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第一章 発端 3
「すいませんね内海先生、去年に引き続きお手伝い頂きまして。本当に助かります」
晃彦が麗子に頭を下げる。
内海麗子、昨年から花﨑台高校の科学教師として勤務している二十七歳の女教師である。
合宿には女子生徒も参加するため、男性である晃彦だけでは対応が出来ないと言うことで補助として同行してもらっている。
「いいえ、構いませんよ。今年はテニス同好会も一緒なんだから、なおさら人手が必要でしょ。わたしも合宿なんて学生の頃を思い出して、なんだか楽しいんです」
セミロングの少し茶色がかった髪を、さらりと後ろに手で流し微笑む。
清楚で明るい所が男子からも女子からも好かれている、学校でも人気のある教師だった。
大きな瞳が特徴的な、なかなかの美人である。
「そう言って頂き恐縮です、これから一週間よろしくお願いします」
頭を掻きながら、晃彦がはにかんだように俯く。
テニス部のバスが出た後、後続の車両にバスケット部の生徒たちが乗り込み始めている。
その後ろで待機しているのが、美術部・テニス同好会の生徒を迎えに来ているバスだ。
「みんな、校門のところで待機しましょう。後がつかえているから素早く乗り込んでください」
美術部の部長で三年生の柳原早百合が、てきぱきとした口調で声を掛ける。
「男子は右側、女子は左側に坐ってくれ。ここから静岡まではかなり時間がかかる、それなりに車内で楽しむのは良いが、騒ぎ過ぎないようにしろよ。特に岡部、杉浦お前らだ」
二年生でありながら美術部副部長の速水凌平が、テニス同好会の二人を名指しで注意する。
県の絵画コンクールで、特選を受賞するほどの腕前を持っている。
きりりとした涼し気な顔で、身長も百八十センチ近くあり、スポーツも得意という文武両道の優等生であった。
美術部の女子の中の何人かは、彼目当てで入部している者も相当数いるらしい。
「なんでわざわざ俺たちを引き合いに出すんだ。俺たちはテニス同好会だ、美術部のお前に言われる筋合いはねえ」
茶髪ですこし悪っぽい所のある剛志が、不貞腐れたように速水を睨みつける。
杉浦剛志、鈴と夕香を追っかけて入部して来た三人の内の一人だ。
「部の違いは関係ない、合同の合宿なんだから決まりには従ってもらう。われわれは毎年合宿をしているんだ、それなりの経験がある。行った先での部の活動には口は挟まんが、生活に関してはこの一週間は俺と柳原部長が責任者だ、異論は認めん」
腕にも自信があるらしく、剛志の言葉にもまったく動じる気配がない。
「ほほお、随分とイキってるじゃねえか。調子に乗るなよ、その内シメてやるからな」
低い声で岡部健一が凄む。
こちらは本格的なワルらしく、剛志とは迫力が違う。
「こらこら健一、まだ合宿が始まってもないうちに喧嘩なんかしないの。仲良くしないと帰ってもらうからね」
夕香が健一の耳を、思いっきりつまみ上げる。
「いててて」
健一が耳を押さえて、その場にしゃがみ込む。
「なにすんだよ夕香、おまえ美術部の味方すんのか」
隣の剛志が、夕香に詰め寄る。
「やめろ剛志、女に手出しするな」
耳をさすりながら、健一が命令する。
「だってケンちゃん」
「いいから俺の言うことを聞け」
抗議しようとする剛志の胸倉を掴み、ドンと軽く押しのける。
このやり取りを見ると、どうやら健一は夕香を目当てに入部し、子分の剛志がそれにくっついて来たという事らしい。
「分かった夕香、合宿中は大人しくしといてやる。おい速水、二学期が始まった時に右手で自慢の絵筆が持てなくなったりしないように気をつけとけよ。夏休みはまだ長いんだぜ」
「だから、そんなこというなって言ってるでしょ」
夕香がふくれっ面になり、ポカリと拳で健一の頭を叩く。
「ごめんね速水君、こいつ乱暴だけど根は悪い奴じゃないんだよ。絶対に手出しはさせないから我慢してね」
速水に謝りながら、夕香が健一の額を指ではじく。
「いい健一、速水君に暴力なんか振るっちゃ駄目だからね。約束破ったら絶交だよ」
「どっちが乱暴なんだよ、この暴力女」
