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第一章 発端 8
海岸まで下りた生徒たちは、よせては返す波を相手にはしゃぎ回っている。
そう広くはないが、白い砂浜が広がる美しい海岸だった。
海の家の類は見当たらない。
車道から四百メートルほど離れているために、知らない人には見つけにくいのだろう。
多分地元の人たちだけが知る場所らしい。
「さっそく今夜花火しようぜ、海があるってえんでスーパーオオタニで山ほど買って来てあるんだ。毎晩でもやれるぜ」
スーパーオオタニというのは、県内で展開しているご当地スーパーチェーンだ。
「だからお前の荷物大きかったんだ、まったく馬鹿だな剛リンは」
隆介が呆れ顔で揶揄う。
「あっ、そんなこと言うんなら隆さんには花火あげませんよ」
剛志が口を尖らせる。
「ちょっとあんたたち、あの立札が読めないの。ここは花火禁止だってよ」
夕香が剛志を注意する。
「な、なんだと! 花火禁止」
剛志が看板の前まで行って確認する。
「マジかよ。海で花火しなけりゃ、なにをしろってんだよ」
泣きそうな顔で、剛志が頭を抱える。
「あんた本当の馬鹿ね、海は泳いだりはしゃいだりする所でしょ。いったい脳みそどうなってんの、腐ってんじゃない」
「あんだと、このブス。調子こいてんじゃねえぞ」
〝がつっ〟
その瞬間、剛志の脳天に健一が思いっきり拳骨をかませる。
「おい、誰がブスだって。剛志、もう一遍言ってみろ。俺の目を見て言え、さあブスは誰だ?」
無表情な健一の目が、きらりと光る。
「ごめんなさい、ブスなんかいませんでした。夕香さんは可愛いです」
頭を押さえ涙ぐみながら、剛志が謝る。
「ようし、今度夕香にブスと言ったらただじゃ済まねえからな。それに女に乱暴な口を利くな、男は女を護るために存在するんだ。いいか、お前らも覚えとけよ。女が危険な目に遭ってたら、たとえ自分が死んでもいいから助けろ。それが男だ」
「はい、肝に命じます」
「絶対に女子には乱暴はしません」
健一から睨まれ、雄作と大夢が直立不動で返事をする。
「ねえ健一、綺麗な貝殻があるよ。見て見て」
波に濡れた砂浜から小さな貝を拾い上げ、夕香が愉しそうに健一に呼びかける。
「そんなのただの貝だろ、珍しくもねえさ」
はにかむように健一がそっぽを向く。
「ちゃんとみてよ、綺麗な色してるし形も変わってる」
目の前に持ってこられ、仕方なく健一がそれを見ている。
剛志は砂浜にしゃがみ込み、しきりに頭をさすっていた。
「あーあ、相当痛そうだな。どれ見せてみろ」
横ではイチャイチャと健一が貝を見ているのに対して、こちらでは隆介が剛志の頭頂を覗き込む。
「うわ、血が滲んでる。あとで薬つけといたほうがいいぞ」
「隆さん、ケンちゃんったら酷いよ。一の子分の俺にこんな事を──」
剛志が愉しそうに夕香とイチャついている健一を、拗ねたような目で見ながら隆介に泣きつく。
「だから何度も注意しただろ、ケンちゃんは夕香に惚れ切ってるんだ。下手な事したら半殺しにされちまうぞ」
「そんなぁ」
「そうですよアニキ、女には優しくしなきゃ」
「俺たちは男なんですから、女に乱暴はいけませんよ。それに夕香さんって、本当に可愛いじゃないですか。全然ブスじゃないし」
雄作と大夢にまで揶揄われ、剛志は益々落ち込んで行く。
「どれどれ、見せてみなさい岡部くん」
鈴が近寄り、髪をかき分け傷口を確認する。
「ホントだ血が出てる。取りあえずこれを貼っといたげるから、お寺に戻ったらちゃんと消毒してもうちょっと大きめのテープ貼りなさいね。確か麗子先生が救急箱持って来てるはずよ」
