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出会い
随行員八神は、高千穂で開催する式の準備に、連日多忙を極めていた。
高天原のそれと似せた岩屋、及び周辺の配置も滞りなく整えた。
天岩屋前の空き地を天安河原と見立て、国つ神らに邇邇芸命への忠誠を誓わせる場とする。
葦原中国の前統治者であった大国主命が、国つ神らの絶大なる支持を得ていたことは周知の事実である。
有力神の娘の中には、大国主の后の一人として出雲入りを願う者も多かった。
大国主命を懐かしむ不埒な国つ神の心を、一気に邇邇芸命に向けるべく、高天原神殿の芙蓉の間で策が練られた。
国つ神らが一斉に平伏すであろう演出を、天照大御神を交えて幾度も打ち合わせた。
忠誠式で目玉となる演出になろう。
国つ神の心を掴むは、この出来如何にかかっている。
万に一つの手違いも許されぬのだ。
思金神との度重なる打ち合わせは、邇邇芸命を少々疲弊させていた。
忠誠の儀式を数日後に控えた日中の午後、邇邇芸命は息抜きがてら、高千穂宮を抜け出した。
たまたま足を向けた岬は、三方向が海に囲まれた絶景地だった。
目の前に広がる海原はとても穏やかで、遥か彼方まで見渡せた。
先端から恐る恐る足下を覗き込むと、激しく断崖に打ち寄せる波が砕けて、飛沫を散らせていた。
邇邇芸命は水平線の彼方に視線を戻すと、両手を上げて大きく伸びをした。
大きく息を吸い込む。
精神的疲労で硬くなっていた体が、ほぐされていくようだ。
ふいに、後方から透き通るような声が掛けられた。
「笠沙の岬は、誠に美しゅうございますね」
伸ばした体をそのままに、邇邇芸命は首だけを回して、声の主を振り返った。
邇邇芸命の動きが止まった。時間にしてみれば、一呼吸分だが、息を吸ったきり吐かなかったので、いつもの三呼吸分はあったか。
やがて、なんとも言えぬ喜びが心を満たしていった。
例えるなら、一輪二輪と蕾を開花させたばかりの桜の花を発見した喜び。
この先の見事に咲き誇りるであろう全体像を、思い描く楽しみ。
美しく清楚であり、なんと表現してよいのだろう、桜の化身のような娘が立っていた。
海からの風が、娘の後れ毛を弄び、ほんのりと桃色に染めた頬をむき出しにした。
海からの風は、娘の衣を体の前面に張り付かせ、華奢な体型にそぐわぬ豊かな乳房を、無防備に浮き上がらせた。
「そのように端に立たれては、危のうこざいますのよ。以前も下を覗き込んでいらした方が ...」
娘は可愛らしい眉根を寄せて、邇邇芸命を案じた。
邇邇芸命は失礼と承知の上で、娘の言葉を遮り、名を尋ねずにはいられなかった。
「ソナタの名を聞かせてはもらえぬか」
娘は聞き取れなかったのか、口を「え」の形にしたまま見つめていた。
ほどなく、ふっくらとした唇を閉じると口元をほころばせた。
「大山津見神の娘、木花之佐久夜毘売でございます」
邇邇芸命を見つめたまま、小さく膝を折って挨拶をした。
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