、気丈に振る舞ってるけど繊細で弱い人なんです」
靴を履き終えすっくと立ち、目の前の僧侶へ母親のことを頼んだ。
「お前もひとかどの口を利くようになったのう、この前までほんの子どもだと思っておったのに」
きっちりとした物言いをする青年を眺め、了海が目を細める。
それまで了海の陰で見えなかった婦人が、夫を押し退け顔をのぞかせた。
住職の連れ合いの伸江だ。
「ちっとも顔を見せてくれないから、おばさん寂しかったのよ。こんどは蘭ちゃんも連れてきてね、ほんとに待ってるから。危ないことをしちゃ駄目よ、あなたになにかあればお母さんも蘭ちゃんも悲しむわ」
優しい顔で伸江が笑っている。
「そのうちに――」
ただそれだけを言うと、ジュンは頭をコクンと下げ背を向けた。
そのまま境内を突っ切り海岸へと続く石段を降りると、砂浜は先ほど同様警察関係者、マスコミの取材陣、そして野次馬とでごった返していた。
ジュンは警戒線が張られている掘っ立て小屋に向かい、瞑目し手を合わせた。
一分近くそのままの姿勢で黙祷すると、道路のある方角へ歩き出した。
「ジュンくん――」
後方から遠慮がちな声が掛けられた。
振り向くとそこには、高校の校章が刺繍された体育着姿の少女が立っていた。
鈴である。
「待ってジュンくん、ちょっと話しがあるの。――よかったら少し時間をくれないかな」
どこか戸惑ったような表情で、ジュンは少女を見た。
なにも言わず彼は背を向けて歩き出す、それは道路とは逆方向だった。
「ねえ・・・、ジュンく――」
鈴が再び声を掛けようとした瞬間、彼は振り向き素っ気なく言った。
「なにしてんだよ、話しあるんだろ。だったら連いてこいよ」
「あ、ありがと――」
鈴はほっとしたように表情を和らげ、青年の後を追った。
砂浜が途切れた辺りには、無数の消波ブロック(テトラポッド)が積み重なっていた。
近くで見るとかなりの迫力だ。
海のない県で生まれ育った鈴にとっては、物珍しい風景だった。
二人は防波堤に腰掛け、海を眺めている。
ここまで来る間も、コンクリートの防波堤に坐ってからも会話はなにもなかった。
最初に口を開いたのはジュンだった。
「なにジロジロ見てんだよ、こんなもんが珍しいのか」
ジュンが消波ブロックを顎でしゃくる。
「うん、だってあたしたちの街には海がないから。写真やテレビじゃなくって、こんなに間近で見るのはじめてなの。なんか凄いね」
そう言って、鈴がにっこりと笑いかける。
「そ、そんなものか――」
少女の無防備な笑顔を見せられ、青年は照れたように俯いて応える。
「それで、話しってなんだよ」
「う、うん。――亡くなった女の娘、ジュンくんの知り合い?」
「――――」
ジュンの顔が、苦しそうに歪む。
「知り合いじゃない、仲間だ。大切な俺の仲間だ」
「――ごめんなさい」
「謝る必要はない、お前には関係ないことだ」
「確かにそうね・・・」
鈴にはそれ以上の言葉が継げず、二人の間に沈黙が流れた。
「香澄って言うんだ、同じ学年だった。中学ん時からの仲間だ、随分とやんちゃなやつだったけど、やっとまともになったんだ。幼稚園の先生になりたいって言って、真剣に勉強もし出してた。これからいくらでも未来が広がってたんだ、なのに死んじまいやがって」
鈴はなにも言えなかった。
いや、軽々しくなにかを言ってはいけないと思った。
「どうやら連続殺人犯の仕業らしい、お前らも気をつけろ。こんななにもない所で殺人事件だなんて、まったく信じられない。おまけに仲間がその被害に遭うなんて――」
「ジュンくん、あたしを許してくれる」
鈴が唐突に言った。
「許すって、なにを?」
「約束破ったこと」
しばし沈黙の後に、ジュンは微かに唇に笑みを浮かべた。
「許すもなにも、俺は怒っちゃいないよ。お前は次の年も来たかったんだろ? でも親が連れてきてくれなかった。子どものお前がひとりで来られるわけないものな、しょうがないよ。ガキの頃は腹が立ってたけど、年を取りゃ段々分かってくるもんさ。でもこうやって逢えて、お前がそんなに気にしてるって分かって驚いた。俺のことなんかとうの昔に忘れてたと思ってたから」
消波ブロックに当たっては砕ける波を見ながらジュンが言う。
「忘れてなんかないよ、ずっと気がかりだった。忘れるはずないよ、海で逢った真っ白な男の子のこと。あたしの理想の王子さまだもん」
そこまで言って、鈴は恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「俺だって忘れなかった、知らない町から来たかわいい女の子のこと」
「かわいい――」
「ば、馬鹿違うよ、そんな意味じゃない。ちっちゃくって、笑ってばかりで・・・」
慌てたように、ジュンが言い訳をする。
クスッと笑いながら鈴は体操着の首元から金色のネックレスを外し、チェーンの部分をつまんでジュンの目の前にかざした。
目の前のネックレスのトップは、宝石でも貴金属でもなかった。
それは薄紅色の貝だった。
「覚えてる、あなたがくれたのよ」
「まだ持ってたのか、その桜貝」
「思い出の宝物だもん、大事な大事なあなたからのプレゼント」
「そんなものでいいなら、幾らでもあげるよ」
「ううん、この貝がいいの、五歳のときあなたがくれたものだもの。はじめての男の人からの贈り物、あたしの一生の宝物よ。でもね、ちょっと嘘ついちゃった。小学生から中学に入った頃までは、いつも思い出してたんだけど、最近は忘れちゃってた。ごめんなさい」
「気にすんな、おれもいつの間にかお前のことは記憶から消えてた。いま付き合ってる娘もいるしな、お互いさまだ。お前も彼氏いるんだろ、俺のこと忘れてたって当然だよ」
鈴は小さなショックを受けていた。
「いないよ、あたしには彼氏なんかいない。そんな言い方ひどいよ――」
「すまない、でも俺たち五歳の時にこの砂浜で一度逢ったきりじゃないか。そういう意味じゃ友達でさえないんだ、仕方ないだろ」
「そんなの分かってる、でも彼氏が出来たから忘れたんだろって言い方はないよ。あなたは彼女が出来たら忘れるんでしょうけど、あたしそんな理由で忘れたりする人間じゃないから」
鈴は自分が、どれだけ理不尽なことを言っているのかを理解していた。
自分はなんの理由もなくただ忘れてしまっていたくせに、彼女が出来て忘れてしまったという相手を非難している。
ひどいのは自分の方だった。
「なにそんなにムキになってんだよ、また友達から始めようぜ。いまじゃスマホも自由に使える歳なんだ、離れてたって連絡だって取れる。会わなくったって話しは出来るし、友達ならなんの問題もないだろ」
「もういい、あなたと話すことはない」
自分でもその感情を、どうコントロールしていいのか分からなくなっていた。
ただ無性に腹が立った。
居たたまれなかった。
高校二年になるいままで、恋をしたことさえなかった鈴は、それが〝嫉妬〟だと言うことにさえ気づいていなかった。
「そんなに怒るなよ」
「ひどい、ジュンくんひどいよ。やっと逢えたのに」
鈴は顔を両手で覆い、とうとう泣き出してしまった。
群れから離れてたった一羽で消波ブロックにとまっていたカモメが、不思議そうな顔で人間たちを見ていた。
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