そう言って財布から疵テープを取り出し、剛志の頭頂に貼り付けた。
「お、おう。すまねえな弓岡」
女に親切にされ、照れたように真っ赤になりながらも小さな声で礼を言う。
「さあ、君たちが毎晩行くことになる公共の温泉施設に案内しよう、ここからすぐだ」
みな住職の後をついて行く。
砂浜から車道のある方向へと歩くと、道路の反対側五十メートルほどの場所に白い建物があった。
その建物の十字路が、信号のある交差点になっている。
道路を渡ると『川浦町立公共浴場』の看板が掛かっている入り口があった。
「ここが公共の温泉施設だ、ちょっと待っててくれ」
そう言うと扉を押し身体を半分中へ入れた状態で、大きな声を掛ける。
「おーい、松ちゃんいるかい」
しばらくすると、その松ちゃんという人が出て来たらしい。
「おう、和尚じゃないか」
「今日も暑いね。この前話してた高校生たちが今日からうちで合宿を始める。さっそく今夜からここを使わせてもらうよ、よろしくな」
「おーっと、今日からかい。わかった、和尚のお客さんだからただでいいよ。でもあんまり浴場内で騒がないように頼むぜ。ほかの客から苦情でも来たら、使用させられなくなっちまうかもしれねえから」
「わかってる、すまねえが頼むぜ」
「夜は十時半までだから、時間厳守で頼むよ」
「了解、了解」
挨拶を済ませると、元来た海岸へと戻る。
「いいかい、いまのが風呂場だ。朝は七時から、夜は十時半までだ。それから聞いてたように騒ぐんじゃないよ、ほかの客に迷惑がかかる。大人しく入浴してくれ。あそこの支配人はわたしの同級生なんだ、特別ただで入浴させてもらえるように交渉しといた。なによりも行儀よく頼むよ」
住職から、施設使用の注意事項が話された。
「みんな分かったな、返事は」
晃彦が大声で返事を促す。
「分かりました」
一斉に生徒たちが応える。
「ようし、食事は六時だから時間を守れよ。今日は特別にお寺からのごちそうで、とんかつとカレーが用意されてるらしい。みんなお礼を言うんだ」
「ありがとうございまーす」
食べ盛りの年齢だけに、メニューを聞いただけで顔が活き活きとしている。
「まだ少し時間があるから、ここで遊びたい者は自由にして良し。お寺に戻ってゆっくりしたい者は一緒に帰るぞ」
晃彦と了海は連れ立って、境内へと続く石段へと向かいかけた。
そこで了海が、なにかを思い出したように立ち止まった。
「おう、ひとつ言うのを忘れておった。この辺りの地元の若者の中には、質の悪いのも混じっとるから、くれぐれも注意をするように。まあ薬王院の和尚の客だといえば大概は無事に済むが、たまに威勢のいいのもいるから相手にせんように。絶対に喧嘩沙汰など起こさんでくれ、合宿そのものが中止になってしまうからな」
「いいか、聞いたな。喧嘩をしたものは即刻家へ帰す、暴力沙汰やいざこざは厳禁だ。特に同好会の一部の生徒は、特に気を付けるようにな。ここは人さまの土地だ、おとなしくしていろ。たったの一週間だ、分かったな。岡部、お前が目を配りみなをトラブルにならんようにしてやってくれ。俺はお前を信じている、頼むぞ」
「分かってる、先生や和尚さんには迷惑はかけねえよ」
名指しされた健一が、面倒くさそうに返事を返す。
一番問題を起こしそうな生徒を注意するのではなく、その者にみなを委ねるような言い方をするとは、中々に人の真理を知っているやり方だ。
こう持ち上げられれば、大人しくせざるを得ないものだ。
十七歳の夏、こうして鈴の青春が始まった。
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