校内では三年生からさえ恐れられている健一が、怒るでもなく夕香の為すがままになっている。
そんな健一をどこか納得のいかない顔で、剛志が横目で見ていた。
バスケ部の生徒を乗せたバスがいなくなると、すぐに後続の車両が正門に横付けされる。
「さあ、バスが来たわよ。早く乗り込んで頂戴」
柳原に急かされ、大きな荷物を車体横の荷室に放り込み、次々と部員が車内に消えて行く。
「へへへ晃ちゃん、内海先生が来てくれてよかったね。頑張って手くらい握りなよ」
そっと近づいて来た鈴が、晃彦の耳元で囁く。
「余計な心配するな、それに身内の場所以外は晃ちゃんって呼ぶんじゃない。俺はお前の教師なんだぞ、先生といえ」
そう言って、バスのステップに足を懸けた鈴のお尻をぽんと叩く。
「セクハラ教師、訴えるぞ」
鈴が大きく舌を出して、あかんべーをする。
全員乗り込み終わると、バスは一路静岡県を目指して走り始めた。
バスの最後部座席一列を占拠したのは、案の健一一派だった。
ボスの健一、子分の剛志のほかに、同時期に入部した齋藤隆介、同好会一年の陣内雄作、同じく鈴原大夢の五人だ。
雄作と大夢はボスの健一に影響され、最近とにかく素行が悪くなっていた。
変わり種なのは、隆介だった。
特に健一に影響されることもなく、かといって鈴か夕香に興味があるような素振りもない。
活動には真面目に参加するが、とりわけ熱心なわけでもなくどこか掴みどころがない。
なぜ一年前に、同好会に入部して来たのか不明だった。
学業成績は常に学年でトップ5に入っている秀才で、どちらかといえば文化部が似合いそうな青年だ。
そのくせ運動神経がよく、正式なテニス部でもレギュラーになれそうだった。
普段無口なのだが、いざとなれば相当な論客ぶりを披露する。
基本的に、頭の回転が速いのだろう。
力の健一と、頭の隆介というコンビは最強であった。
「ケンちゃん、なんで夕香に対してあんなに弱気なんだよ。あれじゃ周りに示しがつかないぜ、もうちょっとピリッとしてくれよ」
情けなさそうに剛志が、健一に頼み込む。
「うるせえな、俺がどうしようとお前には関係ねえ。いいか、夕香に手出したらお前でもボコボコにするぞ」
健一に一喝されて、剛志が首を竦める。
「剛志、野暮なこと言うな。ケンちゃんは夕香に惚れてるんだよ、だからどんなにぞんざいに扱われても怒らなのさ。男はそうでなくっちゃ、ねえケンちゃん」
真面目な顔で隆介が言う。
顔つきは真面目なのだが、その実揶揄われているのが健一には分かっている。
「だ、黙ってろ隆ちゃん・・・」
顔を真っ赤にして、健一が黙り込む。
岡部が〝ちゃん〟づけで人を呼ぶのは珍しい。
ほかには三年生で学校の副番格の新井薫と、この地域の高校を牛耳っていると噂の、R工業高校の一条寅雄くらいなものだ。
どちらも中学時代に、タイマン勝負をした仲らしい。
その両方に、歳下の健一が勝ったと言われている。
そんな健一が〝隆ちゃん〟と呼ぶのだから、隆介というのは侮れない所があるのだろう。
鈴と夕香は、前から四列目のシートに座っていた。
夕香はさっそくポーチからカルピスウォーターを取り出し、ごくごくと飲んでいる。
「いまからそんなに飲んでちゃ、トイレが大変だよ。このバストイレ付きじゃないんだから」
鈴が心配そうに見詰めている。
「あはは、そんときゃその辺に止めてもらって、道端にでもしちゃうからいいの」
屈託なく、夕香が笑い飛ばす。
「もう、夕香ったら」
呆れ顔の鈴も、苦笑いする。
夕香ならば、本当にそうしかねない。
「ねえねえ夕香、さっきみたいな事して怖くないの。岡部くんって学校一のワルじゃん、なにかされたら大変だよ」
前のシートの田中朱里が、後ろ向きになって話しかけて来る。
「そんなことないよ、あんな態度とってるけど根はやさしい子なんだ。絶対に女子には手を出したりしない、みんなあいつの事誤解してるんだよ」
夕香が必死に弁護する。
「ふうーん、そうかな? やっぱわたしは怖いな」
朱里には、夕香の言葉が信じられないようであった。
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