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その頃、石長比売は高千穂宮の謁見の間に、一人取り残されていた。
ぼんやりと所在なさそうに立つ石長比売に、天宇受売命が気付いた。
「石長比売で御座いますね。ほどなく邇邇芸命との対面が叶いましょうほどに、居室でお待ちいただきましょう。ご案内します」
石長は緊張した面持ちのまま、天宇受売命の案内で、綺麗に整え用意された己の居室に入った。
「本日から、こちらを石長比売に使って頂きます。どうぞお寛ぎになってお待ちください」
天宇受売命が去ると、石長は与えられた広い居室を眺めた。
香りのよい木材や、透かし絵の浮かぶ和紙がふんだんに使われていた。
(高天原造りなのかしら、落ち着いた設えの良い居室だわ)
石長は先ほど垣間見た邇邇芸命を、思い浮かべた。
(お優しそうな方だった。妹をお望みでしょうけれど、ワタクシもワタクシなりに精一杯お仕えしましょう)
石長は夫のために、いそいそと茶の支度をして待った。
どれほど時間が過ぎたのだろう。
いつの間にやら、眠ってしまったようだ。
とうに日は暮れて、居室内は暗くなっていた。
「石長比売お待たせした。邇邇芸命である」
ようやく、夫が訪れた。
「灯りもつけずにワレを待っていたのだね。さぁ、美しい姿を見せておくれ」
邇邇芸命は優しく声を掛けながら、一つ二つと室内の明かりを灯した。
ぼんやりと互いの姿が浮かび上がる。
二人の視線が絡み合った。
「石長比売でございます。末永くお仕え致します」
夫の動きと息が止まっていた。
石長は言葉を閉ざしたままの夫を、問いかける様に見つめて微笑みかけた。
「どうなさいましたか、邇邇芸命。お茶を用意致しますので、おかけください」
邇邇芸命はしきりに頭を振りながら、勧めた椅子に座った。
石長は茶を立てることを得意とする。父の大山津見神も、石長の茶を好んで飲んだものだ。
「どうぞ召し上がれ」
邇邇芸命は両手で頭を抱えたまま、顔を上げずに「すまぬ」と一言発した。
「すまぬなどと・・・・・・。これからは、毎日お茶を差し上げるつもりですの」
石長は、はにかんで答えた。
「違う。茶の話ではない」
邇邇芸命は、絞り出すような声で言った。
「ソナタを傍に置くは、残念ながら出来ぬ。そうとなれば早いが良いであろう。明日、供の者と国へ戻られよ」
「国へ戻り、高千穂宮へ来なかったことにすれば良い」と、夫はしきりに頷いていた。
それきり、石長の顔を見ること無く、居室を出て行った。
石長は何が起きたのか理解できなかった。
傍に置けぬ理由が、よもや己の容貌であるとは、思いも寄らない。
この婚姻は天つ神と国つ神との契約であると、父から聞かされていた。
それ故、姉妹で嫁ぐことに承知したのだ。
石長はひどく混乱した。
父の言葉と、天孫の言葉と、どちらに従うべきであろうか。
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